国際日本文化研究センター トップページ
怪異・妖怪伝承データベース
データベース検索ページ 更新情報 お知らせ 怪異・妖怪とは データベース検索 異界の杜 製作者
データベース検索ページ

検索対象事例

コリ
1979年
狐狸のばけた古跡は、泉州堺の少林寺、釣狐寺、上野国館林茂林寺などにある。これらには茶釜や筆跡が今でも残っている。

類似事例(機械学習検索)

ハクゾウス,ツリギツネ
1932年 大阪府
釣狐の狂言を演じる時に使う杖は、大阪堺の少林寺という寺の竹薮から得ることになっている。
類似事例

ロウコ
1977年 岐阜県
老狐の筆跡がある。濃州安八郡春近村の富農・井上与三郎の家の庭に昔から住む老狐は、代々地主と親しく、郷里の者たちと常に言葉を交わしていた。名を板益亥正といい、また別名を梅庵といっておよそ300年住んでいるという。書も巧く、また禅なども論じ、医学にも通じていた。ある時、行方知れずになり、里の者が探すと、大津の駅で見つけた。都に移住し死期も近いという。その狐はもともと寧波あたりの僧で、邪見によって獣となってしまったという。井上の子供に教えていた手習いも、岐阜山孝寂という実は野干である僧に頼んでおいたという。
類似事例

タヌキ,ブンブクチャガマ
1935年 群馬県
いわゆる分福茶釜の話。青龍山茂林寺では、四百年ほど前に、茶釜が狸に化けて(狸が茶釜に化けて?)小僧達大勢との活劇があった揚句、その釜は払い下げとなった。古物商の間を転々する間に、見世物興行をするものがいて、大いに当たった。この男が前世で善根をほどこしたためという。男は相当の資産もできたし、お釜様にも楽をさせてあげようとこの茶釜をもとの茂林寺に納めたという。
類似事例

タヌキ
1918年 群馬県
老狸が所化となって茶釜番として茂林寺に住み込んでいたが、熟睡中に尻尾を出してしまい正体が露見した。本身を見られた以上寺内に止まることができないと思った狸は、恩返しに釈迦来迎を見せて息絶えた。和尚は墓を作ってやり、茶釜の蓋を目印にした。
類似事例

タヌキ
1982年 群馬県
茂林寺に狸が化けた納所がいて、寺に大衆が集ったときには大茶釜で1000人の湯茶をまかなったりした。食堂の番の犬のために姿を消したという。
類似事例

ヨウコ
1975年 福井県
狐はずるがしこくつかまりにくいので、妖狐と呼ばれていたが、折井孫右ェ門に退治される。心残りがした村人達が狐の墓を作る。それが狐塚。
類似事例

タヌキ,ムジナ
2003年 山梨県
僧侶に化けて、泊った狸の残した書物が、藤兵ヱという人の家にあるといわれる。
類似事例

ロウコ
1977年 岐阜県
濃州安八郡春近村の富農・井上与三郎の家の庭に昔から住む老狐は、代々地主と親しく、郷里の者たちと常に言葉を交わしていた。名を板益亥正といい、また別名を梅庵といっておよそ300年住んでいるという。書も巧く、また禅なども論じ、医学にも通じていた。ある時、行方知れずになり、里の者が探すと、大津の駅で見つけた。都に移住し死期も近いという。その狐はもともと寧波あたりの僧で、邪見によって獣となってしまったという。井上の子供に教えていた手習いも、岐阜山孝寂という実は野干である僧に頼んでおいたという。
類似事例

キツネ
1982年 群馬県
正通和尚が榛名山で守鶴という旅僧に会い、ともに茂林寺を建立した。守鶴は寺務として、寺に大衆が集ったときには大茶釜で1000人の湯茶をまかなったりした。ある日昼寝していて狐の正体がばれ、寺を辞して姿を消した。件の茶釜がいまもある。
類似事例

テングツブテ
1976年
古今著聞集に、三条右府白川の家で天狗礫があったが、狐狸数頭を捕らえるとなくなったとある。
類似事例

タヌキ
1933年 京都府
化ける動物は古来色々あるが、特に狐狸が有名で、建仁寺の山門に化けた狸の話がある。
類似事例

フルダヌキ
1955年 岡山県
ある雨の夜寺に老人がやってくる。老僧は青石を焼いておいて老人に在所を尋ねる。日が暮れたので宿を乞いたいということであった。老僧は夕飯も過ぎたが蕎麦焼きならあるといって焼いた青石を老人の膝に投げると、老人はあっと叫んでそのまま出て行くが、谷で死んだ。翌朝行って見ると谷底に穴があり、そこで古狸が焼け死んでいた。膝と思ったのは陰嚢であった。その土地の名を玉落谷という。
類似事例

