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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

ワニガフチ,ヒトミゴクウ
1956年 宮城県
鮫島と鰐ヶ渕が浜の海上にある。ヌシは鰐で、養留(かいとめ)、高畠、太平楽の三人の長者から、毎日女中1人を交代に出して赤飯を供えないと海が荒れる。あるとき、養留の女中が鰐に向かって「人身御供になるから、どこにでも立ち去ってくれ」と頼み、投身する。鰐は姿を見せなくなる。

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アシワセノクマ
1976年 新潟県
御名部の崎という所に粛慎人が船に乗ってきて、春夏漁をしていた。島の人は、これは人ではなく鬼魅だといい近付かなかった。また島の東の禹武という村の人が椎の実を焼いて食べようと灰に埋めたところ、2人の人になって火の上に飛び上がり争い始めた。占いをすると、この村の人は魃鬼のためにまどわされると出て、その通り、掠め取られた。この後、粛慎人は瀬川の浦へ移った。浦の神はあえて近付かなかった。これにより水は減って、その水を飲めば半分は死んだ。これを俗に粛慎の隈という。
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オカネウムムスメ
1956年 宮城県
昔、名鰭沼のふちに夫婦が住んでいた。子どもになかなか恵まれず、願かけて神に祈っていると、春の猫柳の芽がふくれる頃、嫁の腹が大きくなり、ついに女の子が生まれた。しかし片目片耳の子だったので、人目をさけてボロに包んで納屋においておいた。あるとき用事で、どうしても子を背負って町にいかなければならぬことになったので、慎重に包んで出ていった。町の用事がすんで帰るとき、石の上に子どもをおろして休んでいると、腰のまがった白髪の爺さんがきてボロをはがして子どもを見て「これはいい子だ。神様の授かりものだ。今にお金を生むから毎朝米一粒ずつつかませておけ」と言い残して消える。ためしに米一粒つかませるとお金を一つ産んだ。夫婦はしだいに金持ちになったが、慾の出た夫婦は「うんとつかませたらうんと生むだろう」と、ある日つかみきれないほど米をつかませると、子どもは死んでしまった。
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ゲンベエブチ
1956年 宮城県
霊屋橋下左岸の渕、崖の上に源兵衛という者が住む。五月雨のふる夜、渕のヌシの鰻が若い女の姿に化けて源兵衛を訪ね、「明晩、賢渕の蜘蛛と合戦があるから、源兵衛ここに控え居るといってくれれば勝つ」、と加勢を頼む。当夜臆病な源兵衛は約束に背いて家の中で震えていて加勢しなかったので鰻が負ける。夜が明けたとき向岸に大鰻の頭が浮かび、源兵衛はそれを見て気が狂って死ぬ。
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イナリマルノソウナン、フナダマサマ、モウレンブネ
1956年 宮城県
明治43(1910)年旧暦8月21日女川町塚浜を出帆した木村幸吉所有の大型船稲荷丸は,23日金華山沖で時化に遇い転覆,乗組員は海に投げ出された。船霊様に供える昼食を炊いていたカシギ(炊事係)の養八は,海に放り出されても夢中で釜を離さずにいると,誰かが後ろから押し上げて船に寄り付かせてくれた。一方,22日の朝食時に後輩丹野甚吉に対し仏前に供える一杯飯のように箸を突き立てた山盛飯を差し出した米倉悟,そしてその仕返しとして夕食時に一升近い飯に箸を突き立てて悟に差し出した甚吉の二人はいずれも行方不明となってしまった。
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サメ,ワニ
1936年 福島県
淵に斧を落としてしまい、呆然と佇んでいると、水面から鮫が現れて一緒に探してくれると言う。鮫に誘われて水中に行くと御殿があり、饗応を受けた。鮫は金・銀・よごれた斧を順に出し、爺さんは正直に自分の斧を選んだ。鮫は正直を喜び金・銀の斧も爺さんに渡した。爺さんが家に帰ってみると3年の月日が経っていた。鮫の教えを破って水中のことを皆に話すと、爺さんは淵の底に沈んだ。これは鰐の話としても語られる。
