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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

タカボウズ
1998年 奈良県
愛宕神社のお祭を見に行った子供3人が声をあげながら逃げ帰ってきた。藪から高坊主が出てきて、桃畑に入っていったという。高坊主には足がなく、真白い着物を着て角帯を締め、玉蜀黍の毛のような髪を生やしていたという。

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タカボウズ
1983年 愛媛県
飛梅天神社の北にある竹薮の中の小道に白い着物を着た小坊主が出た。見ていると大きくなり、そのまま消えてしまった。
類似事例

テング
1931年 長野県
秋祭のとき子供が消えてしまった。母親は狂ったようになって探したが見つからなかった。翌年若者が山で子供の着物を見つけた。その子の着物だった。これは天狗の仕業で食べてしまったのだといっていた。
類似事例

タカボウズ
1966年 香川県
昔、駒足峠に高坊主が出るとされ、恐れられていた。ある夜、猛者が峠を通っていると両側の山をまたいだ人の足を見つけ、見上げると大男が笑っていた。勇気を出して切りつけると手ごたえがあり、以後高坊主の話は聞かなくなった。
類似事例

テング
1922年 茨城県
貉内という部落に長楽寺という寺がある。この寺に母孝行な小僧がいた。母が三島の祭礼を見物したいというと、小僧は私が連れて行くといい、目をつぶらせて背中へのせ、三島の祭礼に連れて行った。祭りを見物して1日遊んで小僧は母を背負って帰った。小僧は伏戸に入りすぐに寝たが、母が覗くと天狗が羽根を広げて眠っていた。母が驚くと小僧はどこかへ逃げ去った。小僧は愛宕山に入って天狗になったという。
類似事例

テング,カミカクシ,アカイカオシタハナノタカイショ
1982年 新潟県
ある夕方に、9つくらいの村の子どもがお宮の木の下に下駄を脱いだままどこかへいってしまった。村の衆は神かくしだといって、マスの底を棒でたたいてその子の名をよんで探しまわった。2、3日して昼ころに泣きながら帰ってきた。どこへいったと聞くと、赤い顔した鼻の高いしょ(人)に連れられて山道を行くうちに分からなくなり、目をさますと、山奥の、朴の葉っぱをしいたとこで、それから、やっと帰ってきたといった。
類似事例

