ヒトコトヌシノオオカミ 1929年 奈良県 天皇が葛城山に登ったとき、向かいの山を登る人がいた。天皇の行く手を阻むので、怒った天皇が矢を射った。すると相手は一言主之大神だと名乗ったので、天皇はかしこんで衣を献上した。一言主之大神は、天皇が帰る際に大神山から降りてきて長谷の山口まで送りにやってきた。
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ホトトギス 1973年 新潟県 承久の乱によって佐渡国に配流された順徳天皇が、ある時ホトトギスが鳴いているのを聞いて、遠い都に帰りたいとの思いを強くし和歌を詠んだ。その悲しみを知ったのか、それ以来順徳天皇の邸宅にはホトトギスが寄りつかなくなり、またその山陵にも近づく事がなかったという。
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オハナナシ,メギツネ,チノヨウニアカイナシ 1987年 長野県 御所平の長作と原のお花は互いに愛し合い,一緒になれない時は心中しようと決めていた。その様子を見ていた山の女狐は人間の愛に感動し,長作の事を好きになった。ある日,お花が長作の前に現れ心中をせがんだ。二人は住吉の森にある梨の木で首を括ったが長作だけが助かってしまい,恐くなった長作はそのまま村を出奔する。その後村人が梨の木を見ると,そこには1匹の女狐が首を吊って死んでいた。数年後,この話を知った長作は村へ戻り,お花に事情を説明して一緒になろうと願ったが,聞き入れられず,お花は姿を消してしまった。
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ソガノイルカノクビ 1988年 奈良県 蘇我入鹿が藤原鎌足に攻められて首を切られた。その首が飛んで鎌足を追いかけたので、鎌足は多武峰に逃げ、明日香村の気都和既神社まで来て「ここまでくれば、もうこぬ」といって石に腰をおろした。それでこの森を「もうこんの森」といい、鎌足の腰掛石がある。入鹿の首は伊勢との境の高見山まで飛んでいったという。
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エノキ 「源平盛衰記」では、石橋山の戦で破れた源頼朝が木の空洞に隠れて難を逃れたことが書かれた条に、次の故事が引用されている。即ち、天武天皇が大伴皇子に襲われて不破関に至ったとき、傍らにあった大きな榎木の空洞に隠れて危機を逃れ、後に王子を亡ぼして位についたということである。
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マツノキノセイ,アコヤノマツ 1967年 福島県 信夫の郡司藤原豊光に阿古耶姫という娘がいた。ある晩、緑の衣に黒の袴をはいた少年が娘の枕元で「われは十八公の長で千歳山に住んでいるが、近いうちに斧の災を受ける。ついてはそなたの引導に預かりたい」と訴え消えた。その後この国の名取り橋の修理をするため千歳山の老松の大木が切られたが動かない。夢の少年が松の木の精だと気づいた阿古耶姫が声をかけると、軽々動いた。松の苗を切り倒したあとに植えて弔ったが、それが阿古耶の松といわれるようになったという。
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ナングウジンジャ 1956年 宮城県 祭神の金山彦、金山姫に合祀されている和加佐姫命は、同市山王の日吉神社の祭神大山咋命に恋慕され、それを嫌って逃げ出した。麻畑で芋の葉にすべって茶の木で眼を痛めるなどして船形山に逃れ、臼を作っていた神主に頼んで臼の中に隠れ、その上に神主があぐらをかいたので山王の神も断念する。南宮の村ではそれ以来、麻と芋と茶は作らなくなり、山王の村では男が船形山へ登ると神罰があたるといって登らなくなる。
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キンキ,フウキ,スイキ,インギョウキ 1975年 天智天皇の時代に、藤原千方という者が金鬼・風鬼・水鬼・隠形鬼の4鬼を使役していた。伊賀と伊勢の国はこの鬼のせいで、天皇の支配に入らなかった。そこで紀朝雄という人物が「草も木も我大君の国なればいづくか鬼の栖なるべき」と和歌を詠んで鬼のもとに送りつけたところ、たちまちに鬼はいなくなり、藤原千方は朝雄に討ち取られたという。この鬼は狐狸の類か。
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〔ネナシフジ〕,アベノサダトウ 1956年 宮城県 前九年の役に安倍貞任が敗走して、馬が倒れた時、側にあった銀杏の木の根本に、藤の鞭をかけて去った。これに芽が生じ花が咲いたが、藤はのちに枯れ、銀杏が残る。
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カミカクシ,エラブウナギ 1929年 鹿児島県 元暦二年の春、壇ノ浦で敗れた平家一族の何人かは九州から島伝いに南下しある島に上陸、西南山麓の洞窟に居を定めた。食料になるエラブウナギを海岸で捕って携えて帰ったら、兄の松千代の知らない間に松稚が消えていた。恐らくエラブウナギを捕らえた事で氏神の心に背き最愛の子供が神隠しにあったのだろう。
