ロウコ 1977年 岐阜県 濃州安八郡春近村の富農・井上与三郎の家の庭に昔から住む老狐は、代々地主と親しく、郷里の者たちと常に言葉を交わしていた。名を板益亥正といい、また別名を梅庵といっておよそ300年住んでいるという。書も巧く、また禅なども論じ、医学にも通じていた。ある時、行方知れずになり、里の者が探すと、大津の駅で見つけた。都に移住し死期も近いという。その狐はもともと寧波あたりの僧で、邪見によって獣となってしまったという。井上の子供に教えていた手習いも、岐阜山孝寂という実は野干である僧に頼んでおいたという。
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ロウコ 1977年 岐阜県 老狐の筆跡がある。濃州安八郡春近村の富農・井上与三郎の家の庭に昔から住む老狐は、代々地主と親しく、郷里の者たちと常に言葉を交わしていた。名を板益亥正といい、また別名を梅庵といっておよそ300年住んでいるという。書も巧く、また禅なども論じ、医学にも通じていた。ある時、行方知れずになり、里の者が探すと、大津の駅で見つけた。都に移住し死期も近いという。その狐はもともと寧波あたりの僧で、邪見によって獣となってしまったという。井上の子供に教えていた手習いも、岐阜山孝寂という実は野干である僧に頼んでおいたという。
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キツネ 1939年 岐阜県 下呂近郊の某医師の3代前の祖先は、山へ仕事に行ったときに狐が足を石で打ち動けなくなっているのを見て気の毒に重い、家に連れ帰り手当てをして全治した後に山に放した。狐はその礼として折れた骨を治す秘法を教えた。その為今日に至るまで大いに繁盛しているという。
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キツネ,(オンガエシ) 1956年 宮城県 大正の初め頃,松山に名医が住んでいた。ある夜急患だというので往診したところ,鉄砲疵で脈も人間のものではない。狐の類だとは思ったが丁寧に処置してやると,立派なお膳の御馳走と謝礼を出された。お金は本物であった。町の某家で婚礼振舞があり,一人分のお膳がどうしても不足していたというので話し合ってみると,昨夜医者が御馳走になった料理と一致した。後日,夜分に老人が訪ねて来て「私は鈴根五郎という狐で,先日治療していただいたのは私の長女です」と名乗り,無理やり又お礼金を置いていった。今でも鈴根五郎という地名が残っている。
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キツネ 1940年 滋賀県 狐の一家の面倒を見てやった善養寺の者は、お礼として薬の製法を伝授された。それで作った薬は大変好評で、お金持ちになった。狐自らが売り広めに回ったという。
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キュウビノキツネ 1971年 福島県 九尾の狐はおなかの大きい人を見るとその中の子どもが食べたくて、その人を呼んで食い殺していた。ある日、食べ過ぎたかなんだかして病気になったので医者にかかった。どんな医者がきても治らなかったが、今でいったら博士みたいな人がきて、左右の脈が違うということで見破られてしまった。九尾の狐はしっぽが何百年もの傷になっているので毛が剣の先のようになっている。
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コリ 1975年 東京都 東都日本橋の大場検校という鍼医が、一夕ある家に招かれ、病者を診察した。腹を撫でると毛の感触があり、驚いた検校が怪しみ、その顔に触れると獣の口があった。そこで初めて病者が人間ではないことに気づいたが、腹と喉に鍼を施して帰ってきた。狐狸が鍼術を知るために、検校を招いて病者を治させたのだろう。
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タヌキ,ダンザブロウ 1975年 新潟県 佐渡国二ツ岩という山に、弾三郎という古狸がおり、非常に霊力がある。この狸は人に金を貸していたが、返さない者が増えたので貸さなくなった。ある時医師の伯仙が佐渡で病人を治したところ、病人の家の主が大金を礼にしようとしたが伯仙は受け取らなかった。すると主は自分は弾三郎という狸であり、これは兵火や洪水によって埋もれた金を、貧者を救う目的で拾い集めたものなので受け取ってほしいと請うが、やはり白仙は受け取らなかったという。次の日、礼に短刀を置いていった。
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キツネノショカン 1976年 東京都 若年の頃、親類の家に同居していた。その家の小侍がある時外出して帰ってきたら、門から入りながら「清めろ清めろ」と言った。座敷に上がり主人に対面したいと言うので、主人が会ったところ、小侍は礼を申しながら、私は上方筋の狐であるが、この地へきたところ、くたびれたのでこの小侍の体を4,5日借用したいと言った。主人に問われるままに身の上を語った狐は、自分は善い狐だから出て行くときに小侍の疳の病を治すと言い、5日目の夜に書を残して翌朝出て行った。
