国際日本文化研究センター トップページ
怪異・妖怪伝承データベース
データベース検索ページ 更新情報 お知らせ 怪異・妖怪とは データベース検索 異界の杜 製作者
データベース検索ページ

検索対象事例

ヨウカイ
1976年 栃木県
柳生十兵衛が日光の十王堂に泊まった時、夜更けに閻羅王に時間を尋ねられたので答えた。妖怪に会っても事ともしない人である。

類似事例(機械学習検索)

テングサマ
1982年 群馬県
十日夜には笠丸山などの山の神に参り、一晩中お籠りをした。天狗様が出雲に出かけて留守になるので、留守番をするのだという。
類似事例

(ムコク),アミダニョライ
1980年 大阪府
大坂内本町に住む商人・利倉屋忠兵衛は夢に3度、紀国高野山蓮花谷にある某寺の本尊・阿弥陀如来が、何日に自分の家にやって来るので迎えに来いと告げる。その日に夢で伝えられた道順で忠兵衛が行くと、1人の高野僧と出会う。彼は先の某寺の僧で、夢に本尊が忠兵衛の家に行くと告げたので来たという。2人は奇異なことだと語り合ったという。
類似事例

ヨウカイ,ヨウキ,カイイ,バケモノヤシキ
1974年 京都府
京師に化物屋敷があり、人に貸すと5日から10日くらいで必ず妖怪が現れる為住む人がなかった。ある強気の書生が住んだところ2・3ヶ月何もおこらなかった。書生が驕惰の心を持ったら怪異がおこった。
類似事例

ザトウ
1922年 東京都
明治5年頃、東京日本橋に留という男がいたが、毎夜妙なものを見るのが常であった。夢うつつの状態の時、何処からともなく雨の降る音が聞こえ、座頭が枕元に座るのである。座頭は何をするというわけでもないが、毎夜出るので気が滅入り、方々に出かけて泊ってみたが、やはり何処でも出る。東京で名高い陰陽道に詳しい人に頼んで祈祷してもらったところ、見えなくなった。
類似事例

キツネ,タヌキ,オオオトコ
1977年 青森県
ある人が、シラノ坂で無言の大男に出会って恐ろしくなり、餅を供えたら出なくなった。狐か狸の化けたものだったのだろう。
類似事例

バケモノ,フルダヌキ
1975年 東京都
兵法の達人が榎坂の借家に住んでいたが、夜になると何者かが現れた。寛永11年正月15日の夜寝床を調え隠れていると、両眼星のようなすさまじい形相のものが現れた。仕留めると古狸だった。その後、騒がしい市中に狸が住むのはおかしい、自作自演だろうと噂が立ち、その人は行方知らずになった。
類似事例

テング
1977年 東京都
小石川伝通院山内にいる岱雄という者は、僧とともに出かけたが帰らず、2日後、寺の寮で昏倒しているところを発見された。気が付いて語るには、供をしている時に、体が自然に空へ昇り、それから成田不動へ参詣し、大樹の間にいた出家者たちと相撲をしたり、食事をとったりし、7日ほどいたという。天狗の仕業でも趣あるものだ。また天狗は、再び参詣したければ、東を向いて不動を念じろと言った。そうすると再び天狗が現れ、成田山へ連れていかれた。帰りに諸々の土産ももらった。
類似事例

テング
1936年 岐阜県
夕暮れに履物をおろすと天狗にさらわれると言われているのを無視しておろしたところ、門口に立っていたほっそりした男について来いといわれた。ついては行ったが面白くなかったので休んでいると男は帰れといい姿を消した。1時間ほどの事だったが、5日間も行方不明扱いになっていた。
類似事例

テング
1935年 群馬県
龍華院弥勒寺(釈迦山)に、昔一人目立って利発な小僧がいた。当時の上人は般若湯が好きで信州から取り寄せてたしなんでいた。ある日その小僧に使いを命じると、その夜のうちに帰山した。その時は気にしなかったが、度重なるうちに様子を見れば見るほど合点が行かぬ事が多くなり、結局天狗の化身と分かった。
類似事例

イチクレ
1956年
妖怪や幽霊が姿を現す時刻。主として日中と夜分の境、一日の残照が山の端に消えかかり、空はほの明るく地上はほの昏い、明暗の交錯した妖しいたそがれ時であるという。このひとときは、地上の物象の姿が茫と浮き上がったようにはっきり見定められず、視覚からくる不安定は心の不安をも伴うためか、昔から「逢魔が時」といわれ、諸々のあやしげなものどもがはびこり、歩き回る時刻として恐れられていた。この時刻に淋しい路で人が行きあった場合、知る、知らぬに拘らず、お互いの警戒心をなくすために、挨拶を交わすのが仕切りとされていた。
類似事例

タッチャエモト
1956年
妖怪や幽霊が姿を現す時刻。主として日中と夜分の境、一日の残照が山の端に消えかかり、空はほの明るく地上はほの昏い、明暗の交錯した妖しいたそがれ時であるという。このひとときは、地上の物象の姿が茫と浮き上がったようにはっきり見定められず、視覚からくる不安定は心の不安をも伴うためか、昔から「逢魔が時」といわれ、諸々のあやしげなものどもがはびこり、歩き回る時刻として恐れられていた。この時刻に淋しい路で人が行きあった場合、知る、知らぬに拘らず、お互いの警戒心をなくすために、挨拶を交わすのが仕切りとされていた。
類似事例

