ヤマンバ 1999年 新潟県 人を取って食う山姥がいた。明誓上人が山姥を退治しようとして、油で焼いた石をご馳走に見せて食べさせた。すると山姥の腹が焼け、川に飛び込んで水死した。
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ヤマンバ 1999年 静岡県 山姥を何とか退治しようとして、鍛冶屋で働いていた人たちが、小石を焼いてきび団子だといって食べさせた。喉が焼きついた山姥は水を求めたので、用意していた油を注ぎ込んだ。山姥はいっそう苦しみ、川で水を飲もうとして顔を突っ込んでいるところを水中に落とした。
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アブリウオ 1988年 奈良県 深江川のアブリ魚は、腹の両側に焼けたような模様がある。子どもたちが魚を焼いているところに弘法大師が通りかかり、買い取って川に放してやると、半焼けの魚はみるみる甦って泳ぎまわった。模様はそのときの焼け焦げの跡。
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(ゼンワンヲカシテクレルイケ),イケノヌシ 1990年 長野県 西山の麓に昔大池があり、主が住んでいた。ムラじゅうに集まりごとがあって膳椀が必要になると、紙に必要数を書いて池の中に流した。すると翌朝、池の端にきちんとそろえてあったという。お返しのお礼としてどぶろくを投げ入れることになっていたという。
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キツネ 1973年 岩手県 酔っている人が魚を持っての帰り、狐に化かされて詩文の着ている服に火をつけ、周りの人に「おあたりなさい」と声をかけた。皆、驚いて服の火を消した。
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イシノホトケサマ 1943年 愛知県 釣り好きのじいさんがいた。ある日寺の裏の池で釣りをしていたが、いっこうにかからない。しばらくして手応えがあったので引くと、ちっとも動かない。引き上げると石がかかっていた。不思議なこともあると思って持って帰り、よく見ると親鸞上人の姿にそっくりだった。それで、仏様にあまりの殺生好きを諭されたのだと思って、それ以来ぱったりと釣りを止めた。
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ヒル 1981年 和歌山県 弘法大師が回ってきて餅を乞うたが、そこの人は「餅をやるから口をあけろ」と言って弘法大師の口の中に火を投げ込んだ。以来そこでは正月に餅を搗くと蛭が出てくるといって、餅を搗かない。
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サクラガイケ 1975年 静岡県 備後阿闍梨皇円が、蛇身となって遠江国笠原庄桜が池で弥勒の出世を待とうと願い、臨終の時(使いの者が)池の水をすくったところ、池の水が大いに荒れた。それは皇円の入寂と同時であった。今でも静かな夜には鈴の音が池の周りで聞こえるという。この池では、毎年8月彼岸の中日午の時に、半切り桶に赤飯を盛って、泳ぎの上手な者がこれを池の真中辺りまで押していき放す。すると、池の水が渦巻き、飯器は池に沈む。
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ヤマンバ 1999年 静岡県 山姥が子供を取って食べた。それで村の衆は仕返しに、焼いた石を山姥に食べさせた。山姥が水を求めると油をやったのでよけい燃えた。山姥は天竜川に入って死んだという。
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ニチレンショウニン,ヒチメンミョウジン 1989年 山梨県 日蓮上人は説教石に上がり、9年間身延山で修行をしていた。たくさんの人が集まってきたら、大層美しいお姫さんが側で座っている。それをみた荒武者みたいな人たちが、生臭坊主だといったので、日蓮上人が、姿を現してみなさいといって、蓮の葉の池にあった水をたらしてやったら煙が出てきて大きな蛇になりとぐろを巻き、また煙が出てきて消えた。日蓮上人は、「あれは七面明神といって、20里先の山のお池に住むものだ」といったので、みんなびっくりした。
