ユウレイ 1975年 ある寺で夜な夜な幽霊が出て前の句を吟じて泣いたので無住になっていた。ある僧が行ってみるとやはり幽霊が出て前の句を吟じた。僧が後の句を付けたら幽霊は消えて二度と現れなかった。
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ワカノトク,クマノミョウジン 1974年 和歌山県 和歌は天地を動かし、鬼神を感応せしめる。和泉式部が熊野詣に行った際、月の障りで参拝できなかったので、「晴やらぬ身の浮雲の薄靡て月の障りとなるぞ悲しき」と詠んだ。するとその夜霊夢があり、「元よりも塵に交わる神なれば月の障りは何か苦しき」と詠まれた。その日に社参したという。
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テング 1955年 山形県 山で「花さかば……」という謡を唄うと天狗が出るので、唄ってはいけない。
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(ミコシニュウドウ) 1979年 「影ほしやみこし入道山の月」という句がある。
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スガワラノミチザネ,アマゴイ 1934年 香川県 菅原道真が讃岐の守であったとき、大旱魃で、自ら雨乞いをした。城山の天神の御託宣に従って、墨を含ませた筆を天に投げると、たちまち雨が降った。5月雨で傘が黒くかびるのは、その墨汁のせいともいう。
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〔ミズイデノサンジン〕,〔カラフカノヤマンバ〕 1931年 長野県 蓼科山には水井出之山人、虚深之山姥という鬼がいる。正徳5年の秋、山で木を切ろうとしたとき、木の唸る声がした。そのうち鐘の音や笛の音が混じり、音楽のようになった。4、5人がしわがれた声で笑ったり泣いたりする声もしたという。その後から、ひとりで山に行くときは酒を供え、木を伐る理由を権現に訴え、祈ってからきらないと祟りがあるといわれるようになった。
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シンイ 1977年 福岡県 菅原道真が亡くなり、安楽寺の御廟で左大臣の位を贈る旨の宣命の文を読むと、案上に自然に詩が浮き出てきた。重ねて太政大臣の位を贈った。
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レイム,スガカミ 1977年 先祖伝来の菅原道真真筆があり、毎年正月25日に祭礼をしていたが、3年間ほど途絶えたことがあった。宝暦2年正月25日の夜丑三つ時、主の夢に菅原道真の神影が現れ歌を詠んだ。ありがたいことだと、以降毎年正月25日には祭礼を行うようになった。
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ユウレイ 1978年 宗祇が旅行中に怪しい事が起きる屋敷があることを知りそこに泊まった。丑三つ時に幽霊が現れたので上の句を詠んだところ幽霊は感服して二度と現れなくなった。
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ミヤチヨヅカ 1956年 宮城県 松島寺に宮千代という美童がいて、和歌を詠んだ。あるとき宮城野で月を眺めて「月は露露は草葉に宿借りて」と上の句を詠んだが下の句が詠めない。そして間もなく病死する。里の人々が葬ってやると、毎夜塚の底から「月は露」という声がする。松島寺の徹翁禅師が来て「それこそそれよ宮城野の原」と下の句を手向けると、以後声はしなくなった。塚には秋に美しい紫色のスミレが咲いたという。
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オンナジュンレイ,コモリオンナ 1933年 大阪府 ある夜、女の順礼者が男に辱められた。以来、子守女が子守唄を歌いながらそこを通るようになった。しかし、姿を見た者はおらず、きっと近くのお地蔵さんが子守りをしているのだということになり、お地蔵さんを縛ったところ子守唄も聞こえなくなった。
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シュウキャク 1975年 山形県 宗祇がある寺に宿した時、夜更けに数人が連歌をした。聞いていると1人が句を吟じたが附句が続かず皆消えてしまった。次の夜も同様に現れたので宗祇が附句をすると皆消えて二度と現れなかった。
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ボウコン,チゴノミヤ 1977年 宮城県 松島瑞巌寺の児が歌を上の句しか詠めずにいる間、病に罹り亡くなった。児の執念は宮城野の原にとどまり、雨の夜に上の句を叫んだ。名高い雲居禅師は宮城野に行き、下の句を詠んで亡魂をしずめ、児の宮をつくった。
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ワカノトク,カジワラカゲスエ 1974年 群馬県 和歌は天地を動かし、鬼神を感応せしめる。源頼朝が浅間三原狩鞍の時、激しい雷雨に見舞われた。そこで梶原景季が狂歌として「昨日こそ浅間はふらめ今日は又みはらし玉へ白雨の神」と詠んだところ、しばらくして晴れたという。
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テング,ヨウレイホシ 1976年 相模入道が田楽を弄ぶという段に、どこからともなく本座、新座の田楽たちが10余人現れ列座して舞い歌った。暫くすると天王寺の妖霊星を見たいとはやし立てた。城入道が太刀を取って門内に入ると、その足音を聞いて化け物はかき消すように失せて、相模入道は酔い臥していた。座席を見ると踏み汚された畳の上に禽獣の足跡が多く残っていた。これは今で言う天狗に似ている。
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リウジン,アメヤミノウタ,マガオ 1980年 静岡県 ある年、俳諧の名人であった真顔が、門人と大井川のほとりに宿したとき、外は大雨が連日続いた。そこで皆で天やみの歌を詠み、龍神に供え、もし止むならば誰の歌によるものかを評しようということになった。するとその夜のうちに雨は止んだ。翌朝皆の歌を見てみると、真顔の歌が極めて優れていたので、止雨は彼のお蔭ということになった。
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ウシオニ 1992年 山口県 鬼が城山は、鬼が岩窪にいたから、そう言うのだという。また、鬼が美女を慕い夜毎通っていたが、家の主が気づいて斬ると、血を流しながらこの山に逃げて死んだから、こう言うのだともいう。
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アマミツミカミ 1980年 群馬県 京都で事業に失敗した男が関東への夜逃げを考え、出発前に長年信仰してきた北野天満宮に参拝したところ、夢うつつの状態である和歌の下句だけ思い付いた。その後に木曽路の途中のうすい峠のほとりの駅舎に数日泊まっていた時、同駅に和歌の上句だけ思い浮かんでいた諸侯がおり、両者の句は一致した。諸侯は天みつ御神の霊験として嘉し、信心篤い男を家臣に加えた。
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ヤマンバ,アオビ 1961年 神奈川県 福田の姥山に住む鬼のような山姥が村人を悩ませたので、満開の桜の下で毒酒を飲ませて殺した。すると亡霊になった姥が夜な夜な現れ鬼火となり燃え上がるので姥山を通る人がなくなった。徳川家康がここを通った時に和歌を詠んで姥を鎮めた。
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ワカノトク,タイケンモンイン,(アメドメ) 1974年 和歌山県 和歌は天地を動かし、鬼神を感応せしめる。待賢門院が紀州の玉津島に詣でた時、大雨が降って止まなかったので、「天下る名を吹き上げの神ならば雲晴のきて光りあらはせ」「苗代に塞下だされし銀河とむるも神の心なるべし」と詠んだところ、やがて西風が吹いて雲が晴れ、社参が叶ったという。
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