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〔ゲンタロウバア〕
1973年 富山県
源太郎婆がブリを一本欲しいと漁師に頼んだがもらえなかった。怒った源太郎婆は海に入って死んだ。それ以来そこで魚が獲れなくなった。これは源太郎婆の仕業だといわれ、二月一日に供養する。
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シチホンザメ
1934年 三重県
漁師が息子と2人で海鼠を取るために海を覗いていたら、悪鮫が息子をくわえて行った。漁師は復讐するため、旧暦の6月24日に上がってくる七本鮫をつかまえ、腹を裂いてみたが中には何もなかった。そこで寺で謝罪の供養をしたが、その家はとうとう没落した。
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ウバ
1985年 北海道
蝦夷地が開けていなかった大昔、白髪の老人が水を海に垂らして鰊を呼び、島人を助けるように姥に壷を渡した。鰊は大群で押し寄せ村人は喜ぶが、姥はどこにもおらず、厨子の中に一体の神像があるだけだった。この像を祀ったのが姥神大神宮である。
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ゲンベエブチ
1956年 宮城県
昔1人の僧が、毎年盆中に米ヶ袋の家を歩いて棚経をあげ、盆棚のお下がりを馳走になっていたが、何年たっても年を取る様子がない。ある年、またやってきて一軒の家で麦飯を馳走になる。そばで3,4人の若者が下の渕で毒流しの相談をしているのを聞きつけ、盆中の殺生は止めなされと固く戒めて帰る。源兵衛という者が跡をつけていくと僧は渕の中に消える。源兵衛が毒を流すと大鰻が浮んだので割いてみると、腹の中から麦飯が出る。
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クジラ,オンナ,ユメマクラ
1996年 三重県
不漁の時、海山町白浦にある寺の住職の夢枕に女に姿を変えた鯨が立った。私は龍神に仕える鯨だが、出産する場を探して明日この町の沖を通るので、見逃して欲しいと哀願した。
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ミガワリジゾウ
1987年 長野県
昔,女中や下男を沢山使っている長者がおり,昼食を田に運ぶ仕事を女中にさせていた。その中に信心深い娘がいて,村の地蔵の傍を通る時には一椀に飯を持って通っていたが,「娘が男の所に飯を運んでいるのではないか」と噂するものが出た。そこで長者は娘を問いただしたが,地蔵にあげているという娘の言葉を信じず,焼け火箸で顔を焼いて白状させようとした。ところが不思議なことに娘は火傷せず,地蔵様の額に火箸のかたがついた。その後,長者は貧乏になり,娘は無事に暮らしたという。
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ドクジャ
1976年 静岡県
桜村に池の社という方5町程の2つの池がある。毎年8月彼岸の中の午の刻に半切り桶に赤飯を盛って水泳が達者なものが池の半ばまで押し行き池の真中で手放す。池の水が渦巻いて桶は水中に沈む。伝えによると昔、国主が入国した頃、妾とこの池辺りに遊興した。すると俄かに池に波が立ち妾が池に引き込まれてしまった。国主は怒って池に焼いた石を投げ入れさせ続けた。7日7夜続けたところ毒蛇が死んで浮かんできた。頭は牛のようで、背に黒い鱗があり、白い角が生えていた。また肥後の阿闍梨皇円の霊魂がこの池に入ったとも言われる。
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キツネ
2002年 愛知県
幕末の頃立派な武士が3人浜辺へ来て、彌兵太の漁船に伊勢へ越す船便を頼んだ。引き受けたが、その夜生魚が食い荒らされているのを見つけた。狐と思い正体を現して詫びなければ海へ投げ込むと脅すと、3人の武士は謝り、実は私たちは儀路の籐兵衛、小原の勘治、小浜のお菊であると言い、許してくれれば必ず漁のあるようにするといった。その後不漁をかこつと必ず大漁があったという。
