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検索対象事例

キツネ
1954年 島根県
明治23年、小津浦と多井浦との間で漁業権の争いが起きた際、小津浦の裏手で夜な夜な狐の鳴き声がしたので、部落では神職を頼んで狐の心を聞いてもらうことになった。神職が誰かノリクラに立たないかと言うと、希望者が次々に現れた。狐の心を聞いたところ、正一位の位を与えれば争いに勝たせるとの託宣が下り、果たしてそのようになった。

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キツネ
1982年 宮城県
魚を馬につけて売りに行く人が、人間に化けた狐に魚をよく取られたので、次に声をかけられたときにはきっちり縛りつけて殺そうとした。それを見た及川氏の先祖が助けてやれと意見し、狐は助かった。その夜、狐が及川家の平貝の沢という田圃で唄を歌いながら田植えをし、その田圃はその年豊作になった。
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キツネツキ
1922年 山口県
大正2年1月に、筆者宅にある婦人が狐憑きになりやって来た。その狐と問答をして、ある坊主がある女から金を貰い、この狐を使っていることが分かった。狐の子供が坊主の出した油揚を食べてしまったため、仕方なく使役されているという。明治天皇の御影を使い、天子の御家来に害を成すではないと諌め、憑かれた女に給養させることを約束し、退散させた。しかし数日後また婦人がやってきた。問答すると坊主に弓で威嚇され、再び憑いたという。筆者は狐を神の眷属とすることを約束し、立石大明神を招いて吉松稲荷大明神の眷属となる許可を得、解決した。
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フルダヌキ
1956年 宮城県
鯨島には昔、古狸が住んでいた。朴島の漁夫が夜釣りをしていると、鼓の音がして名を呼び、屋島の戦や壇ノ浦の戦の浄瑠璃を聴かせ、続きは明日の晩聴かせてやるといった。翌日村の仲間一同で島の近くへ夜釣りに出たが何事もなく、漁夫はみんなから冷笑される。次の夜独りで行ったら後段を聞かせてくれた。以後、独りで行けば誰でも聞けたという。島の東南中腹に奥深い洞穴があって、古狸のすみ家という。
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キツネ
1981年 神奈川県
魚屋が新鮮な魚を持っていると狐がついてきて、家に住みついた。その後、魚屋の家は栄えるばかりで、狐は亀五郎いなりといって祀られるようになり、何か事がある時には夢知らせをしたという。
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キツネ
1977年 東京都
元禄の頃、本所小梅の稲荷の社に狐が住んでいた。近所の茶屋の老婆が呼ぶと姿を現すが、他の人が呼んでも出てこなかった。
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キツネツキ
1942年 長野県
ある人が病気になったので御嶽講の先達に占ってもらうと、狐憑きといわれた。その後、村に2、3軒狐憑きがでた。狐がいうには、上垣という屋号の家で、食べ物をくれないので来たのだという。そこで村の者が上垣に掛け合ったが、上垣は狐など飼っていないと言った。その家の大黒さんを怪しんで川へ流したが、依然狐憑きは治らなかった。村の者は収まらず、ある夜大挙して上垣に押しかけて乱暴狼藉の限りを尽くした。上垣は代官所に訴えて勝訴したが、この件以来けちがついて家は絶えてしまった。
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キツネ
1998年 奈良県
昔、寺の裏に竹薮があり、そこに狐が棲んでいた。その狐が、夜になると人間のように鐘を叩き、お勤めをしたという。
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モノヲイウサカナ
1957年 沖縄県
部落内の争いに敗れた三人が魚を釣って食べようとすると魚がしゃべり出し、「お前たちの方が正しかった。大津浪で部落をさらうので逃げろ。」と言った。そして、明和の大津浪が来て、白保の部落はさらわれた。
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キツネ
