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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

タヌキ
1977年 滋賀県
昔神社に椎の大木があって神木とあがめられていた。そこに狸が住みついて腹鼓みを打っては神慮を慰めていたが、年老いて死んでしまった。これを見た町内の塩屋治兵衛が慶長年間に狸の面をかぶって祭礼に参加し、神慮を慰めたのが大津祭りの曳山の、西行桜狸山の始まりという。

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タヌキ
1981年 滋賀県
昔神社に椎の大木があり、神木として崇められていた。そこに狸が住みついて腹鼓を打って神慮を慰めていたが、年老いて死んだ。これを見た町内の塩屋治兵衛が慶長年間に狸の木製の面をかぶって祭礼に参加し、神慮を慰めた。後に町内で相談し屋台も作り、治兵衛は狸の面をつけて御幣を振った。治兵衛が年老いてからはカラクリ狸の人形を用いた。大津祭の西行桜狸山のいわれ。
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タヌキ
1932年 兵庫県
300年前、洲本の三熊山頂上に岩と木で作られた穴に、柴衛門という大狸が棲んでいた。悪戯はするが人々に好かれていた。ところが土手を下った所に棲むこの狸の嫁のお増狸は嫌われていた。ある時2匹は連れ立って大坂に芝居見物へ行った。そこで雌狸は侍に殺され、雄狸は芝居小屋で正体がばれ殺された。これを知った洲本の人々は霊を慰め、島外へ出る時は三熊山山上で作っている狸の土人形で無事を祈る。
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モクベエダヌキ
1919年 京都府
電車がないころ、熊野神社のある森のなかに椋の大木があり、そこに杢兵衛という狸がいて、これに油揚などをそなえて歯痛を祈ったという。
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タヌキ
1951年 徳島県
洞窟に老狸が住んでいた。村人が病気になった時、そこにお参りすると全快する。今でもそこにおしめをひいて祭っている。
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オソデダヌキ
1986年 愛媛県
大榎にはお袖明神という狸が住んでいた。昭和11年の春、伊予鉄の市内電車を複線化する工事のとき、大榎が邪魔になる。切ろうとするとけが人が出て、信者が稚児行列を仕立てやっと大榎を移転した。その後お袖狸は大井に現れたが、戦後の昭和22年に古巣に戻ってきた。商売繁盛・病気回復・縁談などどんな願いでもかなえてくれるという。
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オミツタヌキ
1986年 愛媛県
昔三津街道の出入り口を三津口といっていた。辻番所があった。佐兵衛じいさんが雨の降る冬の夜、辻版をしているとべっぴんの娘が現れた。傘もささず、友禅の振り袖も長く腰のダラリの帯はしっぽのようにも見えたので、じいさんは狸と見破った。ナワでしばっていぶすと、雑魚を狙ったおみつ狸だった。
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タヌキガッセン,カネナガ,ロクエモン
1922年 徳島県
天保年間に名東群斉津村から勝浦郡小松島町にかけて山間に多くの狸が負傷して死んでいったが、それから間もなく日開野村の狸が人に憑いて、狸合戦の詳細を物語ったという。それによると日開野村の金長という狸と名東群津田浦の六右衛門という狸の合戦で、国内の狸は全部集合して2派に分かれて戦ったという。雌雄を決せぬうちに2匹とも死に、2代目金長と六右衛門の子が日開野で弔い合戦をし、讃岐屋島の禿狸の挨拶によって和解したという。
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ヤマノカミ
1986年 埼玉県
秩父郡東秩父村との境の峠に山の神が祀られていた。ある時峠の方にあった天狗松という巨木を伐り倒そうとしたが、伐っても松は倒れなかった。そこで休んでいると、突然上から巨木が倒れてきて大怪我をした。皆は山の神の祟りだとして、地元に勧請して山の神講を行うようになった。
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タヌキ
1960年 神奈川県
ある寒い冬の夜、一人暮らしの老婆の家に年を取った狸が来て囲炉裏にあたった。次の日も来たので老婆が狸に火を投げつけると驚いて逃げたが、坂の途中で死んだ。その坂を火の坂という。後に水車業を営む人が陽原から久所に通ずる坂の下に穴を掘って祀った。
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アマノマヒトツノカミ
1947年 島根県
昔、天目一箇神がなぶれてきたが、人相が悪かったので犬が吠え掛かった。この際、天目一箇神が蜜柑の木に登って助かったため、祭りのときに蜜柑を備えるのだという。
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スナマキタヌキ
1973年 香川県
すなまき狸は、昔、中節と黒崎の境の天神様の坂道で夜遅く空からばらばらと土を降りかけられたという。
