コヘビ 1976年 京都府 某家で伯母が同居してかいがいしく働き、家が栄えていた。しかし妻を迎えたところ、妻が伯母に従順しなかったので、伯母を別居させ、食事を持っていくように主が命じたが、妻は主に偽って、持って行く事は無かった。そのうち伯母は病気になったのだが、その頃から妻も心地が悪いと屏風の内にこもるようになった。2,3日もこのようなことが続くので怪しんで屏風の内に入って見たところ、妻の首に小蛇が巻きついていた。修験に祈ってもらったら、小蛇を退治すると妻は死ぬといわれたが、苦しみを見かねて祈祷を頼んだところ、小蛇は首を離れ妻の口に入り、妻は死んだ。その頃伯母も死んだという。
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シリョウノタタリ 1956年 宮城県 昔,仙台本柳町の某という束巻師の一家には三人の娘がいたが,上の二人が同じような死に方をした。通夜の夜更けに呻き声が聞こえるので覗くと,娘の死顔が赤黒い鬼のようになって睨んでいる。その変化は,「我はこの家の7代前の先祖に殺された山伏の霊である。公金を携えて上方に旅した時先祖の男と道連れになったが,男は山中で私を殺して大金を奪った。先祖の男はその大金を元手に分限者となったが一片の供養の心もない。無念であったが,代々運勢が盛んで祟る事もできなかった。しかしようやく恨みを晴らすべき時がきた。偽りと思うなら箪笥の奥に自分の刺した刀がある」と申し述べた上,残った娘の命を助けたければ昔自分が望んでいた位官相応の葬列を出せと言う。夫婦が承諾すると面相は元に戻った。さて夫婦は一旦承諾したものの仰々しい葬礼を出すことができない。すると,また山伏の霊が末娘に憑いて現れ,こんな粗略な仕方では駄目だと言う。夫婦は今度こそ約束通りの葬儀を行ったが,結局末娘は数日後に憔悴して死んだ。使用人や婿養子も気味悪がって去り,家の中は荒れ果てて夫婦は行方が知れなくなった。なお只野真葛の附言として,家の下婢の実家でこの話を聞き,当時死霊に憑かれた娘の泣き狂う声が近所にまで聞こえたというので書き留めた旨を記す。
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ネコ,(オンガエシ) 1956年 宮城県 明治37(1904)年頃の話。清竜庵の保田孝道和尚は三毛猫を我が子のように可愛がっていたが,老齢で病の床に臥し,喜捨に頼って毎日を過ごさざるを得なくなった。ある朝,枕もとに鶏の卵が転がっており,人に尋ねてみても心当たりがないという。3,4日そのようなことが続き,ある日檀家の割烹扇屋の主人が見舞いにやってきた。主人の所では毎日のように卵がなくなるという。その時三毛猫が逃げるように部屋を出て行ったので,主人が卵をよく見ると,小さい爪痕や歯の傷,猫の毛などがついていたので,三毛猫の恩返しに違いないということになった。和尚は感激しながらもこれを戒め,半年ほどで示寂した。その頃から三毛猫も姿が見えなくなった。
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ダイジャ 1959年 神奈川県 数百年前、生麦に住む男が亡妻との約束を破って再婚した。亡妻は大蛇となって池から現れ、男を襲った。男は亡妻の霊に謝罪し、供養した。何年か後、一帯に悪疫が流行し、稲荷神社へ走る狐の声を聞く者や、大蛇が魔疫病をくわえて稲荷の森から海上に立ち去る姿を夢で見る者が出た。村人は稲荷大神のお告げに従い、かやで大蛇を作って家々を回ったという。
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リュウジン 1939年 岐阜県 天城氏方は豪家で宿屋業をしていたが、ある時遍路が来て嫁となった。不思議と必要な魚を捕らえてきた。後に出産することとなったが、嫁は1室に篭り決して見てはいけないといったが、夫が覗くと大蛇が赤子に乳を飲ませていた。嫁は恥じて嫁が淵に逃げ込んでいった。そのさまを黍畑から見て「キビワルク」あったので以来黍を作らないという。ある年黍を作った家では3年間不幸が続いたという。天城氏方の岩には嫁の手形、魚の跡、下駄の跡がある。また尽きない布、尽きない米俵があったが、後に尽きた。これらは龍神の為した事という。
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タメニオチタコノタマシイ,(トイギキ),(ホトケオロシ) 1984年 新潟県 70歳になったお婆さんが気がおかしくなり医者に診せても治らなかった。嫁が「沢根の不動さん」へ連れて行くと、近所でタメに落ちて死んでしまったが、あまり供養してもらえず、迷っている子の魂があり、畑仕事でしゃがんでいるときにおぶさったものだ、といわれた。また、情けをかけるといつまでも憑いているといい聞かされた。お婆さんは小さな地蔵を一つ作って大日さんにあげ、お前は坐るべきところに坐って、家のものに供養してもらえといって祈った。それからお婆さんは回復した。
