マトトリ 1956年 宮城県 「馬上渡し」という流鏑馬が行われ、矢が射られたあとの扇の的を得た人の部落が豊作になるといわれる。皆で激しく奪い合いとなる。
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ヤクビョウガミ,ウンカノカミ,オニ 1930年 全国各地 春の祭りでは、弓を射ることが慣例となっている神社が数多くある。疫病神やウンカの神などの鬼に対して、これが充分な人間への警告であり、また威嚇であるからこそ、今でも古来からの弓の術を示してきた。
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カラスヘビ 1916年 香川県 烏蛇に馬の糞を投げつけるとどこまでもその人を追いかけてくるという。その時は竈の上まで逃げれば、荒神様の力で蛇は危害を加えることができないという。
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イワシミズハチマングウ,ハコザキハチマングウ,カブラヤ 1983年 弘安4年の蒙古襲来の際に、石清水八幡宮と筥崎八幡宮の神前から、鏑矢が1つ鳴り響いて西に飛んでいったという。
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カケヅノ 1976年 懸角は犀角でできており、百鬼邪気瘴気諸毒を解する功にすぐれている。貴人の座右には必ず置くものである。
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ツキモノ 1971年 広島県 神道祈祷の一つに「弓伏」というものがある。これは、いわゆる憑きものの場合に多く行われた。弓の弦を打ち鳴らして降神、降霊を祈ったり、また弦打ち(鳴弦)をすることによって悪魔退散の行事としたものである。
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(マルキオンユミ) 1983年 大阪府 河内国壺井八幡宮の社宝の丸木御弓と呼ばれる弓は、堀川上皇が病気になった時に、この弓の三声の鳴弦に依って悪霊がたちまち退散したという。
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ジンガモリノロウエン 1956年 宮城県 沢口覚左衛門(只野伊賀の末弟)は鉄砲の名人といわれた侍であったが、文化3年(1806)9月初め、同地切込村の百姓源吉方を宿として、そこから3里ほど山奥の陣ヶ森に猟に出かけた。小雨の中、真夜中すぎに森へ着き、鹿をおびき寄せるためにオキ笛*を吹くと、ケタケタと女の声がする。鹿はその声で逃げてしまい、再度吹くと、巨大な狒々らしきけものが現れて踊り狂い、鉄砲で撃った。その時、武士の命である鉄砲を滑り落としてしまい、奇獣も探した見つからず、正八幡・摩利支天に声を出して祈願して鉄砲だけは取り戻した。源吉方に戻り、湯を沸かさせ身を浄め、神々に御礼を申し終わってから皆に一部始終を話して、怪獣の死骸を探しに行こうというと、皆はしり込みした。そのあたりは「四日切」といい、昔から魔の山沢といわれて種々の怪奇や災禍のあった不入の山だという。こうして死骸は得られず、その後その山に入る人もなかった。(*オキ笛:マタギや猟人が口に含んで鳴らす秘密の猟笛。作り方にも秘法があり、妖魔や怪獣を呼び寄せる力があるとも)
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シンシノトリ,ウマ 1931年 長野県 昔、放馬が多かった頃、2~6疋の馬が連れ立って権現へ参ったことがあった。前脚を折って拝んでいると、神使の鳥が這松の小枝を馬のそばに持ってきた。馬たちはそれを加えて帰っていった。その枝を自分のそばに置いておくと悪獣、毒蛇などを除けることができたという。
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ウシオニ,ヌレオンナ 1933年 島根県 昔、ある神職が夜釣りに行ったら濡女が現れて赤子を渡すと消えてしまった。神職は赤子を捨てようとしたが、石のようになって手から離れない。やがて牛鬼が追いかけてきて、神職が逃げていると光るものが飛んできて牛鬼の頭に刺さりそれで追わなくなった。光るものは家から飛んできた刀だった。
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セック,ヤブサメ 1956年 宮城県 流鏑馬で矢が射終ると、的の司が赤組の原町(宮城群)と白組の長町(名取郡)の若者たちの間に的や矢を投げ、激しい奪い合いになる。それを得た方が豊作になるといわれている。
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カンノンサマ 1937年 京都府 独鈷抛山の観音様をある男が狐と間違えて弓で射た。矢は観音様の眼にあたり、観音様が谷水で洗うと眼は全快した。それ以来、独鈷抛山の谷水は眼病の薬となった。
