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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

ウバ
1985年 北海道
蝦夷地が開けていなかった大昔、白髪の老人が水を海に垂らして鰊を呼び、島人を助けるように姥に壷を渡した。鰊は大群で押し寄せ村人は喜ぶが、姥はどこにもおらず、厨子の中に一体の神像があるだけだった。この像を祀ったのが姥神大神宮である。

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イナリミョウジンノケシン
1967年 福島県
尼子橋は雨が降ると水があふれ通行できず、人々は難渋していた。岩城則道の妻徳尼はこれを見て心を痛めていたが、ある時、尼の庵の前で白髪の老人が嘆息していたので庵に招きいれた。話をすると老人は架橋の意思があるというので、援助を約束した。老人は感激し、30日ばかりで橋を完成させた。渡り初めも済み、老人は再びお目にかかる事は無いと立ち去り、薬王寺台辺りで見る間に姿が消えた。不思議に思い老人がいなくなった辺りを探させると、穴があり、式に供えた餅があった。稲荷明神の化身かとこれをあつく祀り、尼子稲荷明神と呼んで橋の守護神とした。
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オリイバアサン,ウバガミ,ムラサキノヒ
1929年 北海道
折居婆さんは江差に住んでいた。毎朝神を拝み、天候を村人に教えていた。これが当たるので、人々は婆さんを神として敬うようになった。鰊が不漁になった時、夜に婆さんが紫の火を見た。そこで神に告げられたように瓶の水を注いで合掌すると、一斉に鰊の大群が押し寄せた。人々にこれを知らせた婆さんは姿を消し、姥神として祭られるようになった。
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ジゾウサマ
1956年 宮城県
昔、仲の良い老夫婦がおり、毎朝必ず神仏を拝んでいた。大晦日に銭が300文ばかりしかなく、神様に上げるものさえ買えないくらいだが、爺は少しでも何か買おうと町へ出かけた。途中、道端の地蔵様が雪まみれになっていたので、爺は自分の笠を被せ、腰の手拭いをさいて笠が取れないようにしっかり結びつけ、そのまま町にいくのをやめて帰ってきた。婆もその話を聞いて喜んだ。家にある物で神仏にお供えして寝ていると、夜半過ぎに見知らぬ人がきて、薪を置いていった。神様が持ってきたかと、夫婦はその人が行った方向を拝んだ。次の朝、薪を焚こうとして木を切ると中から大判小判が出てきた。そういえばその人が被っていた笠と手拭いが爺のといっしょであり、さては昨日の地蔵様が、と2人は地蔵様の方をしばらく拝んでいた。
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カメ,ダイカイリュウオオカミ,ダイカイリュウダイジン
1995年 愛知県
明治42年9月10日に身長約6尺、幅3尺7寸、重さ13貫という大きな亀が瀕死の状態で小佐の浜に上がった。その亀は事前に浄土寺の亀岳鶴翁和尚の夢に白髪の老人となって現われ、自分を神に祀れば諸願成就を約束すると言っていた。和尚はこの亀の死後大龍神大菩薩として寺のケヤキの根元に埋葬し供養した。またこの亀の背には奉大海龍大神という文字と共に伊賀上野町の谷村佐助ら一族の名が書かれていたが、これは病気平癒を願った佐助が伊勢神宮に祈願したところこの亀がやはり白髪の老人の姿で夢に現れ大海龍大神を名乗り、のちに亀の姿で現れ病を平癒せしめた際にこれを喜んでその背に書いて海に逃がしたものであるということだった。のち、この神に祈願すれば生活に関することで叶わないことはなかったという。
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ゴシンタイ
1943年 滋賀県
日吉神社で、昔ある僧が、1度御神体を拝みたいと思い、7日間精進して厨子を開けたところ、百姓の姿で鍬を持っておられた。2度目に開けたときは炎になって出現された。そこで僧はありがたく思って山王大明神の額を奉納した。
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ヤマンバ