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ヘビノタタリ 1956年 宮城県 昔おがら町(東八番丁)に早瀬という侍が住んでいた。ある時同家の厠に大きい蛇が這いこんできたので家人や若党たちが手に手に獲物を持って散々に打ち苛んだ。半殺しにされた蛇は柱を二巻きほどして上に昇ろうとしたが力尽きて死んでしまった。それから早瀬家には妻の死児難産,主人の乱心と投身自殺,家人の病気などの凶事が次々起こったので巫女に拝んでもらったところ,殺された蛇の霊が出て「いくら加持祈祷されても早瀬の家には七代祟ってやる」というのであった。明治時代,私(田夏氏か)の母の実家の隣家にこの早瀬家の子孫の老婆が寄寓していてその愚痴話を聞いたということである。
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オイワノレイ,ヘビ 1915年 東京都 お岩の家跡に住む者の家では、毎年盆になると必ず精霊棚に蛇が寄ってくる。この蛇はお岩の霊であると信じられていた。
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ヘビ 1935年 熊本県 鍋を買いに行った戻り、蛇に巻きつかれている雉を見つけた。蛇を追い払い雉を鍋と一緒に持って帰った。明くる朝起きたら、蛇が入り口のところで死んでいた。その晩、雉を料理して食べたら、高熱が出て寝込んだ。弘法さんと呼ばれる祈祷師に見てもらったら、蛇の祟りだった。4・5日して、その人は死んでしまった。
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オオウワバミ 1976年 茨城県 常陸国霞ヶ浦のある農夫の女房が、昼弁当をしたため、耕作の合間に一休みしようと、畑脇の大松に寄りかかり寝ていると、この松に棲んでいた大蝮蛇が女を呑もうとした。周りの人が見つけて、蝮蛇が呑みかかろうとするときに、女の頭から火炎が燃え立った。女が目を覚ましたので、集まっていた人たちが女を引き連れ退かせた。女に、何かありがたい物を身に付けているのかと尋ねたら、特にはないが、髪が乱れていたので、反故紙のようなもので元結の代わりにしているといった。その紙を開いて見たところ、それは剣先御祓いの紙で、中に大神宮と書かれていた。
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オオスギノセイレイ 1967年 福島県 笹木野の里の長者の娘に、毎晩しのんできた武士が、ある夜悲しそうに今夜限りと告げるので、娘は男のはかまのすそに長い糸を縫いつけた。あくる朝人を頼んで探してみると糸は近くの大杉の枝にかかっていた。神おろしをして聞いてみると、大杉の精霊が武士の姿になって娘のもとに通っていたのであった。精霊が今夜限りと告げたのは、福島藩主板倉公が一本の木で居室を作るための材木を探した結果、この笹木野の大杉に目をつけたからであった。大勢の人夫が苦心して切ったが、動かそうとしても次の日にはもとの場所に戻っている。古老が「精霊が通っていた女に音頭をとらせるとよい」と告げ、そのとおりにするとたちまち運び出すことができた。
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ヘビ,アラレ 1975年 京都府 京都で文化2年3月21日、東六条善久寺の妻女の頭痛がひどく、その髪際から這い出た小虫はみるみるうちに小蛇となり、戸外へ掃き出したところ、たちまち黒雲が降りて蛇を乗せ天へ昇っていった。妻女の頭痛はすぐに治ったという。その時に降った雹で、田畑のものは全滅してしまったという。
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テング 1995年 静岡県 若夫婦が赤子を小屋に置いて畑仕事をしていたら、大鷲が赤子をさらって岩岳山に飛び去った。若夫婦は大鷲を追って山に行き、2度と戻ってこなかった。それから50年程して、乞食の老婆が小屋の近くで息絶えていた。村人は赤子と老婆の墓を並べて作った。赤子を持ち去った大鷲は、岩岳山の天狗の使い。
