スズメイクサ 1974年 東京都 天保3年8月6日から10日まで、湯島麟祥院の隣寺の森に雀が数千匹棲んでいたが、雀戦が起こるや数万羽が集結し、食い合ったという。
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ユウレイ,スズメジゴク 1929年 長崎県 雲仙岳の雀地獄は、昔、雲仙岳にあった大寺院の稚児二人が、白雀を巡って争いとなり刺し違えて死に、それがきっかけとなって一山の宗徒が互いに争いとなり、寺がすべて焼けてしまった跡に湧いて出たという。旅の僧は雀地獄を訪れて、夢に二人の稚児が死後も幽霊となって争いつづけているさまを見せられた。
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ムクドリ,スズメ 1976年 東京都 文政7年7月25日、椋鳥と雀が合戦をして、互いに喰い合っていた。場所は小石川馬場と真光寺と金性院と、加州侯の屋敷の森で、殊に湯島の金性院では見物人がおびただしく、鳥の死骸も多かった。どこの国かは忘れたが、狐の合戦があったというのは聞いた事があるが、椋鳥と雀の合戦というのは聞いた事がない。
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トリ,ネコ,(オンガエシ),(ユメノツゲ) 1956年 宮城県 元禄(1688~1704)末頃,伊達宗重の家臣坂本宇兵衛は子供がなく,飼猫と鶏を可愛がっていた。ある秋の夜更けに鶏がトキを作ったので,主人は不吉だといって鶏を殺し近くの川に捨ててしまった。同夜,この鶏が坂本家菩提寺の住職の夢枕に立ち,「自分は坂本家の飼鶏であるが,同家の猫は毒を以って主人に害をなそうとしている。夜中に鳴いて知らせようとしたのだが,主人は私を殺してしまった。和尚様から委細を話していただきたい。」と言う。住職が翌朝早く坂本家を訪ねると,丁度主人が汁椀を手にとろうとしていた。その時,同家の猫が外から飛び込んできて,椀の中に何か落としたまま走り去っていった。主人が気にも留めず椀に口をつけようとしたので,和尚は慌ててこれを止め,夢の知らせを語って聞かせた。椀の中を見ると黒じみた油と毒蜥蜴の頭が入っていたので,驚いた主人は猫を斬り捨てようとしたが,猫はそれきり現れなかった。宇兵衛は鶏に対して自らの不明を恥じ,懇ろに鶏を供養した。
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ジングン,タクセン 1983年 大分県 この年に征夷が行われ、大隅・日向の2国が乱逆した。そこで内裏から宇佐八幡宮に御祈誓があり、八幡宮の禰宜が神軍を引率して両国を征し、敵を滅ぼした。その後、この合戦で多くの殺生をしたので放生会をするよう神託があり、諸国に至るまで放生会を行うようになったという。
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(オフダガフル) 1983年 大分県 宇佐八幡宮は、蓮台寺の麓亀山に、四方四角を選び定めたところ、八重の幡雲がたなびき、その内に形が現れた。金字の札が虚空から降り下り、託宣や虫喰など、様々な瑞相奇特が起こったという。
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ジャタイ,フチノヌシ 1929年 高知県 四百年前、高岡郡志和城主の娘御萬御寮は、鵜の巣の淵の主である蛇にとりつかれた。日夜加持祈祷を行ったが其の甲斐もなく娘は淵に身を投じて姿を消した。下郎次郎介が命を受けて行方を探ると、もはや人間ではなく蛇体となった御満御寮に再会した。泣く泣く別れて父上に報告すると、社を建て御萬の追善を営んだ。
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ハチマンダイボサツ 1977年 朱雀天皇の時代のこと、天慶3年に平将門を誅罰する際、八幡大菩薩が現れて、白木御弓と藤巻狩股の矢をもち、託宣を述べたあとに矢を射ると、即時に将門は討ち取られたという。
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コウノトリ 1974年 東京都 文化7年のこと、浅草安部河町にある高田派一向宗の寺の本堂屋根に、鸛が巣をつくっていた。これまでは近くの松平西福寺に巣を作っていたのだが、こちらに移ってきたという。その年12月11日に火事が発生して西福寺は全焼したという。『博聞類纂』という書物には、鸛が巣を移すと古巣は火事になると書かれてあり、これと同じ事が起きたことになる。
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ツチグモ 1974年 大分県 宇佐八幡宮の内の尾のいわむろは、広さがいかほどのものか分からないものの、いにしえの土蜘蛛などがこもった室という。
