オビト 1966年 香川県 10メートルもある足形のくぼみがあり、オビトの足目と呼ばれ、瀬戸内海を越えて来た巨人が残したと言われる。矢筈山には巨人が蹴り欠いだケナリ岩がある。また、飯の山と白山も、巨人がかついでいたのが落ちたのだとという。
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キョジン 1927年 島根県 昔、巨人が来て腰をかけたという腰掛石がある。
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キョジン 1927年 島根県 巨人の足跡が日向というところにある。手の跡は断魚渓にあり、附近にオオヒトという山と田がある。日向には巨人が手玉に取った丸石と称する6尺くらいの石がある。
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デーデーポ,ライラッポ 1970年 千葉県 昔、巨人が住んでいて、全国を53足にまたいだので、全国に53の足跡がある。巨人はデーデーポ、ライラッポと呼ばれる。
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デーデッポ 1970年 千葉県 昔、巨人デーテッポがいた。足がひょろ長く、蜘蛛のように長い手の大男だったという。その足跡と称する場所が各地にある。巨人が手をのばして東京湾の貝を食べたのが、菊間の貝塚だという。また、この村の入口にある小山は巨人が足の土を払い落としたあとだといわれる。東京湾を渡って千葉から東へ行ったとも、東京湾の水を飲みきれずに死んでしまったともいわれる。
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キョジン 1983年 山梨県 富士の溶岩に巨人の足跡がある。
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ダイダイボウ 1989年 埼玉県 物見台跡は「ダイダイ坊の足跡」と呼ばれ、巨人伝説が残っている。対岸の山腹にはもう一方の片足跡があるといい、山岳巨人が伊豆ヶ丘の頂に腰をおろして休んだりしたのかもしれない。
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ダイダラボッチ 1989年 埼玉県 ダイダラボッチ(ダイダラ坊、ダイダ坊)という巨人が昔いて、定峰峠をまたいで腰掛けて昼食をとったその跡が数々の山になったという。巨人の足跡は今でも山中に凹地として残っている。
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ダイダラボウ 1972年 埼玉県 だいだらぼうという巨人がいたという山がある。その巨人が山をてんびんにしてかついでいた時、足がクボの中に入り、山を投げ出してしまった。この山が二子山でクボが芦ヶ久保になったといわれる。
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デエデエボウ 1944年 山形県 雪が降ると、その上に飛び飛びに大きな足跡のようなものがつくことがある。デエデエ坊という1本足の巨人が通った跡だということである。
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オトナ 1920年 徳島県 稼勢山という山がある。その昔この辺りに巨人が住んでいて、もっこう(土を運ぶ道具)に土をいれて運んでいると、その綱が切れて土が積まれて山になったという。近くに巨人が米を搗いて、その糠を捨ててできたという小山もある。
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キョジン,オオヒト 1927年 島根県 大人の田というものがある。昔、巨人が通ったときの足跡と伝えられている。足跡は東から西のほうへ向いている。
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〔ココツドウイワヤ,フルホネドウイワヤ〕 1956年 宮城県 南蔵王のふもと大森山の西南にある。昔、この洞窟の中で、金堀りが長さ3メートルほどの巨人の白骨を発見した。
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キョジン 1939年 香川県 昔、巨人がフゴを担いで讃岐へやって来た。巨人がフゴの土を撒いたりふるったり、草鞋の土を落としたりするとそれが山になり、尿を流すと川になった。
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デーラボーシ 1987年 長野県 夫神岳は,デーラボーシという巨人が背負ってきた山だとされる。
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デーラボッチャ,キョジン 1980年 長野県 昔、飛騨にデーラボッチャという巨人がいた。デーラボッチャが背負ってきて下ろしたのが室山であり、背負子の土を払ったのが背中という山で、縄の土を払ったのが背負縄の山である。デーラボッチャは非常に大きな巨人で、槍ヶ岳に腰をかけて諏訪湖で足を洗ったとか、どこの池にはその足跡だという伝説が残っている。
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デエダラボッチ 1940年 千葉県 デエダラボッチという巨人の足跡だと言われているところが、あちこちにあり、成田町論田にもあると言われている。
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キョジン 1993年 三重県 巨人が江州から土を運んだとき、もっこから落ちた土がモッコ山になった。
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ダイダラボウ 1938年 神奈川県 昔巨人が地団駄を踏んで、尻の跡が窪んで沼になったといわれている。
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デイランボー 1987年 長野県 字大原にあるくぼ地は,デイランボーの足跡だとされる。大昔の巨人の足跡だという。
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ダイダラボウ 1992年 茨城県 昔巨人が筑波山と富士山を天秤に掛け重さを比べようとした。その時筑波山が落ちて山頂が2つに裂けた。また足跡の片方が代田に残っている。
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