リュウホウジノシャカ 1956年 宮城県 炭焼藤太が栗原郡金成に建てた福王寺の本尊であったのを、四代藩主綱村がここに移した。当時福王寺は小さい寺になり、本尊は縁の下に放り込まれ、毎年2月15日の祭に子供たちが引っ張り出して縄でしばり、堂の周りを引きずり回して遊び、また床下に押し込んでいた。その後、住職が新しく入寺して本尊を洗って本堂に安置したところ、せっかく子供たちと遊んでいるのに余計な邪魔をするといって釈迦に叱られ、大熱を出しうわごとを言って暴れる。そこでまた元のように床下に放り込んだら、和尚の熱は忽ちさめたという。今も出世の釈迦として信仰を集める。
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メン,レンニョショウニン 1984年 福井県 昔、蓮如上人が吉崎におられたころに、夜ごと上人のもとへ参詣する嫁に腹を立てた邪見な老婆が鬼女の面をかぶって嫁をおどしてやめさせようとしたところ、鬼女の面が顔にくっついてどうしても離れない。それで、上人のところへ参り前非を悔いたら顔から面が離れた。この面は願慶寺や、吉崎周辺の寺に数面残っていて、面の本家争いまで起こっている。
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ホトケサマノレイケン 1952年 静岡県 行基作の大日如来像が戦国時代戦火で行方不明になった。ある日大井川で網に日輪の光を放つ仏像がかかった。打ち捨てて帰宅したがその夜、高熱を発した。暫くすると病人が「われは大日如来像である。引き上げて山に送り還せ」と告げ、その通りにすると忽ち快癒した。
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アミダサマ 1985年 愛媛県 高助の寺の阿弥陀様を修繕の男がすりかえ、本浦の寺に納めようとしたら歩けなくなったので元に返した。
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ヒトツメコゾウノガイコツ 1993年 岩手県 興禅院で、一つ目小僧の骸骨が出たと大騒ぎになったが、よく見ると頭部の骨を前後逆に見ていたのだった。寺の移転のときに無くなった。
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ノウジョタイシ 1944年 山形県 能除太子が阿古谷にこもって修行していた頃、国司が神罰で足腰を立たなくされていた。太子が祈祷に招かれたが、国司の家は火事になっていて、国司は布団を蹴って戸外に駆け出し、以後、起居が自由になった。この火事は般若の智火によって煩悩を焼いたものであったという。
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アミダブツ 2002年 神奈川県 鎌倉のある人に仕える女がいた。いつも南無阿弥陀仏と言っていたが、ある時正月に客人来て祝おうとしているところで、南無阿弥陀仏と言った。主人は怒り、カリマタを焼いて女の顔に焼き印をつけ勘当した。しかし女は事も無く立っていて、顔を見ても先ほどの跡もない。女に「勘当したのになぜいるのか」と問うと、「そんな覚えはない」という。不思議に思い日をすごしていて、ふと持仏堂を見ると、金色の阿弥陀仏の顔にカリマタの火印の型があった。主人はこれを見て出家発心した。
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コウボウダイシ 1940年 新潟県 一杯の水を所望した弘法大師を邪険に扱ったある女房の顔が馬へと変わってしまった。驚いた亭主が許しを乞うと顔は元に戻ったが、以後、井戸には水が出なくなった。
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キツネ 1959年 神奈川県 向原の人が尻無沢の化地蔵の前で、落ち葉を頭にのせ美女に化けた狐に出会った男がその美女を殴り倒したところ原因不明の病気になった。百万遍念仏を催して平癒祈願をした。
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コウポウダイシノカケジク 1971年 茨城県 大開集落のある家には、弘法大師が百沢ある土地を捜して廻ってきたときに投げ筆で描いたというお阿弥陀様の掛軸がある。正月と盆に出して吊るす。湯で体を清めてから出ないと吊るせない。昔、掛軸をお寺に移したことがあったが、家に帰りたいと掛軸が泣いたので、元に戻した。1960年代のこと、東京から来た2人の男に掛軸を見学させたら、手が震え出した。バチがあたったのだという。