キノコノカサ
1939年 新潟県
廃寺の庭で子供が盆踊りをしていた。その子供が、突然茸の笠になり、そして茸の脚となった。驚いて庵に逃げ込んだが、後で調べに行くと既にその姿はなかった。
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タカタカボウズ,カワウソ
1985年 愛媛県
執筆者の父親が祖母から聞いた話に、タカタカ坊主が出たというものがある。ある夜、中門の戸がたたかれるので開けると高下駄を履いた小僧がいる。どんどん背が高くなるので「高いねや」と言うと低くなり、「低いねや」と言うと高くなる。伸びきった頃を見計らって棒で足を払うと一匹のカワウソになり逃げて行った。
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カイギュウ,ワラシ
1964年 滋賀県
永源寺町は昔カネノ村といったが、そこに怪牛が一匹あらわれ、耕作を荒し村人を悩ませた。この怪牛は顔は牛で、足は馬のようで、尾の先に剣があり、総身の毛は金釘のようであった。その牛が暴れている所へ目は左一眼で、わに口の童子が現れ、牛を追い払った。この童子は鐘明神で、昔殺した孕んだ牛が復讐に来て村を絶やそうとしているので、村人を守るため戦っているという。夜半になってまた牛が現れ、暴れている所に御童子が現れ、牛を退治した。
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ダイイトクシン
1936年 秋田県
昔、玉川には鮭が多くいた。あるとき、大威徳神社の河原で鮭網を下ろしていると、赤い着物の子どもがアケビ蔓で酒を背負って逃げて行ってしまった。それから玉川には鮭がこなくなった。その子供は実は大威徳神であったという。
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ザシキワラシ
1958年 岩手県
ある人が見た座敷童子は2尺(60㎝)くらいで髪を芥子坊主にした裸の子供。それが脇の下に入ってきたので捕まえようとしたが、鰻のようにネバネバしていて捕まえられなかった。戸は閉まったままなのに出たので、座敷に居るのだろう。念仏を唱えたら行ってしまった。
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タカボウズ,タヌキ
1998年 奈良県
日が暮れた帰り道、何気なく川の方を見たら、真っ黒な高坊主が2人立っていた。狸が高坊主に化けて立っていたのである。
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テング,アカイキモノヲキタハナノタカイヒト
1958年 岐阜県
昭和30年頃の事。ある家が火事になったとき、子供が「赤い着物を着た鼻の高い人が来て火を焚けと言った」と言った。それが天狗だろうということになった。
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スギノセイレイ
1967年 福島県
西光寺に大きな牛をも隠すほどの3本の大杉があった。文化2年頃、この寺の坊さんがこの木を切らせることにした。その前日の暮れ方に見たこともない怪しげな童が3人、手を取り合って泣きながら走り去ったのを見たという人がいた。また、乞食夫婦がこの木の下に宿を取ったところ、夜中に冷たい風で目が覚めた。すると裃を着けた立派な若者が左右に美しい女の人を連れて寂しそうに立っていた。何を聞いても答えないので恐ろしくなり、着物を被って突っ伏して、暫くして顔を上げたら消えていた。夜が明け、村一番の早起きにこの話をすると、千年以上の古木を切ろうとしているから杉の精霊が悲しんでいるのだろうと、他の村人たちと金を集めて木を買い取り、切るのを中止させた。木に斧を入れ始めていた樵が言うには、老木は切ると必ず水を発するものだが、この木は一度斧をあてると水が2メートルも噴出したといって気を失った。そしてこの木を切ることに賛同した6人も次々に死んだ。切られた日が4月4日だったので、この後4月4日にお祭りをしている。
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オトンキツネ
1935年 鳥取県
昔因幡国立見峠の古狐は里人を騙して頭をつるつる坊主にするというので恐れられていた。村の若い者がある日退治することとなり、2人で立見峠に出かけると黄金色の古狐がぶらぶら歩いていたが、やがて若い女に化けた。そして道端の石地蔵を抱き上げ川の水草をつけると赤子となった。それをおんぶして歩き出したので、後をつけると女は一軒の老夫婦を起こし、その子を抱かせた。老夫婦は孫だといって喜んでいたので、見てきた話を聞かせたが信じないので湯に赤子を投げ込んだが、赤子は死んでしまった。年寄り夫婦が怒っているところへ和尚が通りかかり、2人を剃髪して弟子とした。2人は一心に礼拝して木魚を鳴らした。夜が明けて村の人達が立見峠にくると、2人の若者が草野原に座り、竹櫛に馬糞を貫いたものを打ち振って騒いでいた。おとん狐のしわざである。
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テング
1963年 栃木県
昔、猿のように木に登るのが上手な子がいた。ある朝、その子が母親に今日は笠間の祭日なので今から行って朝飯までには戻ってくると言った。そして朝飯までに戻り、寝てしまった。母親は心配になり部屋に行ってみると、天狗が寝ていた。正体がばれた天狗は家から出て行ったが、長いあいだお世話になったお礼に、雹が降らないようにすることを約束した。
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ヤマンバ
1960年 大分県
山姥が母親を食い殺し、着物を着て戻ってくる。3人の子が山姥を家に入れてしまう。末の子は食われ、残った2人は木に登り天の神に救いを求める。金の鎖が降りてきて、姉は月になり利口な妹はお天道様になった。山姥は昇ろうとして落ち、その血がススキの根についた。
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テング
1960年 埼玉県
和田神社の裏に愛宕様があり、山の神が祭ってある。頂にある祠を信仰して通い詰めた郵便局長の息子は、旧二月十七日夜半に天狗に会ったという。太い足で頭は見えないくらいの大きさだったという。十七日にはお祭りがある。
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タカボウズ
1976年 愛媛県
明治初年頃、村人が通りかかると高坊主が出てきて通行の邪魔をしたりした。しかし、食べ物をやると消えた。その場所をウトという。
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テング
1922年 岩手県
炭焼きをしていた子供が、大檜のところで白髪の老人に連れ去られ、岩屋に住むようになった。食べたことも無いようなおいしいものが出てきたりしたが、両親が祈願をこめた八幡神社のお告げには天狗も逆らえず、子供を返した。
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ヤマンバ
1987年 徳島県
家で留守番していた3人の子供は、母親が帰ってきたと勘違いしてやまんばを家に入れた。夜中に一番小さい子供は食われてしまった。2人の子供は逃げ出して梅の木に登った。お神さんに助けを請うと鎖が降りてきたので登って逃げた。やまんばも真似をしたが、腐った鎖だったので切れて落ちた。下はそば畑で、やまんばの血でそばの茎は赤く染まった。
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