1975年 福島県
姥懐中というところには、大昔山姥がすんでいて、天気のよい日にはややコをだいて現れ、たわむれている姿が見られたという。この山姥は子育ての神としてあがめられていた。
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ビンボウガミ
1934年
昔、貧乏なお爺とお婆がいて、大晦日の夜にも米なく、仕様がないので炭を半俵もくべて、火をドカドカ焚いていた。そこへ急に烏帽子をかぶった男がきた。男は貧乏神であったが、火にあたらせてもてなしたところ、大きな金の玉をもらった。
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トシヨリ,コバン
1984年 長野県
年寄りが時々里に出て米を買って帰って行った。その頃里では、貧しい人の家に小判が差し込んであることがあった。年寄りが来なくなったので見に行くとすでに死んでいた。小判をくれたのがこの年寄りと分かり、人々は祠を建ててぬすっと神様として祀った。
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エイ
1978年 沖縄県
あるとき、マサリヤという男が浜辺で釣りをしているとエイという大魚がかかった。たちまちエイは美女となり、マサリヤと契りを交わし子どもも生れた。ある日、マサリヤが浜辺を歩いていると子どもが現れて、エイのいる竜宮へとマサリヤを誘った。竜宮からの帰りに美酒がいくらでも出てくるルリ壺を貰った。マサリヤはこの壺を誰にも見せないようにしていたが、豊かになり心がおごると多くの人に見せてしまった。すると、ルリ壺は白鳥となり、東へと飛び立ち宮国のシカブヤーという家の庭木にとまった。家の主人の夢に白髪の老人が現れ、旧9月の乙卯に物忌みをして白鳥を祀れば世果報を与えると告げた。
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ユダテシンジ
1956年 宮城県
大きい湯立釜で熱湯を沸かし、これに神官が着衣のままで入り、息絶えるころに介添え人が助け出す。のち、その神官が一年中の農作物の豊凶・疾病の有無などを託宣したという。
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ネガミ,ヤマノオンカミ,アカゲモノ,ブナガヤ
1989年 沖縄県
昔、謝名城村の根神である老婆が山へ薪をひろいにいくと、身長1メートル未満の赤毛者と出会った。山の御神であるらしいので「今日は薪を取りにきた。一度で薪が取れるところを教えてくれ。そして無事に帰してくれ」と頼んだ。するとその赤毛者は消え、それが居た場所には大きな蟹が1匹いて、ブナガヤだとわかった。山を降りる途中、たくさんの薪がある場所にでくわし無事に帰った。
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マジン
1931年 沖縄県
昔、ナーマ屋の爺(アヤ)が海辺で魔神に出会った。乱れた頭髪、首に毒蛇と髑髏の首鬘をかけ、髑髏の瓔珞を腰につけ、赤い褌をした一つ目の大男だったという。爺に水を乞うたのでそれを与えたところ、魔除けの呪法を授けてくれた。七五三縄を(チビナー縄)張り、「ナーマヤーヌ・マリビキドー」と唱えればよいというもので、それを村人に伝え、難を逃れたといわれている。
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ハクサンサマ
1977年 秋田県
ある家の人が、田の代掻きの馬の口取りをする人がいなくて困っていたら、どこからか美しい女が来て手伝ってくれた。昼になってその人がいないので方々探すと、氏神の白山様のご神体の足に泥が附いていた。氏神様に助けられたのだった。
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バンバアイシ
1960年 神奈川県
昔、ある信心者の夢枕に神が立ち「一の釜西方を流れる相模川の深いところにいる。自分の体は石で夫石は川下の江ノ島にいる。上流から訪ねてきたが、水が少なく下流に行けないから八幡宮まで連れて行って欲しい」と告げた。夢から醒めて一の釜に行くと、川底に老婆のような形の石があったため社の境内に移した。その後日照りが続いた時また夢枕に立ち、「自分を一の釜に入れると雨を降らしてやる」と告げたのでそうすると雨が降った。その後石はしばらく放置されたが、川下の人が井戸端の敷石として使った。しかし、一家中の人が病気になったため、行者の進言で八幡宮へと返された。