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オイワケニョライ 1956年 宮城県 出羽国寒河江慈恩寺の覚明阿闍梨は、湯殿山の霊夢により弥陀の本尊造像を京の安阿弥快慶に頼む。快慶が精魂を打ち込んだ阿弥陀如来は会心の作で覚明に渡すに忍びず、いまだ出来ずと偽って覚明を帰したが、翌年約束どおりに訪れた覚明に渡すこととなり、名残を惜しみ近江の草津まで見送る。別れるとき笈を開くと、光明がさし一体の阿弥陀像は二体となっており、いずれが本仏とも化仏とも分明せず、二人は一体ずつ負って別れる。よって笈分如来とも身分け如来ともいう。覚明は南北に川が流れ、一本の菩提樹の生えている地を夢に見て、今の地に移した。他の一体は京都市下京区富小路六条角の蓮光寺にある。
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コウボウダイシ,オニ 1930年 岡山県 昔、この辺りに鬼が住んでいた。弘法大師が通りかかったとき、鬼が退去を拒んだ。そこで大師は鬼に小さな木像を与えた。しかし鬼は木像の有難味が分からず、転がしていた。その木像を盗んだ者がおり、船で去ろうとしたが動かず、木像を海に捨てて去った。鬼はこの話を聞いて木像の尊さを知り、海中から拾い上げて祀った。
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トオリアクマ 1977年 享保元年初秋、火災に類焼して仮住まいしていた時、縁側で煙草を吸っていると、焼け跡の草の上を腰の曲がった老人が笑いながら向かってきた。目を閉じて法華普門品を唱えながら心を落ち着けると消えた。その夕方、3、4軒向こうの家の妻が乱心した。
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ジュウイチメンカンゼオン 1952年 静岡県 明治7年の社寺統一の際、11面観音像を仏坂というところから松山というところに移した。ところが病難火災が相次いで起こり、村民たちは憂慮した。ある夜大雷雨があり、翌朝になると仏像が仏坂に帰還し安置されていた。
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オシャカサマ 1982年 神奈川県 関東大震災の時、お釈迦様が土砂に埋まってしまった。元あった場所を掘ってみると、トタン板がお釈迦様を守るように被さっていて、元のままの無事な姿で立っていたという。
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テング 1982年 群馬県 弘法大師が霊場を捜して寺を建てる千谷を捜したが、天狗が1谷隠してしまい、大師は落胆して山頂から袈裟を丸めて投げた。そこが袈裟丸山。
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ホトケサマノカイイ 1952年 静岡県 100年ほど前、行基菩薩が作った阿弥陀如来を祀った堂宇が大破し、如来像を別の寺に預けたところ米の不作や火事災難が続出した。これはただ事ではないと、早速お堂を建て替えお祭りしたので、その後は何事もなくなった。
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トビフドウ 1956年 宮城県 弘法大師一刀三礼の作という。昔、堂が焼失したとき、不動はうしろの山の岩窟に飛んで避難したので飛び不動という。そのときの不動の火焔の痕が岩壁にあるといわれ、以後この本尊には光背に火焔をつけないことになった。享保16年(1731)9月7日の大地震に、うしろの山から巨石が落下して堂をつぶしたが、不動を安置した一間だけは根返りした大木がおおいかぶさって倒壊を免れ、村民は奇蹟に驚いたといわれる。
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アミダニョライ 1983年 後光厳院の時代、西大寺の覚乗上人は天照大神の本地仏である阿弥陀如来の姿を拝もうと、伊勢内外宮に100日参詣し、ようやく夢告を得て二見浦で金龍蛇形の姿を見た。覚乗は袈裟を海に投げいれたが神は見えなかった。するとまた夢告を得て、大平山無量寿寺に自分の姿を彫った阿弥陀三尊像を安置しているといった。実際行ってその像を見ると、覚乗が脱いだ袈裟が架かっていたという。
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クマノゴンゲンノゾウ 1979年 岩手県 光興寺には熊野権現が祀られていた。ある時京から来た修行僧がこの堂を一夜の宿とした。僧が火を焚くと、その火は堂に燃え移ってしまった。その時熊野権現の像は遥か離れた畑中まで飛び移り、いたやの大木に引っ掛かっていたという。この熊野権現の像は今日柳玄寺にあるが、柳玄寺が出す八咫烏の護符は罪を犯した者が飲むと顔が腫れだすという。
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