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ハラノウチヨリモノイウモノ 1976年 京都府 烏丸四条の近江屋吉某という職人の妹が烏丸綾小路の藤某へと嫁いだ。とても良い嫁であったが、藤某が思いを寄せていた人がいたので離縁し、その女を迎えた。吉某の妹はその後行方不明になり、その頃より藤某の後妻が怪しい病に罹った。応声虫のように腹のうちから物を言うようになった。声に答えなければ女が苦しんだ。医薬祈祷を尽くしたが験が無くやがて死んでしまった。藤某も狂乱になり、仕方なく檻に入れた。その後も藤某は生きているという。
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モウリョウ 1974年 京都府 東園前中納言基辰の烏丸にある家には大きなイチョウがある。40年ほど前にこの家の老女に託宣があり、以来館守の神と崇めて供物などをそなえていたところ、本当に魍魎の住処と思うほど茂った。その家の隣を借りた葉室大納言頼照は、ある夜に召使いの下女がいなくなって探したら、そのイチョウの木の根元で気絶していた。息を吹き返した下女の話によると、黄昏頃庭にいたら、イチョウの木の上に頭が黒く赤みがかった大きな男がいて、それに捕まれて気を失ったという。
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タケコマジンジャ 1956年 宮城県 承和2年(835)4月、参議小野篁が国司に任ぜられ多賀国府に下るとき、京の稲荷山の分霊を陸奥に勧請するため長櫃に収めて下った。途中、千貫松のふもとで八声鳴いて白狐が長櫃から飛び出し、武隈の森に走り込む。ここに社を建てよという神の告げとして分霊を祀る。陸奥に下った能因法師が、篁卿の建てた社の所在を竹馬に乗って遊んでいる童子に教えられたというので、寺を開き竹駒寺と称して別当とする。
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タヌキ 1981年 滋賀県 昔法蔵禅寺に六部がやってきた。六部は住職に泊めてくれと頼んだ。住職はやめた方がよいといったが、六部はどんな辛抱でもするといって泊った。その晩六部が寝ていると、丑の刻にわけのわからない化物が天井一杯くらいある目玉をむいて六部を睨みつけた。六部が「狸だろう、こっちへ来て勝負しろ」というと狸も諦めて出てきて、どんな勝負をするのかと聞いてきた。六部は「オノレワ、テンクラテンジャを交代で言い合いをする」といい、言い合いをしたが、じきに狸が言えなくなってしまい、裏山に逃げてしまった。
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テング 1949年 群馬県 ミゾロガ池の北にある八幡宮そばに大きな松があり、天狗が住んでいた。時々南雲家へ来て南雲親子と相撲を取っていた。息子とするときはいつも勝っていたが、ある時親と賭け相撲をして負けてしまい、松の木を伐り取られてしまった。
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レイジャ 1983年 愛媛県 安楽寺は昔淵であったが、そこに霊蛇が住んで庶民に害をなしていた。嘉元二年に宇都宮永綱がその蛇を射止めたが、その霊蛇が祟りをなすようになった。そこで嘉暦元年、その淵の半ばを平げ、大小二つの池を掘り、精舎を草創して霊蛇を断した。
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キツネ 1982年 東京都 享保10年6月、麻布市兵衛町のある人の下女に狐が付き、祈祷などしたが効果は無かった。様々な事を口走り、我は松平紀伊守様屋敷の狐であるが、住居が成し難いために方々へ罷り越している。石川近江守様屋敷の稲荷は娘で、山王町の稲荷は女房である。親類との距離も良いのでここに小社を建てて欲しい。小社を建ててくれると近所の火難は除けようと語った。
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カイチョウ,ギッシャ 1974年 京都府 安永3年4月のある宵に、夜の御殿の上に牛車を引く音がして、女房や殿上人などが恐れおののいた。乳母が御殿の上を見ると、鳩ほどの鳥が瓦の上にいた。しばし見ると南の方に飛び去って、怪しい音はしなくなった。
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タタリ,ヤシキアト 1929年 長崎県 下針金作という猟師で、島原の戦の際に狙撃手として参加した人が住んでいた屋敷跡といわれる場所は、雀が宿るとすぐに死んだので、その祟りを恐れて、20年ほど前まで開墾せずにそのままにしていた。
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ガマ 1976年 京都府 後堀川天皇の寛喜3年夏、高陽院殿の南の堀で蝦蟇が数千匹左右に分かれて戦っていた。数日間続き、京中の人はこぞって見に行ったという。
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