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ドクジャ 1976年 静岡県 桜村に池の社という方5町程の2つの池がある。毎年8月彼岸の中の午の刻に半切り桶に赤飯を盛って水泳が達者なものが池の半ばまで押し行き池の真中で手放す。池の水が渦巻いて桶は水中に沈む。伝えによると昔、国主が入国した頃、妾とこの池辺りに遊興した。すると俄かに池に波が立ち妾が池に引き込まれてしまった。国主は怒って池に焼いた石を投げ入れさせ続けた。7日7夜続けたところ毒蛇が死んで浮かんできた。頭は牛のようで、背に黒い鱗があり、白い角が生えていた。また肥後の阿闍梨皇円の霊魂がこの池に入ったとも言われる。
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トビカンノン 1984年 長野県 寺に落人が逃げ込んでいると言う噂が立ち、織田信長軍がその寺に火をつけた。数日して、村人が川の滝壷近くにあるこの寺の仏像を見つけた。火が熱いので御本尊が自ら川に飛び込んだと言われるようになった。
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カタメウオ 1975年 兵庫県 摂津国川辺郡昆陽池の魚は皆片目である。昔、行基上人が1人の男が倒れているのをみつけ有馬温泉に誘ったが、男は動けず、鮮魚が欲しいと言った。上人が魚を見つけてくると、男は先に食べろという。上人が半分食べると、男は、身体に黒瘡があるので舐めて欲しいと言った。上人がそれを舐めたところ、男はたちまち薬師如来となって、上人を試すため病身となって現れたと言った。その魚の残りを昆陽池に放ったので、片目の魚になったという。
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フナ 1932年 新潟県 日枝神社境内に以前は古池があり、そこに焼鮒が住んでいた。親鸞聖人が焼鮒を池に放ったところ、蘇生してその子孫が繁殖した。それで鱗は後々までも焼けたような色であったという。
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リュウジン 1941年 新潟県 祠の前で宴会をしていたが、そのうち泥酔して祠を投げ捨ててしまった。この祟りによって、祠に乱暴したひとは返らぬ人となり、大水害によって流されてしまったといわれている。
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シンラン,ドクジャ 1935年 山梨県 親鸞が東国順化の際に同地の笹子村に住む作太郎から、吉が窪にある古池にお吉という妖婦がこもって毒蛇となり、村民を悩ましていると聞いた親鸞は、阿弥陀経を読みながら小石に南無阿弥陀仏と六字を書いて投げ入れたところ、たちまち蛇は成仏会得したという。この時の小石がそのあたりから発見される。
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チマミレノオビイ,ボウレイ 1984年 長野県 上人が乗る籠の先棒の足が動かなくなり、その先には比丘尼がいた。比丘尼は癩を病み巡礼に出たが、途中宿の主人に殺された。死体を崖に投げた男もいた。主人は行方不明に、男は自殺する。比丘尼の霊は恨みと巡礼半ばの悔しさで彷徨っていたが、上人が成仏させた。
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アユ 1932年 奈良県 北条時頼入道が諸国行脚の途中、ある庄屋の家に止宿した時に病気になった。村人が心配して村近くの瀧に、入道が回復するなら生き返れと祈願して焼き鮎を投げ入れた。すると鮎は生き返り、それとともに入道も回復した。今もそこには背の半分焼けた鮎がいる。
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ゼンワンカシノフチ 1916年 岐阜県 亀淵という所があり、龍宮に通じていると言われている。龍宮神社に行って膳椀を貸してくれるように頼み、翌朝行くと水上に浮いている。返すときも水上に浮かべる。ある時、借りた品の内1つを破損し何も言わずに返却したところ、それ以後貸してくれなくなった。今日ではこの竜王に願掛けをすれば下の病気が治ると信じられている。
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フルダヌキ 1955年 岡山県 ある雨の夜寺に老人がやってくる。老僧は青石を焼いておいて老人に在所を尋ねる。日が暮れたので宿を乞いたいということであった。老僧は夕飯も過ぎたが蕎麦焼きならあるといって焼いた青石を老人の膝に投げると、老人はあっと叫んでそのまま出て行くが、谷で死んだ。翌朝行って見ると谷底に穴があり、そこで古狸が焼け死んでいた。膝と思ったのは陰嚢であった。その土地の名を玉落谷という。
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