国際日本文化研究センター トップページ
怪異・妖怪伝承データベース
データベース検索ページ 更新情報 お知らせ 怪異・妖怪とは データベース検索 異界の杜 製作者
データベース検索ページ

検索対象事例

ヌレグチ
1995年 鹿児島県
ある日、五人の子供が草刈に行く途中、彼らの前を歩いていた校長先生のポケットから紙切れが落ちた。それを拾った子供たちが、紙に書いてある文字の意味がまったくわからなかったが、その文字を暗記し、口にしながら草を刈って帰った。しかし、しばらくしたら子供たちの家の家畜が死んでしまい、紙切れに書いてあったのは「ヌレグチ」だったことが分った。その事件があって以来、大島では「住用方面に行くと、ヌレグチを使う人が多いため、知らない家から何かをもらってはいけない」といわれるようになったという。

類似事例(機械学習検索)

ヤマンバ
1985年 鹿児島県
母親を食べたヤマンバは、その子供たちも食べようと母の姿に化けて子供たちの前に現れる。しかし、異変に気づいた子供たちは逃げ出した。途中、魂となった母が子供たちの姿を隠したので、子供たちの命は助かった。
類似事例

カガヤイタヨウナスガタノヒト
1992年 奈良県
昼間、子供たちが薬師堂に遊びに行ったら、輝くような姿の人が出てきた。そして子供たちに「お前ら、来いよ、来いよ」と言った。子供たちは怖くなり、逃げ帰った。
類似事例

イキリョウ,ノロイ
1950年
むすびと紙切れ「イナリがデナイヨ」が門の前に置かれるということが3回あった。祖母は拝み師に相談に行くと、稲荷を祀ることとお守りを置くように言われた。そうするともう事件は起こらなくなった。
類似事例

〔センニンノモジ〕
1982年
慶長3年に大樹公(徳川家康)が狩りの時、鶴の羽裏にあった4つの文字を書いたという。この文字を天狗に遣われたという虎吉に見せると、仙人が常に唄う符字のようなものの中にある文字であるといった。
類似事例

ガッパ,センマイバラノサンキチ
1975年 長崎県
手紙を渡すように言付かったが、その手紙はガッパの証文で、左文字で書かれており、何が書いてあるのかわからなかった。
類似事例

ガランボ,カッパ
1985年 和歌山県
昔はよく子供がガランボに尻を抜かれることがあった。夏の始め頃が多かったので、川伏せの祈祷をやるようになったという。お経文の文字を書いた白い石を川に投げ入れる。
類似事例

コドモ,タマシイ
1937年 新潟県
死んだ婆さんが野原に行くと、そこに子供が出てきて、自分の墓に花を供えて欲しいという。婆さんはその後蘇生し、この子供のことを話すと、昔若くして死んだ子供がいることを知り、以来その供養をするようになった。
類似事例

ケンナンサイナンヨケノモジ
1982年 和歌山県
紀伊国に住んでいた男は弓を射るのが好きで、常に百発百中であった。しかしある時鶴を射たが当たらず、2射目もはずれた。不思議に思った男が鶴を捕らえて見てみると羽に文字が書いてあった。その文字を他の鳥に付けて矢を射ると、やはり一矢も当たらなかったので文字の守りなのだろう。この文字を所持する時は剣難や災難はないらしい。
類似事例

シラセ(ゾクシン)
1985年 和歌山県
亡くなったと同時に、母親の霊魂がすぐ子供たちのところに行って最後の別れをしたということがあった。子供のところでは、誰かが来た気配があったので表に出たが、誰もいなかった。3人が3人とも同じような目にあったという。
類似事例

ユウレイ
1990年 長野県
幽霊が出ると言って、子供たちを戒めることがある。
類似事例

(カキノキノモジ)
1977年
柿の大木が真ん中から裂けており、そこに天下という文字がある。この木はある寺の渋柿で、切って薪にしようとしたところ、文字があったため、めでたいものとして、薪にするのを止めて、京から送ってきたという。
類似事例

マキザキノジューダエモン
1958年 和歌山県
女たちがマキザキヘ草刈に一人で行くと出る。ゆえに一人では決して行かなかった。
類似事例

(ウマレカワリ)
1982年 群馬県
死んだ子に「南無妙法蓮華経」と書いて埋葬したら、牛の子にその文字が浮き出た。
類似事例

テングサマ
1984年 埼玉県
むかしは白石でも草ぶきの屋根だった頃、ある家では雨もりがするのに忙しくて屋根をふくための草刈りをする暇がなかった。ちょうどその頃、近所の人たちは草を刈って干しておいた。ある晩のこと、その家の人が、庭でガヤガヤする音をきいたが、そっとしておいたら、庭に刈った草が積まれていた。近所の人たちはこれを取り返しに来たが、1晩のうちに運ぶことはできないので、天狗さまのしわざにちがいないということになり、近所の人も草をとり返さずに帰っていった。それで人並みすぐれている人のことをあの人は天狗さまだという。
類似事例

エンコウ
1955年 島根県
馬を洗っているとえんこうが取り憑いたので、引っ張り返して捕まえたという。君谷村の玉泉寺では、今後川で人をとらないと約束して証文を入れ、口羽村の宗林寺では、和尚が岩に文字を刻んで、その文字が見えなくなるまで人をとらないと誓わせた。えんこうは毎晩出ては岩の文字を消そうと撫で続けたという。
類似事例

オジゾウサン
1973年 三重県
宝暦年間の大飢饉の折、家中死に絶えて子供が2人だけ生き残った家があった。子供たちが食べるものがなくどうしたらいいのか途方に暮れていると、お地蔵さんが自分の所へ来いと言った。お地蔵さんに毎日団子を供える人がいたので、子供たちはそれを食べて命を繋いだという。
類似事例

コイヌノヨウナカワイイモノ
1978年 和歌山県
子供たちが夜遊んで、友達の家の縁側に座っていると、足元に子犬のような可愛い者がいた。子供たちはそれを捕まえようとしたが駄目だった。そして気づくとそこは墓地だった。
類似事例

オデアシコ,ヤクジョウガミ
1937年 秋田県
御大師講で3尺あまりの萱の箸を使うのは、御大師様に24人の子供があって、それを育てるために苦心され、長い箸を使われたことから、子供が安全に育つようにという意味である。
類似事例

キツネ
1938年 長野県
昔、小学校の校長先生が狐に化かされて人の通る道より5町も上にいた。1、2年前にも狐に化かされて死んだ人がいる。
類似事例

ガラッパ
1959年 鹿児島県
昭和初期のこと、ミヤマという山へ木を拾いに行った5・6人の子供たち(10歳程度)の内、1人の女児が夕方になっても帰らなかった。大人たちはこれはガラッパの仕業であるとして、山を「町(チョウ)が動いたぞ」といいながら捜索した。結局山中で少女は見つかったが、全身スダの葉まみれになり、口には馬糞をくわえて気絶していた。問いただすと、可愛い子供たちと遊び、団子を食べていたという。
類似事例

ミガワリフダ
1974年 滋賀県
ある男が家に母と妻と子供を2人おいて伊勢参りにいった。母は継母であった。男が伊勢参りの札を買うと、しまったところにない。もう一度買ったが同じだった。家に帰ると子供が2人とも死んだというので、死に顔を見ようと埋められた場所を掘ると、なくした札が出てきた。家の二階に子供が2人ともおり、母にひどい目に遭わされていると、知らない人が来て父親が帰るまで隠れろと言ったという。男は子供たちを連れてお礼参りに出た。
類似事例

国際日本文化研究センター データベースの案内