マトトリ 1956年 宮城県 「馬上渡し」という流鏑馬が行われ、矢が射られたあとの扇の的を得た人の部落が豊作になるといわれる。皆で激しく奪い合いとなる。
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カミノオウゴ 1976年 香川県 那須与一が扇の的を射ようとした時、海上は風波が荒く船も上下に揺れて、的が定まらなかった。神の擁護がなければ射ることはできないと思った与一は、伊勢太神をはじめ八百万の神々、わけては氏神・那須大明神と心に念じたところ、風も波も穏かになり難なく射落とせた。後に与一は神領を献納した。
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ダイジャ 1983年 香川県 与一権現という社に祀られる与一は、狩りに行った際にそこで大蛇に飲まれたという。
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コエノヌシ,ホウネンノカミ 1973年 沖縄県 下幸二という屋号の家の子が、山に猟に出かけたきり戻らなかった。ある嵐の夜その子の声が神となった自分の姿が見たかったら旧暦六月の最初の壬にある場所に来るようにと告げた。神が部落の近くに現れた年は豊作になるので、神の宿る面をこしらえた。
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タヌキ,コウシンシンパチ 1922年 徳島県 天正寺の庚申さんは神籤が良く当ると評判だが、これは庚申新八という狸の力という。新八が住んでいた庚申谷の近くには蜂須賀藩の火術指南北島藤蔵が住んでいたが、その流れ弾が新八の棲家に当り、眷属が多く殺されたので悪戯をはじめたという。子分に老婆や20位の女に化けさせて藤蔵やその弟子をだまさせたりした。また新八も道路を川と見せて、美女に化けて北島氏と相合傘で一緒に帰り、カサを卒塔婆と取り換えるなどしてだましたが、終いには北島氏に撃たれて死んだ。その死体は3日めにようやく狸に戻ったという。
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キカズドウロクジンサマ 1987年 長野県 長久保の町外れにある道祖神。魔物や疫病が入りこまないようにしてくれる神様で,2月8日におはぎを供えてあんこをお顔に塗ると良縁が得られると信じられた。孫の耳が聞こえないのに悩んだおじいさんが毎日道祖神様にお参りしていたが,100日にもなろうかという天気のよい日,孫とお参りを済ませて帰ろうとすると南の空が俄かに曇り,雷が落ちた。孫を助け起こすと「でっけえ雷の音でおっかねえ」と言ったのでおじいさんは喜び,お礼として,家宝にしているお椀の底に穴を開け紐を通して差し上げた。以後,耳の病気にご利益があると信じられ,「きかずどうろくじん」と呼ばれた。
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カンノンサマ,フエノネ 1929年 熊本県 笛鹿という里では、いつからか観音の堂ができた。観音様は、里に大事があった時には鹿に乗って笛を鳴らして、里へと下ってきた。里の人は、この姿を見ると膝まづき、災厄に備えた。老翁は先日火事があった時、観音様の笛の音を聞いたという。翌日に老翁は災厄への備えを怠らないようにと里人に説いた。
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ムジナ 1939年 岐阜県 狢は山に火を点けたり僧侶や娘に化ける。ある人が田の草を取っていると兄弟が馬子となって馬を引いてきたので待っていると、しばらくしてその人は消えたという。また祭りのときに露店を開き、菓子を売っている人が全部を売り尽くし喜んで最後に財布を開けてみると銭はなく木の葉だったという。それらは全て狢の仕業という。
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マモノ 1968年 滋賀県 左義長とは俗に小正月に行なわれる火祭りのことを言うが、八幡では昔巨大な魔物が来て街の人々に災いをもたらした。そこで街の人々が協力して魔物を退治し、神社の馬場で焼いた。以後平和な街になり、その時のことを模倣して行なっているのが左義長の行事であるという。
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ヤマノカミサン,コウジンサン,タタリ 1984年 島根県 穴見谷・大向では14日、井原谷では16日の晩はホトホトといって若者が藁で馬を作り、ホトホトといって家々をまわって投げこんでゆく。その藁の馬は山の神さんをまつったところに納める。そこは荒神さんともいわれて榊が立ててあり人がみだりに入るとたたるという。
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クビナシウマ,ヤギョウノカミ 1984年 愛媛県 上須戒村と高山村の境にある小笹ヶ城から多田村の小笹ヶ城までの道を、毎月27日の子の刻に烏帽子、狩衣を着した貴人が、頭のない白馬に乗り、舎人を一人連れて通る。これを人々は夜行の神と呼び、出会うと熱病を受け死ぬと伝えるため、27日の夜はその道を通る者はいなかった。しかし、ある時高山村の百姓がこれに出会い、道の下の岸陰に隠れていると、夜行の神が足を止めて「この道の下に人がいる」と言ったが、舎人が「この者は下人です」と告げたのでそのまま通り過ぎ、命拾いをした。
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バカクサン 1931年 和歌山県 馬角さんは漁労の神で、紀州徳川家初代の頼宜公の馬に生えた角を家臣の某かが藤白権現に奉納したものであるといわれている。三葉葵の紋が入った厳重な5重の箱に入れられ、大きさは1寸弱の蛹くらいに見える褐色物であり、牙には見えない。魚の取れないときに馬角さんを漁場に持っていくと魚が集まると信じられており、遠くからもこれを迎えることがあったという。
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マモノ 1976年 滋賀県 昔八幡の街に巨大な魔物が来て、街の人々に災いをもたらした。そこで街の人々は協力して退治し、神社の馬場で焼いたので以後、平和になったという。その時のことを今に模倣して行なっているのが左義長であり、足は3本、胴に見たてられている木枠台の中央部の前面には山車を飾る。また左義長は人に似せると悪いという。
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ビンボウガミ 1957年 兵庫県 但馬では、暮れには大火を焚かないと、貧乏神が逃げないと言われる。
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ノウシンマツリ 1965年 岩手県 三月十六日、山の神様が山に帰り、代わりに農神様が里に降り、農業を保護してくださるので、各戸が朝早く起床して火をたく。煙を空高くあげると吉事がおこるという。
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カミサマ 1995年 愛知県 石作神社でお祭りがあるごとに怪我人が出た。神様が騒がしいことが嫌いだということになり、笛や太鼓をやめて馬に藁で飾りをした花馬だけで祭りをするようになった。
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カミ,ナスムネタカ 1980年 香川県 源平合戦で著名な那須宗高(那須与一)が船上で矢をつがえている時、目を閉じて神を念じると風はやみ、船は安定したという。
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リュウ,タタリ 1960年 岡山県 お綱まつりを行うのは火災よけの守り神である龍のたたりをおそれてであり、お綱祭りを行わないと火災があるという。昭和19年にこの行事をやらなかったために町内に火事があったという。
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アメ,ウマ 1975年 岡山県 作州のある村に陰々とした所に小さな池がある。日照りが続いた時は村人が馬の頭骨や骨、また馬の屎や履などを池に入れ、大勢が水面を撃って雨降るか降らないかなどと様々な祝言をいう。すると大雨が降るという。
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セック,ヤブサメ 1956年 宮城県 流鏑馬で矢が射終ると、的の司が赤組の原町(宮城群)と白組の長町(名取郡)の若者たちの間に的や矢を投げ、激しい奪い合いになる。それを得た方が豊作になるといわれている。
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