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イチキシマヒメ
1978年 広島県
佐伯鞍職が大野の瀬戸で釣りをしていると、うづぼ舟が近づいてきた。そこから女官が現れ、自分はこの島の神だが、お前にこの島内のよい所に宮居を決めてほしいと行った。佐伯鞍職は新しい舟に姫を乗せて浦々を祈祷しながら廻った。養父崎に来ると弥山から烏が飛んできて先導し、脇の浦まできて消えた。姫はここを宮居と定めた。
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ヨウカイ,ヨウマ
1989年 沖縄県
昔、久嘉喜鮫殿が漁を通じて親しくなったある男が妖怪であることに気づき、その男が当山にある桑の老木に住んでいることを探し当てた。鮫殿は妻にその樹を焼かせ、妖魔は国頭に移っていった。その後、首里で鮫殿が友にその話をすると、妖魔の化身であった友が怒り小刀で鮫殿の指の間をきりつけた。それがもとで死んだ鮫殿は、指の間以外は鯖鮫のような肌で、指の間だけが柔らかかった。
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カユ,シロネズミ,チョウジャ,スミヤキ
1915年 徳島県
昔、山の上に長者が住んでいて、毎月1日と15日に小豆粥を供えていた。小豆粥は翌朝必ず食い尽くしてあった。ある代になってその先例を止めると、家族は次々と死に娘だけが残った。ある夜、白い鼠が現れ、炭焼きの友蔵の妻になるように告げた。友蔵は貧家であったが、井戸場にその価値を知らぬまま黄金が積み上げてあり、2人は夫婦になった。
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タケベラタロウ
1956年 宮城県
昔、巡礼の和尚さんがある村に入ると、1人の娘を真ん中にして家内中泣いている家があった。毎年秋の稔りのとき、向こうの山の神様に若い娘を人身御供として供えねば、田も畠も荒らされる、今年はこの家の番だという。和尚さんがその山の社に隠れていると、夜になって大勢の者がやってくる音がして「あのことこのこと聞かせんな。竹箆太郎に聞かせんな。近江の国の長浜の、竹箆太郎に聞かせんな。」と歌う。和尚さんは近江の国へ捜しに行くと、竹箆太郎とは小牛のようなブチ犬だった。和尚さんは竹箆太郎を連れて帰ってきて娘の身代りに長持の中へ入り、やってきた者たちと対決した。翌朝村人たちが行ってみると多くの猿が死んでおり、針金のような毛をした一番大きな猿が竹箆太郎にのどを深く噛み切られて死んでいた。それからはみんな安心して暮らすことが出来た。
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ミズセガキ,シロモメン
1964年 福島県
海で人が落ちたときは、村の船が3日くらいさがしにでる。死人が上がらないときは、きまった場所で水施餓鬼をおこない、しろもめんを1反、長く浜辺から海に引いて、親類・友人たちがこれを陸のほうへあげる。これにつかまってあがれという意味だという。
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イヌガミ
1922年 山口県
犬神は白と黒の斑のある鼠で、犬神憑の家に行って高粱のからを枕にして寝ると見える。犬神持は士族にはなく主に町民で、他の人から嫌われており結婚しない。犬神持は気に入らないことがあればすぐ人に憑ける。落すには祈祷をしたり焼け火箸を額に当てたりする。寿司を作っているところを犬神持に見られるとその寿司は食えなくなる。(筆者の)母の実家は萩であるが、その借家に犬神持ちがいて、ある時家の都合で立ち退きを命ずると大層恨まれて「かならず家を絶やしてやる」といわれ、その通りになった。
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ヤマオトコ
1989年 静岡県
仁科川の上流の炭山で炭焼きの男が御飯を食べていると、山男が「ヒトシャクシ」と手を出したので、熱い御飯を乗せると山男は逃げていった。その後、男は気が狂って川に身を投げたので、その供養のために人形三番叟を始めた。
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