セック,ヤブサメ 1956年 宮城県 流鏑馬で矢が射終ると、的の司が赤組の原町(宮城群)と白組の長町(名取郡)の若者たちの間に的や矢を投げ、激しい奪い合いになる。それを得た方が豊作になるといわれている。
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マト 1956年 宮城県 馬乗渡しの神事で、那須与一に扮した者が矢を射たあとの的を手に入れた部落は、その年豊作に恵まれ、またその的を祀ると火災予防になるという。
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ワルギ 1977年 流鏑馬で放たれる鏑矢は悪気をたちまちに退散する。その力は他の武器では及ばなく、清浄の神気が満ちる。
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ヒサマイ 1956年 宮城県 舞い終わった歌い手が扇を観客の中に投げ入れる。これを拾った観客はその年の運がよく、また拾ったものより当たった者の方が幸運ともされる。
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シシマイ、マキモノ 2001年 秋田県 三匹獅子舞で獅子と巻物が行列したあたりの田畑は豊作になり、伝染病が家々に入らないといわれている。
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フネヒキノギョウジ,ウラナイ 1964年 福島県 磐梯町本寺の恵日寺では、春のお国祭りで舟引きの行事があり、若い男女が新しい野良着をきて、くりぬき舟の両端につなをつけてひきあう。勝ったほうの部落が豊年であるという占い・予祝の意味がある。
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ヤブサメ 1956年 宮城県 旧3月3日のヤブサメの神事のとき、男児二人の矢が的に命中すれば、その年は豊作だという。
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オフダ 1989年 長野県 昔、繁盛していた家にお札が降ることがあった。ある時、ある家にお札が降り、それを近所の人が見つけて「おかげがおとずれた」と言って大勢の人が集まった。集まった人には酒やご馳走を振る舞わねばならず、その人たちは三日三晩飲み食いをしてその家の財産を飲み倒してしまったという。
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ダイコクテン,ジュロウジン,ホテイオショウ 2001年 京都府 そこに大黒天、寿老人、福禄寿がやってくる。えびす三郎は福神たちをもてなすために大きな鉢から鯛を釣り上げる。大黒が打出の小槌で地面を叩くと財宝や珍物が満ち満ちる。やがて布袋和尚がやってくる。大黒は大黒舞を舞い、布袋と相撲をとる。福禄寿は杖をつき、団扇をかざして「君が代」を舞い歌う。このようにするうちに左近丞一家は貴富の身となる。
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カッパ 1931年 岩手県 昔、川のあたりに馬を繋いでおいたら、河童が馬を引こうとしていた。主人が河童を生け捕ったが、この部落には絶対に禍をしない条件で助命したという。
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カッパ 1968年 群馬県 昔、矢陸の人が川に馬を入れて洗っていたところ、河童が馬を引き込もうとして尾につかまったので、馬が驚いて河童を引きずって村に帰って来た。村人は河童を殺そうとしたが、河童が「人寄せの時に膳椀を用意してやるから」と命乞いするので、逃がしてやった。その後、人寄せの前の晩には、膳棚岩の上に膳椀が用意してあったという。
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ムジナ 1976年 宮城県 立沢の上流に1匹のムジナが住んでいた。人を化かすが害を与えなかったので立沢太郎と呼ばれて可愛がられていた。ある時ある旦那が祝い酒を飲んで帰る際、立沢を通った。旦那は「太郎や、何でもええから化けて見せろ」と言った。すると、波の音が聞こえ、当り一面が明るくなった。あるか沖合いに船が漕ぎ出され、官女が船縁で扇の的を立てている。すると馬にまたがった武士が泳ぎ出て、弓に矢をつがえて放ち、矢は扇の的に命中、当りは拍手喝采となった。やがて鳴り物の音がおさまると、あたりは元の暗闇に戻ったという。
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ナワメ,クビナシウマ 1983年 愛媛県 小鴨部と別所部落の境の道にそってナワメと呼ばれる土地がある。毎年二月四日の節分の夜に首のない人が首のない馬に乗ってナワメを通る。これに出会うと縁起が良いとされ、どんな人でも出世できる。ナワメに家を建ててはいけにと言われた。
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ヤマノカミサン,コウジンサン,タタリ 1984年 島根県 穴見谷・大向では14日、井原谷では16日の晩はホトホトといって若者が藁で馬を作り、ホトホトといって家々をまわって投げこんでゆく。その藁の馬は山の神さんをまつったところに納める。そこは荒神さんともいわれて榊が立ててあり人がみだりに入るとたたるという。
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カッパ 1979年 鳥取県 馬子が河童と相撲をとり、頭の皿の水をこぼさせて勝った。すると河童が大きい樽と手紙を託し、向こうの沼へ手紙を届けたら樽をあける鍵を渡すという。馬子は言われた通りにしようとして、途中で寺に立ち寄ったところ、和尚が河童のたくらみに気づいた。樽に入っていたのは99人分の人間の尻で、残り1つは使いの男で間に合わせるよう手紙に書かれていた。
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ダイジャ 1971年 滋賀県 大字熊野に伝わる弓取式では、狩衣をまとった若者が、熊野神社の境内より神社前にある「おろち塚」に作られた的に向かって矢を放つ。これは昔、村を悩ました大蛇の怨霊を退治するための矢だという。
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ツチノウマ 1935年 大阪府 古市町大字誉田に神馬の塚がある。その伝説。飛鳥戸部に田辺史伯孫という人がいた。娘から子供ができたという知らせを受け、婿の家に行った。黄昏時に帰途に着き、誉田陵のそばに来ると前方に立派な駿馬に乗った男が駆けていくのを見た。馬好きの史伯孫は追い抜いてやろうとしたがどうしても追いつくことができなかった。前の男は競争をやめると近づいてきて、「この馬がほしいのなら替えてやってもいい」という。史伯孫は喜び自分の愛馬とその馬を取り替えた。翌朝史拍孫が厩へ行くと、昨夜の駿馬は土の馬に変わっていた。土の馬を引いて誉田陵の脇に行くと、沢山の土の馬に混じって自分の愛馬が立っていた。史拍孫は欲にかられた愚かさを後悔し、馬を大事に手がけ、馬が遂に死んだときに塚をたてて弔ったという。
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タノカミ 1964年 鹿児島県 他の部落の田の神を盗んで祀ると豊作になるという。
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クビナシウマ,ナワメ 1975年 愛媛県 小鴨部と別所との間に縄目という土地がある。毎年2月4日の節分の夜に、首のない人が首なし馬に乗って縄目を通った。故にここには家を建てないという。また、首なし馬を見る事は縁起が良く、どんな人でも出世できるといわれている。
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ヤタチギ 1983年 長野県 通り道に一揆があるので、道を変えるようにと言う家来と、大丈夫という土佐守の間で意見が対立した。矢占いをすることとなり、矢がさわらの木にささり鮮血が流れた。家臣は不吉だといったが守は馬で駆け抜けていった。
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