タヌキ
1982年 群馬県
茂林寺で守鶴という旅僧が住み込み、分福と言う呼び名で使われていて、寺で江湖があったときには大茶釜で1000人の湯茶をまかなった。分福は何時になく朝寝し、狸の姿を見られた。狸は暇を申し出で、釈迦の御説法の様子などを見せて姿を消した。そののち、件の茶釜の蓋がなくなっていたので、それを咥えて去ったものとわかった。
類似事例

ナカヤマトウゲ,オイヌイシ
1956年 宮城県
仙台市の北山から泉市の根白石に越える峠。昔は狼が多いので知られ、根白石の山根から仙台へ炭薪を行商にくる人々は、夕方集合して駄馬を一団にして最後尾の馬はモトツ(手綱)を引きずり、狼除けとしていた。ある日実沢の百姓が夜に独りで峠にかかると、1匹の狼が口を大きく開いている。咽喉に挟まっていた骨をとってやると尾をふりながら去った。次の夜、その狼がお礼に猪をもってきて、縁側においてあった。それ以後仙台から夜に帰るときは、骨を抜いてやった場所にいて送ってくれたので、峠から実沢への分かれ道に三峯の碑を建てた。これを狼(オイヌ)石という。
類似事例

タヌキ
1932年 愛媛県
昔、猟師が狸を捕えようと狸穴の前で青松葉を燃やし燻していたところ、高僧が従者を従えて現れ、殺生すれば仏罰が下ると戒めたので、猟師はその言葉を信じ火を消した。するとたちまち穴から古狸が飛び出して山深く分け入ると同時に、高僧も従者も消え失せたという。
類似事例

コリ
1951年 兵庫県
太山寺の裏は、昼間でも暗いように思う所である。山を削って道路にしたため、狐狸がまだ石を投げると言われている場所である。
類似事例

キツネツリ,タンペイ
1983年 神奈川県
文化年間の頃、相模国の丹沢というところに、丹平という狐釣りの名人がおり、この者は人に憑いている狐もたやすく取るという。
類似事例

ヒタチボウカイソン,エツナギツネ
1931年 山形県
瓶割山は判官の北の方がお産をしたところである。その歳、常陸坊海尊が飯綱狐を使って安産させたといわれている。信州の飯綱山、京の稲荷山の飯綱狐は陀吉尼(だきに)天の法であるが、仙台の飯綱三郎は海尊が残したものであるという。明治の頃、禅僧が瀬見に宿泊したとき、不思議な老人に狐を預けられた。楕円形の重い石で、石の膚理が狐9疋の形になっている。今は秋鹿郡石巻の小西九兵衛という人が珍蔵している。
類似事例

クマノジンジャ
1956年 宮城県
平安末、仙台市と名取市の境の前田に1人の巫女がいて紀州の熊野に年参りをしたが、老後長旅に堪えず、保安4年(1123)、名取川を音無川に見立て、岸に新宮証誠殿、その西に本宮、高館山に那智権現を勧請して、熊野三所権現と称した。巫女は老いて名取老女と呼ばれた。あるとき、熊野の修験が陸奥に下り証誠殿に参籠すると、枕辺に子童が現れ、陸奥に名取老女がおり久しく見えぬが、これを渡してほしいといって消え、枕辺にナギの葉があって「道遠し年もいつしか老いにけり思い起こせよわれも忘れじ」と三十一文字が書いてあった。修験が陸奥に下って老女にこれを伝えると、感激に涙を流して三社を案内したという。
類似事例

スギ,ウバスギ
1956年 宮城県
鉄道が敷かれたときに伐られた姥杉が、夜な夜な泣いた。*他にも姥杉は多数あるが由来、伝承はない。以下に地名を記す。仙台市・川内仙台城本丸跡(今なし)、仙台市太白区長町茂ヶ崎旧大年寺楼門前、仙台市青葉区八幡五丁目山上清水姥神(今なし)、遠田郡涌谷町箆岳観音堂、栗原郡築館町双林寺。
類似事例

国際日本文化研究センター データベースの案内