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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

スリケサ
1976年 岡山県
曹洞宗長谷山法泉寺の摺り袈裟は、もとは伊豆国修禅寺の寺宝という。曽我五郎の生まれ変わりが再生し、愛欲地獄に落ちて苦しんでいる兄十郎を、墓に摺り袈裟をかけて成仏させたという。また法泉寺の寺宝となってからも、寺の裏山になる九百歳になる老狐夫婦が乞うて摺り袈裟を掛けてもらって成仏し、寺の守護神となったという。今境内に祀る得脱稲荷がその化身と言う。

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カンノン,ニオウサマ
1930年 奈良県
昔、貧しい行者が長谷の観音に山ごもりの後、下山の途中で最初に会った女を妻にせよとの示現を受け、そのとおりにした。美しい女房だったので、王城の大殿という人が様々な勝負を挑んで女房を奪おうとしたが、神仏の加護でそれはかなわなかった。最後の勝負は相撲で、妻が連れてきた60歳ばかりの痩せた男が安々と相手の力士を投げた。これを不思議に思って後をつけていくと、男は近江の大山寺の仁王様であった。行者は長者となった。妻は瀧蔵観音の化身だった。
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ホッショウダイゼンニノレイ,ボウレイ,ノリウツリ,(レイジ),(オツゲ)
1974年 千葉県
応永年に中村家の娘に法性寺の建立者北条時頼の娘桐姫である大禅尼の霊が乗移り、寺の和尚に「我が生前の女人としての不浄けがれの為、血の池地獄で苦しんでいる。どうか血盆経を授けて救ってほしい」と懇願して来た。和尚が本尊の地蔵菩薩に祈ると満願の日老僧が現れ、そのお告げに従い東方の湖水に行くと空中に花が降り蓮台に座した血盆経があらわれそれを読誦すると亡霊である尼と女人らは成仏することとなった。
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ネコ
1961年 長野県
法蔵寺の飼い猫のトラが毎夜、和尚に化けて袈裟を着て、動物を集めて説教をしていた。和尚がそれに気付くとトラは槻の木の方に逃げて姿を消してしまった。その槻の木は幹が猫の形をしている。その後、安曇郡の方で、空が荒れて葬式ができなかったとき、猫が出て来て法蔵寺の和尚を頼めと教えた。以来法蔵寺の人気が上がり、猫寺といわれるようになった。
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キシン,オニ
1974年 愛知県
三州設楽郡、煙厳山鳳来寺で、慶安2年、ある伽藍の跡地から石棺が発見され、中から1尺計の髑髏が出てきた。それはその寺の開山が召し抱えて、開山の手により成仏させられた鬼の首なのだろうと寺僧は語った。
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ヤマノテラドウウンジ,ダイジャ,シロキツネ
1956年 宮城県
女とその懸想した男が大蛇となってから500年経た暦応元年(1338)、加州金沢の大乗寺三世明峯素哲禅師が陸奥に弘教し、岩沼竹駒神社の初午に参詣した時、老翁からこの話を聞き、その案内で大菅谷保の藤左衛門の家に泊った。翌未明山ノ寺の南の丘に登って大蛇の棲む寺跡の湖水を見、7日の間祈祷したのち一喝して杖を投ずると2頭の大蛇が現れて逃げ去る。そのとき白狐が飛び出して禅師に感謝し、永く寺の守護を約する。禅師が祈祷した地に寺を建て実相寺という。
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ジュウオウドウノジゾウ
1970年 滋賀県
十王堂の木像のお地蔵さん(恵心僧都作)を京都の仏師に洗濯に出した。ある晩、堂守の夢に「切られそうになっている、すぐ迎えに来てくれ」と知らせがあった。急いで駆けつけると、まさに鋸を掛けようとしていたので、引き取って持ち帰った。仏師はあまりに古い木なので、分割して2体の地蔵に作り変えようとしていたのだった。この地蔵は今もある。
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ショウジンブツ
1928年 奈良県
役行者の修練時代、吉野山を上りつめた金峰山に本尊を得るため、17日の間般若心経を唱えたところ、地蔵菩薩が現れた。慈悲円満の顔をした菩薩であったが、強剛な愚民を治めるには柔和な顔ではだめだと思った行者は菩薩を西に向かって投げた。その地蔵菩薩は伯耆国(鳥取県)の大山に飛び去り、そこの寺の本尊になったという。。
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タキゾウゴンゲン,ジュウイチメンカンノン
1930年 岐阜県
昔、貧しい行者が山ごもりの後、下山の途中で最初に会い、妻にした女は瀧蔵権現の化身であった。形見に留めておいた金色の片手は新長谷寺の十一面観音に用いられた。この左手は永く女の手にように暖かく、柔らかであったという。
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オイワケニョライ
1956年 宮城県
出羽国寒河江慈恩寺の覚明阿闍梨は、湯殿山の霊夢により弥陀の本尊造像を京の安阿弥快慶に頼む。快慶が精魂を打ち込んだ阿弥陀如来は会心の作で覚明に渡すに忍びず、いまだ出来ずと偽って覚明を帰したが、翌年約束どおりに訪れた覚明に渡すこととなり、名残を惜しみ近江の草津まで見送る。別れるとき笈を開くと、光明がさし一体の阿弥陀像は二体となっており、いずれが本仏とも化仏とも分明せず、二人は一体ずつ負って別れる。よって笈分如来とも身分け如来ともいう。覚明は南北に川が流れ、一本の菩提樹の生えている地を夢に見て、今の地に移した。他の一体は京都市下京区富小路六条角の蓮光寺にある。