シケシケ
1956年
妖怪や幽霊が姿を現す時刻。主として日中と夜分の境、一日の残照が山の端に消えかかり、空はほの明るく地上はほの昏い、明暗の交錯した妖しいたそがれ時であるという。このひとときは、地上の物象の姿が茫と浮き上がったようにはっきり見定められず、視覚からくる不安定は心の不安をも伴うためか、昔から「逢魔が時」といわれ、諸々のあやしげなものどもがはびこり、歩き回る時刻として恐れられていた。この時刻に淋しい路で人が行きあった場合、知る、知らぬに拘らず、お互いの警戒心をなくすために、挨拶を交わすのが仕切りとされていた。
類似事例

メソメソジブン
1956年
妖怪や幽霊が姿を現す時刻。主として日中と夜分の境、一日の残照が山の端に消えかかり、空はほの明るく地上はほの昏い、明暗の交錯した妖しいたそがれ時であるという。このひとときは、地上の物象の姿が茫と浮き上がったようにはっきり見定められず、視覚からくる不安定は心の不安をも伴うためか、昔から「逢魔が時」といわれ、諸々のあやしげなものどもがはびこり、歩き回る時刻として恐れられていた。この時刻に淋しい路で人が行きあった場合、知る、知らぬに拘らず、お互いの警戒心をなくすために、挨拶を交わすのが仕切りとされていた。
類似事例

マジマジゴロ
1956年
妖怪や幽霊が姿を現す時刻。主として日中と夜分の境、一日の残照が山の端に消えかかり、空はほの明るく地上はほの昏い、明暗の交錯した妖しいたそがれ時であるという。このひとときは、地上の物象の姿が茫と浮き上がったようにはっきり見定められず、視覚からくる不安定は心の不安をも伴うためか、昔から「逢魔が時」といわれ、諸々のあやしげなものどもがはびこり、歩き回る時刻として恐れられていた。この時刻に淋しい路で人が行きあった場合、知る、知らぬに拘らず、お互いの警戒心をなくすために、挨拶を交わすのが仕切りとされていた。
類似事例

オモアンドキ
1956年
妖怪や幽霊が姿を現す時刻。主として日中と夜分の境、一日の残照が山の端に消えかかり、空はほの明るく地上はほの昏い、明暗の交錯した妖しいたそがれ時であるという。このひとときは、地上の物象の姿が茫と浮き上がったようにはっきり見定められず、視覚からくる不安定は心の不安をも伴うためか、昔から「逢魔が時」といわれ、諸々のあやしげなものどもがはびこり、歩き回る時刻として恐れられていた。この時刻に淋しい路で人が行きあった場合、知る、知らぬに拘らず、お互いの警戒心をなくすために、挨拶を交わすのが仕切りとされていた。
類似事例

タヌキ
1981年 滋賀県
昔法蔵禅寺に六部がやってきた。六部は住職に泊めてくれと頼んだ。住職はやめた方がよいといったが、六部はどんな辛抱でもするといって泊った。その晩六部が寝ていると、丑の刻にわけのわからない化物が天井一杯くらいある目玉をむいて六部を睨みつけた。六部が「狸だろう、こっちへ来て勝負しろ」というと狸も諦めて出てきて、どんな勝負をするのかと聞いてきた。六部は「オノレワ、テンクラテンジャを交代で言い合いをする」といい、言い合いをしたが、じきに狸が言えなくなってしまい、裏山に逃げてしまった。
類似事例

タロベエキツネ,キツネ
1929年 島根県
悪戯をする太郎兵衛狐がいた。あるとき和尚が林の中にある太郎兵衛の家に行き、和尚の持つ寶頭巾と、太郎兵衛の変化自在の「玉」を交換しないかと持ちかけた。寶頭巾で何にでも化けられると思った太郎兵衛は、その話に乗った。しかし、「玉」を奪われ頭巾も効力がないと知り、無念の日々を送るようになった。
類似事例

カイイヤシキ、オオニュウドウ、ヤシキカミ
1956年 宮城県
昔,新坂通台町五番丁南側東角の屋敷を拝領した侍が一人住まいをしていた。ある夜座敷に寝そべっていたところ庭先近くで呼ぶ声が聞こえる。障子の隙間から覗くと軒よりも高いような大入道が立っており,ここは昔から自分の屋敷だから早く立ち退けとわめく。主人が「ここは殿から拝領した我が屋敷じゃ。お前こそ立ち去れ。」と言い返すと,「ここはわしを粗末にしたので住み着いた者はいない。祭の日に神酒や供物をして厚く祀ってくれれば守護してやろう」といって消えてしまった。翌朝調べると屋敷の一隅に梅の老木があり,その下に小祠があった。それが前夜の大入道が屋敷神として棲んでいた祠だったのだろう。当時今泉孫八郎の屋敷であった。
類似事例

キンペイダヌキ
1986年 愛媛県
大阪に惠原屋金十郎という人がいて、ある日修験者が泊まったが、主人の様子がどうもおかしいので風呂を覗くと、金十郎は狸であった。勘付いた金十郎は自分が、伊予の惠原在大宮八幡の大柏に住む金平という狸であると明かし、郷里の人に、大阪に寄ったらぜひ恵原屋に寄るように伝えてほしいと頼んだ。修験者が伝えると一段と信者が増えた。
類似事例

ウシオニ
1991年 島根県
ある相撲取りが夜、浜を歩いていると怪物に相撲を挑まれた。腹が減ったので家に帰って飯を食ってくると告げ帰ると飯が無く御仏飯を食べてくると、怪物はおまえの体に光明がさしているので食われぬといった。それは牛鬼だったのだろう。
類似事例

国際日本文化研究センター データベースの案内