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スイジンサン
1961年 和歌山県
水神さんは井戸の神様。お婆さんが頭を病んだのでヒヤミズで見てもらったら、水神さんを祀っていないからだといわれ、捜して祀ったら頭が治った。
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ベンザイテン,ヘビ
1935年
昔、ある弁才天の神官の家にひとりの娘がいた。近所の百姓が多忙の時期には娘の手を借りることもあった。ある時百姓が養蚕のために手が不足したのでその娘を頼みにいくと、神官の家に出産があり手がいるので娘を借りることができなかった。しかし百姓が家に帰るとその娘が来ており、都合がついたという。それから娘は毎日その百姓の手伝いをした。仕事に区切りがついたので、娘を返すため神官の家まで送ると、娘はお参りをさせてくださいと言って神社に入ったきり帰ってこない。神官の家を訪れると娘はちゃんといて、手伝いには行っていないという。そこで百姓と神官が弁才天の前まで行くとその娘そっくりの頭を持った蛇がいた。神官が礼を述べると蛇は姿を消した。
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マモノ,マドー,ウジガミサマ
1943年 高知県
昔、深山に入った杣が、日が暮れたので小屋に泊まった。すると、夜遅くに赤子を背負った綺麗な嫁さんが小屋にきた。赤子が斧を食いたといっているというので斧を渡すとバリバリ食べた。今度は自分かと思っていたら、白髭のお爺さんがやってきて、気付くと里の家の前に立っていた。氏神様が魔ドーに食われるところを連れ帰ってくれたのだという。
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ダイジャ,アクリョウ,カンノン
1974年 東京都
姥ヶ池というところに一軒の家があり、姥とその娘が住んでいた。姥は旅人を泊めて殺しては衣裳をはいでいた。ある日浅草観音が笛を吹いて、旅人に危険を知らせ、旅人は助かった。また、浅草観音は姥が地獄に落ちるのを憐れんで、児の姿で姥を訪ね、姥は児と誤って娘を殺してしまった。その後母は池に身を投げて大蛇となったが、神にして祝ってその悪霊をなだめると守りの神となって、諸々の病をしりぞけるようになった。大蛇と化したが供養により守りの神となった。
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ワカミヤサマ,タタリ
1965年 高知県
昔、人を乗せたうつろ舟(ウツロブネ)が流れ着いた。中にいる人はいっぱい金を持っていたので、村人はその人を殺して金をとった。タタリが恐ろしいので瓦の祠を作って若宮様に祀って供養した。後年、「祠が小さすぎる」との神様のお言葉があって、凶事が起きたので、木造の大きな祠にした。若宮様は女の神様だという。
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オカネウムムスメ
1956年 宮城県
昔、名鰭沼のふちに夫婦が住んでいた。子どもになかなか恵まれず、願かけて神に祈っていると、春の猫柳の芽がふくれる頃、嫁の腹が大きくなり、ついに女の子が生まれた。しかし片目片耳の子だったので、人目をさけてボロに包んで納屋においておいた。あるとき用事で、どうしても子を背負って町にいかなければならぬことになったので、慎重に包んで出ていった。町の用事がすんで帰るとき、石の上に子どもをおろして休んでいると、腰のまがった白髪の爺さんがきてボロをはがして子どもを見て「これはいい子だ。神様の授かりものだ。今にお金を生むから毎朝米一粒ずつつかませておけ」と言い残して消える。ためしに米一粒つかませるとお金を一つ産んだ。夫婦はしだいに金持ちになったが、慾の出た夫婦は「うんとつかませたらうんと生むだろう」と、ある日つかみきれないほど米をつかませると、子どもは死んでしまった。
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