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ダイジャ 1971年 滋賀県 大字熊野に伝わる弓取式では、狩衣をまとった若者が、熊野神社の境内より神社前にある「おろち塚」に作られた的に向かって矢を放つ。これは昔、村を悩ました大蛇の怨霊を退治するための矢だという。
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ネコマタ,オンネン 1943年 山形県 東の山にねこまたが出て困っていたので、隼助という男が先祖伝来の名刀正宗を携えて退治に行き、これを仕留めた。その後、ねこまたの怨念で家内には災難ばかり起こった。刀を東山に向けて、屋根の棟に立てておくと、それ以来何の祟りもなくなった。
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ミツミネグウ 1956年 宮城県 昔、武芸の心得があった幸蔵という者の家に一匹の狼が台所から入ってくる。女房がやせ犬と思い気にもとめず、3人の子を置いて外出する。幸蔵が畑から戻ると、いきなり飛びついたので拳で何度もなぐったが屈しない。そこで両耳をつかんで叩きふせ、小川に頭を突っ込んで殺して流したが、元のところへ戻る。女房が不思議に思って占いを立てたら、「幸蔵が武芸を鼻にかけているので、懲らしてやろうと百里先から来たが負けた。霊験を与えるから葬ってくれ」とあったので祠を建てた。祠の前で、くらん返り(でんぐり返し)をすればオコリが落ちるという。
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カッパ 1936年 岩手県 昔、矢川という川のほとりで馬を川に入れていると、急に馬が驚いて厩に逃げ込んだ。見に行くと手綱に河童がからみついていた。河童は自分の宝物のサラをやるから許してくれといった。これを削って飲めば打ち身やくじきが治る整骨の薬になるという。その功能は高く、名薬といわれた。
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オウギ,テング,センニン,コウジン 1934年 山梨県 昔、悪太郎と言う腕白な子供が悪戯をやめるかわりに、仙人から鼻を自在に伸び縮みできる宝の扇をもらった。その扇で天狗と荒神の戦いを助け、自在に空を飛べる宝扇をもらった。その後前者の扇はある侍の手に渡り、外国から日本を攻め取ろうという敵がきたときに、敵の鼻を伸ばして切りつけたという。扇は軍神として祭られ、日本一の神様になっているという。
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テングノヒジュツ 1956年 宮城県 昔、立石屋敷の佐藤松吉という者に理八とよぶ武芸好きな息子がいた。家が貧しく、館矢間村の小田という豪家に奉公しつつ、夜分は同村の剣道指南高木与惣兵衛のもとに通った。学ぶこと3年、20歳の頃、理八に勝つ者はいなくなったが、先生は奥許しの目録を与えなかった。理八は貧乏人の故かと僻んだが、自分の未熟さを悟って気を取り直し、毎夜同地万騎の峰の中腹にある俗称天狗の宮に、剣の工夫に通いだした。そこは昔から天狗が棲むといわれており、夜路に山犬が横たわっていたり、美しい女が現れたり、生首が飛んできたり、恐ろしいことが起こったが、理八は毎夜猿や樹木や巨岩を相手に剣の工夫を凝らした。ついに百七晩目の夜の丑の刻に天狗が現れて理八を掴み、天狗の宮の谷沢一つ隔てた天狗の角力場に放り投げられたかと思うとまた投げ返され、その間に飛空の術を会得させられた。のちに理八はここに天狗尊を祀り、村に道場を開いた。一寸の間に4,5里先の隣村に往復したり、他流試合に来た江戸の武芸者を角田の大沼に案内して湖上を歩き出して度肝を抜いたりした。評判が仙台藩公の耳に入り、養賢堂大道場で御前試合を行い、「飛剣」の名を与えられた。
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(キショウ,テンタイニカンスルジュホウ) 1956年 宮城県 三日月を毎日拝むと難を逃れる、流星が消えないうちに願い事をすると叶えられる、五社山をお参りすれば雷の災いから逃れられる、雷鳴のとき桑の枝や葉を門口に差すと落雷よけになる、線香を立てて呪文を唱えると雷が落ちない、などとされる。
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オニ,アクマビョウ 1963年 愛媛県 大島三町宗方の旧正月1日祭(大祭)は、昔、この地の西方の小島に鬼が住んでいたのを弓矢で遠くから退治したことが始まりである。後、正月11日に部落内に起こる悪魔病を弓矢で追い払う習わしとなったという。
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