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ネコ 1931年 福島県 穴沢善右衛門が小屋に泊ったとき、姥に化けた巨猫がやってきたが、正体を見破りこれを斬った。次の日、善右衛門の妻が噛み裂かれて木にかけられていた。そばにいた樵夫がいたが、それは斬った猫の夫で、復讐のために善右衛門の妻を殺したのだとい、善右衛門の妻の死骸を咥えて去っていた。善右衛門は郎党を引き連れて山狩りを行い、洞穴の中で怪猫を見つけてこれを殺したといわれている。
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コソダテユウレイ 1975年 高知県 昔お由里さんという女性が庄屋に縁付き、子供が生まれたが、肺病にかかり、実家に帰されて死んだ。その後、夜中に庄屋の門を叩く者がおり、子供を呼ぶ声がし、その声がすると庄屋の赤ん坊は目を覚まし、乳を吸うしぐさをするということが毎晩続いたという。世の人はお由里さんの幽霊が乳を飲ましに来ると噂しあったという。
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ヤマンバ 1975年 高知県 山姥が大根畑で大根を引き抜いていた。百姓の平八はこれを見つけ、家の中から銃をぶっぱなした。山姥は山へ駆け出したが途中で倒れたので、その死骸をその場に埋めた。それ以降山姥の祟りのせいで平八の屋敷では男子が生れず、家の後継ぎが絶えてしまった。
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オオスギノセイレイ,ササヤキバシ 1967年 福島県 笹木野の里の長者の娘に、毎晩しのんできた武士が、ある夜悲しそうに今夜限りと告げるので、娘は男のはかまのすそに長い糸を縫いつけた。あくる朝人を頼んで探してみると糸は近くの大杉の枝にかかっていた。神おろしをして聞いてみると、大杉の精霊が武士の姿になって娘のもとに通っていたのであった。精霊が今夜限りと告げたのは、福島藩主板倉公が一本の木で居室を作るための材木を探した結果、この笹木野の大杉に目をつけたからであった。大勢の人夫が苦心して切ったが、動かそうとしても次の日にはもとの場所に戻っている。古老が「精霊が通っていた女に音頭をとらせるとよい」と告げ、そのとおりにするとたちまち運び出すことができた。大杉は板倉公の居室に使用され、余った材料は大仏となり、耳語橋の材料になった。耳語橋が夜中にささやくのはこのためだという。
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トリノハカ,ネコ,ユメノツゲ 1956年 宮城県 寛文年間(1661~1673),宗禅時住職が次のような夢を見た。「自分は檀家の某家で飼われていた鶏である。某家の飼っている古猫が一族を毒殺しようとしていたので,私は毎夜鳴いて警告したが,主人は夜鳴きをする鶏は縁起が悪いといって私を殺して川に捨ててしまった。私は今六郷堰の杭の間を漂っている。主人にこのことを知らせてほしい。」住職が翌朝六郷堰に行ってみると,確かに杭の間に鶏の亡骸が浮いている。住職は急いで某家を訪れ,夢の告げを話した。その時大きな黒猫が駆け込んできて汁鍋の上を飛び越えていったが,その拍子に尻尾の先を鍋の中に漬けていった。これに気付いた和尚が家人に猫のあとをつけさせると,猫は竹薮の中で竹の切り株に尻尾を漬けていた。切り株の中ではトカゲ・ムカデ・ハンミョウ・毒蛾などが腐っていた。毒汁を溜めた場所は,一説では愛宕神社下の断崖の中腹,古杉の根元の洞の中だとも言う。主人は鶏に恩を仇で返してしまった事を悔い,供養碑を建てた。
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ミヤジマサマ,ダイジャ 1930年 広島県 清盛は安芸の国の殿様だったころ、宮島の神体であった女性に妻になれと言った。女神である宮島様は清盛に、一日の間に千畳の畳が敷ける家を作ることができれば妻になっても良いといった。天子様の落胤で神通力を持っている清盛は難なくそれを成し遂げ、宮島様は清盛の妻になることになったが、その姿が大蛇になっていたため、清盛は舟で逃げた。大蛇は追ってきたが、潮が逆流したために逃れることができた。その後清盛は、日をあおぎ返した罪のため、日の病という熱病にかかり、黒焦げになって死んだ。
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ビョウブ 1974年 京都府 勧修寺家に古い屏風があり、そこには女の子を抱いて立っている人の絵が描かれていた。これを立てておいておくと、時々その女の形が影のように外に出てくるのを見る者がいたという。
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