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キツネ 1939年 京都府 夜、ある高名な医者のところへ狐がやってきて、妻が難産で苦しんでいるからたすけてくれと言う。医者は恐ろしくて頼みを聞かなかった。数日後、狐の親子が死んでいるのが見つかり、医者は祟りで没落した。
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ネズミノヨウナチイサナキツネ 1982年 神奈川県 戸塚宿の神主が小さな狐を飼っていた。餌をやらないと人に憑くのだという。人の病気をよく治す人達は、狐が治したり、飲む薬を教えてくれるのだと言っていた。
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キツネ 1977年 丹波国で、ある百姓の屋敷の裏の岩屋に狐が人に化けて住んでいた。膏薬を作って生計を立てており、総髪で50歳程に見えるが、300年前のことでもよく知っていたので村人の助けとなった。ある時藤の森から使いが来て向こうで暮らさなければならないといって去った。
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ノギツネ 1973年 群馬県 上野国に幸菴と号する白頭の翁がいた。彼は128歳といい、常に仏説で人々を教諭し、また人の吉凶禍福や将来の事を的確に答えたという。しかしある時、入浴しようとした湯が熱かったため、彼が飛び上がったのを見ると、全身に毛が生え、尾がある老いた野狐だった。
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キツネツキ 1942年 長野県 ある人が病気になったので御嶽講の先達に占ってもらうと、狐憑きといわれた。その後、村に2、3軒狐憑きがでた。狐がいうには、上垣という屋号の家で、食べ物をくれないので来たのだという。そこで村の者が上垣に掛け合ったが、上垣は狐など飼っていないと言った。その家の大黒さんを怪しんで川へ流したが、依然狐憑きは治らなかった。村の者は収まらず、ある夜大挙して上垣に押しかけて乱暴狼藉の限りを尽くした。上垣は代官所に訴えて勝訴したが、この件以来けちがついて家は絶えてしまった。
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キツネ 1975年 岡山県 備中足守の医者の杏庵が言うには、狐が憑いた者を数回治療したという。ある時婦人に狐が憑き、縛り付けると瘻のようであった。鍼で衝き殺そうとすると狐は屈服し去っていった。
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オイヌサン,キツネ 1971年 岐阜県 狐に憑かれた人を治すには、串原集落の中山神社のお犬さんを借りてきて病人の枕元に置くとよい。
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キツネ 1987年 奈良県 狐に憑かれると病気になって死ぬ。憑かれると、自分の顔をまたぐらに突っ込んだり、手拭を被ったり、隠れたりする。村の衆が心経を繰り、拝んであげると治る人もいる。
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シソクモチノキツネ 1954年 山梨県 病人のところに法印が押しかけ、この狐は何某の狐だと名指すと、病人の親は怒り、名指された家の婆を殺すと言って暴れる。また、某家の娘が熱病をした際にも、法印が来て畑に連れ出し、笹で熱湯をかけていると、家人が杓子で湯をかけ、娘は死んだという。家人は、狐が落ちると病人の体は喰い切られて死ぬ、と法印が言ったのを信じていたという。
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キツネ 1956年 宮城県 医師鈴木氏の談。仙台城下川内三十人町に,勝又弥左衛門という足軽がおり,狐捕りの名人として知られていた。天明の頃,榴ヶ岡の東麓沿いの東街道の辺に古狐が棲み,農家の鶏を攫ったり旅人を誑かしたりしたので,検断所の命令で弥左衛門が妖狐を捕らえることになった。亡父の喪中であったが藩の命令なので支度をしていると,牌所の僧侶が訪ねて来て四十九日も済まない内の殺生を戒めたので弥左衛門は承知した。しかしその後僧に酒飯をもてなすと,いつもに似ず大食であった。弥左衛門がこれを怪しみ,座をはずして門脇の草叢に油鼠の罠を仕掛けておくと,送り出した直後僧がこれにかかった。狐は人を計ろうとしてかえって人に計られたのである。
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テン,オヤカタ 1941年 新潟県 オヤカタ(貂)が婆さんの枕元に来て望みはないかと尋ねた。そして、望みどおり病気の治癒法を教えた。これが評判となり、役人が調査に来るとその周りで器物を飛ばすなどした。
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