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ダイジャ 1967年 福島県 菅沼平というところがあり、今は水が無くなり谷地になっている。承平年中、平将門の女弟がこの国に来たのだが、藤原秀郷のために嫉妬の恨みにより自害した。その魂は大蛇になり菅沼に住み、建久年中になり、人身御供をとるなどして村人を苦しめた。ところが白鳥大明神の霊験により大蛇を射殺することができた。大蛇を退治して帰ってきたところを来の原といっているが、今は北の原ともいっている。
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ダイジャ 1983年 岐阜県 天皇が落ち延びてきた先で大蛇に襲われた。天皇の情勢が険しくなったとき大蛇のいた木が爆発し、大蛇が飛び散った。そして天皇は助かった。
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エンノギョウジャ,ゼンキ,ゴキ,ヒトコトヌシ 1928年 奈良県 役行者が岩橋を作ろうとした際、前鬼と後鬼は一生懸命働いたが、葛城の神である一言主は醜い顔を見られたくないという理由で昼間には働かなかった。これに怒った行者は一言主を縛り付けて谷間に突き落とした。憤慨した一言主は宮女に取憑き、行者が邪神をあつめ、鬼軍を使って国を狙っていると帝に進言した。帝の兵はなかなか行者を捕らえることができなかったが、母親が責められているのを知り、自ら山を出て伊豆大島に流罪になった。
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テングサマ 1982年 群馬県 弘法大師が榛名山に住もうとして千谷を作ろうとしたが、天狗様に1谷どうしても隠されてしまい、住めなくなって紀州の高野山に行った。
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オニ 1979年 岐阜県 天暦年間の事。鬼が瓢岳に棲み付き、村人を苦しめたので勅命で藤原高光が退治にきた。鬼は姿を巧みに隠したので高光は瓢岳と高賀山に6つの社を祀り、虚空蔵菩薩からお告げと白羽の矢を受けて鬼を射止めた。鬼の首をはねた刀を洗ったら鰻に変じたので、虚空蔵菩薩のお使いとして、この村では鰻を食べない。この鬼の首が念興寺にあり、持ち出すと天が荒れるといわれている。
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〔ボウフリダ〕 1956年 宮城県 天正18年(1590)、葛西大崎一揆の時、伊達政宗が黒川月舟の鶴巣城を攻めたが落ちない。農家で水を飲んだとき、そこの老婆がこの城は鶴の形ゆえ頭のところを断てば落ちると教えた。城を落としたのち褒美に金をやるといって老婆の首を斬る。その首は飛んで田に落ちる。以来、田植えになると髪を振り乱した老婆の亡霊が現れ、棒を振り回して邪魔をしたので、今も耕作しない。
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ハナサキイシ,ヤマトタケルノミコト,アクゼイ,アクレイ 1935年 群馬県 日本武尊が奥上州にやって来たとき、山に悪勢という魔神が住み、朝廷に背き人民を困らせていたので成敗した。神通力で戦いながらも敗れた悪勢は、山に包囲されて焼け死んだ。その娘は清純な処女だったが、武尊の軍勢に阻まれ自殺した。彼女の従者は哭き死んで、その亡魂が石となり、花が咲いたという。それでこの石を花咲石といった。悪勢らの悪霊は祟りをなしたが、石神として祭ると止んだという。
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リョウマ 1935年 長野県 長野市郊外の相原神社では藁製の馬を献ずる。この馬にまつわる伝説が『桐原八景』にある。信州水内郡相桐は桐原というが、そこに成務天皇の時代、壬申年2月8日この野に龍馬が出現した。村の長がこの龍馬を捕らえて天皇に献上した。この龍馬は天皇崩御の後虚空に飛行し不尽山に入り、推古天皇の時代に不尽山を出て甲州に下った。甲州曽我の大臣はこれを捕らえて聖徳太子に献上して聖徳太子はこの馬に乗って7日間虚空を飛行し、霊山奥窟に分け入った。太子崩御の際には葬礼に供し、廟の前で死んだという。
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オチアイヅカ 1979年 岐阜県 昔、武田と織田が戦って、落人が逃げてきたが桜の木のところで首をはねられた。その首が埋められた場所へ入ると死ぬといわれる。
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(シンボクノタタリ) 1977年 三重県 伊勢太神宮の山の木を伐採して売った商人は、その年に府下を追われて消えてしまったという。これは神罰だと言われた。
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