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タヌキ,ダンザブロウ
1975年 新潟県
佐渡国二ツ岩という山に、弾三郎という古狸がおり、非常に霊力がある。この狸は人に金を貸していたが、返さない者が増えたので貸さなくなった。ある時医師の伯仙が佐渡で病人を治したところ、病人の家の主が大金を礼にしようとしたが伯仙は受け取らなかった。すると主は自分は弾三郎という狸であり、これは兵火や洪水によって埋もれた金を、貧者を救う目的で拾い集めたものなので受け取ってほしいと請うが、やはり白仙は受け取らなかったという。次の日、礼に短刀を置いていった。
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タヌキツキ,タグリマツリ
1914年 新潟県
佐渡には昔から狸憑きの災いがある。憑かれたら山伏に祈祷を頼む。女を座の中央に座らせ山伏が経を読むと、狸が女に憑依して喋り始める。憑くのをやめるといったら送り祭といって、小豆飯をその狸の住んでいる所に持って行くと平癒する。狸は地神あるいは十二様を祀る塚に棲んでいる。
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イヌ
1975年 愛知県
犬頭社の話。天正年中、領主宇津左衛門五郎忠茂がある時猟をしに山へ入った。木の下で急に眠気を催したところ、飼い犬が裾をくわえ眠る事を邪魔した。腹を立てた宇津は、犬の首を刎ねたところ、その頭は木の上の蛇に噛み付いた。宇津は犬の忠を感じ、上下和田村に犬頭犬尾を埋めて祭った。
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タヌキ
1979年 徳島県
芥附から田中に至る橋のたもとに元々は杉の木が3本あり、地蔵さんがある。そこにいる狸はよく人に憑いた。ある人が腹痛を起こし、狸が憑いたせいだということになった。村人に来てもらって中心にその人を置き、百万遍の数珠くりをして和尚が念仏を唱えた。その人は数珠の下をくぐって自分の家に逃げ、あまり暴れるので背中をついて転ばせると狸が落ちたという。
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ヤシマノハゲダヌキ
1922年 香川県
屋島の禿狸は源平屋島合戦の時、木の上に登って戦を見物して行ったのでその一部始終を知っている。その後禿狸は八栗寺に移して、屋島の合戦を演じて四国における狸大将として暮らしていたが、ある時狩人に殺されたという。これは禿狸が死後人に乗り移って話した身の上話という。また祖父母の話では、嘉永安政頃、阿波西林村の女髪結の体を借りて、吉凶その他を予言したり、他の狸憑から狸落しをしていたという。日清日露戦争では多くの乾分を従え、満州へ出征して大いに働いたという。
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ネコタノコウシンヅカ
1956年 宮城県
郷士阿部某の娘が夕方向山の北裾の山路を通ると,突然身の丈6尺程の大猿が現れ,娘は失神してしまった。翌朝家人が失神している娘を見つけ,家に担ぎ込んだが,娘は日増しに痩せ衰えていく。ある日村の若い衆が見舞いにきて娘の額に手を当てようとしたところ,突然男の頭に柿の実が飛んできてぶつかった。見廻しても仲間しかおらず,翌日も同じ事が続いたので三日目には見張りをつけた。一人が娘の額に手を触れると,突然屋根裏から南瓜が投げ落とされる。上を見ると天窓から大猿が歯をむき出していたので,大勢で追いかけたところ向山のほうに逃げてしまった。その後も,見張っていないと大猿がやってくるので,刈田岳のマタギに頼んで大猿を撃ち殺してもらったが,同じ時刻に娘もあっとうめいて息を引き取ってしまった。その後村人は娘と猿の供養のために山の北麓に庚申塔を建ててやった。初め猿田の庚申塔といっていたが,現在では猫田の庚申塔といわれている。
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タヌキ
1979年 徳島県
狸が芋畑で荒らしたので、捕まえて木に縛り付け、叩き殺した人がいた。するとその嫁に狸が憑いて、気が触れ、縛られていた木に日参するようになった。次の代の人にも、その次の代の男の子にも祟り、棟の上を走り回ったりした。坊さんに拝んでもらったが利き目がなく、結局土地を離れた。
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ヤマノカミ
1982年 新潟県
旧12月12日の山の神祭りには、山形県小国町から山伏をよび、頭屋の祭壇の前にシメを張り、村の男をミコに立て、目隠しをし、両手に幣束を持たせてかがませ、山伏が経や陀羅尼を唱えて祈祷し、村民は棒で床板をたたきながら心経をよんだ。これで山の神がミコに憑き、問い役のゲンジトリが12月以降の狩のことや村内のことを聞き、それについて託宣があった。この神憑けの祈祷をシラツケ(シラモノツケ)といっていたが、大正初年には中絶した。
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イワ,ヨウカイ,カイブツ
1954年 岡山県
昔大吉備津彦命四道将軍となって備前五山の1つ加茂山の山系の峰に来た頃、峰の西方に火柱天に沖する妖怪が現れ、里人は大いに悩んだ。命は大弓を放ちこれを退治した。妖怪は的石と化した。その際の出来事により弓張、矢懸、高片、目無、的岩、立石という地名がついたという。
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