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ヤクシ
1935年 宮崎県
法華嶽寺は皇国3薬師の1つとして名高い。和泉式部が癩病を病み、その治療のため3薬師参りをしてここで身を投じ、そのためかえって治癒したという。今でも式部腰掛松、身投岡があり式部琵琶もあるという。
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スギノボウ
1919年 群馬県
紀州法燈寺は数度の火災で再建できず、住職が困っていると、旅僧が建立を申し出たので頼んだ。旅僧は赤木山の杉の坊と名乗ったが、それは名高い大天狗であった。言いつけどおり村の火を消し物音をたてないようにしていると、一夜にして立派な伽藍が建っていた。
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アミダニョライ
1983年
後光厳院の時代、西大寺の覚乗上人は天照大神の本地仏である阿弥陀如来の姿を拝もうと、伊勢内外宮に100日参詣し、ようやく夢告を得て二見浦で金龍蛇形の姿を見た。覚乗は袈裟を海に投げいれたが神は見えなかった。するとまた夢告を得て、大平山無量寿寺に自分の姿を彫った阿弥陀三尊像を安置しているといった。実際行ってその像を見ると、覚乗が脱いだ袈裟が架かっていたという。
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タケコマイナリ,キツネ
2003年 福島県
昔、鎌田村の竹駒稲荷に加茂左衛門という男が奉仕していた。加茂左衛門は竹駒稲荷の神位昇叙の際に手を出し、自らの手に正一位の印を押されてしまった。竹駒稲荷の宮司は加茂左衛門に永久に社に仕える事を要求したが、両親に会いたくなり帰宅する。しかし加茂左衛門はいつの間にか口裂け眼光りの狐になってしまっていて、自宅から追い出される。信夫山の狐である権坊に助けを求めるが、村に戻った加茂左衛門は村人から恐れられ法印の祈祷によって石ヶ森の岩窟に封じられた。
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〔ハンソウボウ〕
1958年 岐阜県
明治19年5月のこと。ある家の夫婦が破れ衣を着てうどの木の杖をついた鼻の高い姿の御札を旅僧から買った。その夜、夫婦の夢に御札のお姿の人が出て、「山奥に大きな岩屋がある」と告げた。みんなで行ってみたところ、お姿のとおりの人が林の中にいて、坊さんについて行くと不思議な岩屋についた。坊さんの顔が半分なかったともいい、それで半僧坊として祀った。
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ヤコ
1975年 山口県
周防国三田尻の船問屋与平次という男が野狐に憑かれ、祈祷などをしても一向に離れなかった。憑いた野狐は寺に参詣すると言い出し、畜生の身であっても戒を授かりたいとその寺の和尚に頼んだ。和尚が戒を授けたところ、野狐は稲荷大明神となって寺や与平次の屋敷を守護すると言い残し、与平次の体から離れていった。
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キツネ
1982年 大阪府
大坂の法清寺に、山城国山崎から客僧が来て、加持祈祷と号し、女を集め、金銀を取り、狐を遣って富家の人々の娘を狂女にし、また加持祈祷して正気に戻すという。
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ミダノケシン
1993年 福井県
長源寺跡の近くの谷川の滝に、昔一人の侍が辿りついた。のどの渇きを癒そうと滝に近づくと、美しい女が滝に打たれていた。侍が見とれていると、女性は「私の姿をじっと見てこのまま帰ると命が危ないので、この近くの長源寺で仏道に精進しなさい」と言った。侍は仏道に帰依した。女は弥陀の化身だったという。
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メン,レンニョショウニン
1984年 福井県
昔、蓮如上人が吉崎におられたころに、夜ごと上人のもとへ参詣する嫁に腹を立てた邪見な老婆が鬼女の面をかぶって嫁をおどしてやめさせようとしたところ、鬼女の面が顔にくっついてどうしても離れない。それで、上人のところへ参り前非を悔いたら顔から面が離れた。この面は願慶寺や、吉崎周辺の寺に数面残っていて、面の本家争いまで起こっている。
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ビャッコ
2004年 長野県
飯田市願王寺の伝説では、永寿10年に将軍足利義教と鎌倉の足利持氏が戦った。持氏の末子永寿丸は山中に逃げ延びたが、父祖の業を継ぐため松川の里山に下りた。そこで不思議にも現れた白狐の指示で信仰していた鎌倉稲荷の堂をつくる。鎌倉に戻った永寿丸は、大日如来と稲荷を本尊とした願王寺を建設した。正徳5年(1715)に松川が洪水に襲われ願王寺が被害を受けた。そこで僧弁存が再興を図ると、白狐が現れて現在の地を示したという。
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シンランショウニンノエイゾウ
1955年 岡山県
親鸞上人が流罪になったとき自らの姿を自書したものが摂州乗願寺にあり、その鏤版を勘四郎というものが受けて持仏堂に安置していた。勘四郎の子も勘四郎であったが不信心な者であった。ある時持仏堂の扉を開くと表具裏打のまま上人の影像が抜け出て無かった。その頃から勘四郎の家は振動し、天井から砂石が降るなどした。信心者の藤五郎がやってきたときには怪異は起こらなかった。ついに勘四郎は仏門に入り、怪異は起こらなくなった。天明7、8年のことという。
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