1984年 山梨県
母(1873年生)から聴いた話。境川のマエダ集落の人が甲府への行き帰りによく狐に騙された。あるお爺さんが狐の好物を持っていたら子供に化け出たので、馬にしっかり縛って捕えた。村人が集まって、正体を見せた古狐を殺そうかと相談していたら修行の坊さんが通りかかり、命ばかりは助けてやれと言うので助けてやった。捕まったのは雌狐で、坊さんはその番いの雄狐が化けてきたものだった。以来、その狐は人は騙さず、稲作の害になる鳥などを食べて村を助けるようになったので、狐川稲荷として祀った。
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キツネ
1974年 愛知県
尾張大納言が津島で鷹狩りをしていた時、薬の調合のため狐の生肝を所望した。そこで餌指の市兵衛が狐を捕まえ、残りの肉と皮までもらいうけた。すると清洲にいた彼の妻にその狐が憑き、恨みを晴らそうとしたという。それを聞いた大納言は、狐は霊獣なので道理が通じると考え、家臣の真島権左衛門を派遣し、今回のことは薬を調合するためであり、同じ死すべき命を人間の薬のために使ったのだから喜ばしい事ではないかと狐を諭した。すると狐は我らのような畜類に、大君の厳命を頂けるのはありがたいと言って憑くのをやめたという。
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キツネ
1984年 愛媛県
河野通直という男の妻が二人になった。姿や発言も同じだったので、しばらくはどちらが本物なのか分からなかったが、食べ物を食べている時に違いが出て、捕らえて拷問したところ、狐の正体を現した。この狐を殺そうとした時、四国中の狐が集まり、この狐は貴狐明神の末稲荷の使者長狐という日本の狐の王であり、これを害した時は国に大災が起こり、化けの神変が断絶してしまうので助けてほしいと願い出た。河野はこれを聞いて不憫に思い、四国中の狐が四国から立ち去れば助けようと誓文を書いて約束した。以来、四国には狐がいなくなった。この誓文が今も河野家に伝わるが、これをなくすと狐たちは戻ってくるという。
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ウリウタニノオヨネギツネ
1975年 福井県
うりう谷に狐が住んでいるという噂が伝わったが、ある日、風もないのに孟宗竹の林の中から鉦を叩くような音が聞こえた。村人は「うりう谷のおよね狐に仕業では」と言った。
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キツネ
1982年 宮城県
及川氏の先祖が魚を馬につけて売りに行くとき、人間に化けた狐に魚をよく取られたので、次に声をかけられたときにきっちり縛りつけて捕まえた。同輩は殺そうとしたが及川の先祖は助けてやれと意見し、狐は助かった。その夜、狐が及川家の田圃で唄を歌いながら田植えをし、その田圃はその年豊作になった。それから及川家ではお稲荷さんを祀っている。
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キツネノヨメトリ
2001年 青森県
酉九兵衛が一人娘のお松を誰かに嫁にやりたいと言っていたところ、狐が嫁に欲しいといってきた。翌日の夜に、狐が人間に化けてやって来てお松を連れて行ったが、朝になって道路端に寝ていたお松を村の人が連れて帰ってきた。化かされていたと知った酉九兵衛が村人に教えてもらった呪文を唱えると、それから狐は来なくなった。
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キツネ
1972年 山形県
昔、狐が男の女房に化けてツトコに入れた賄の残りをせしめようとしたが自分の持っていた鴨を男に取られてしまった。狐は悔しがって男の家の戸を叩きながら「鴨よこせ」と2晩も3晩も叫んだ。
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レイム
1929年 岩手県
宮古町本町の西方に郷社八幡宮には歌碑がある。寛弘元年一条天皇の頃、阿波の鳴門で争いが起こり朝廷令を諸道に伝えて之を鎮静しようと試みた。たまたま横山の祠官某がある夜霊夢によって神歌を得た。急いで阿波へと出立して、その歌を誦えると忽ち鎮静して海面は鏡のようになった。
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タケコマイナリ,キツネ
2003年 福島県
昔、鎌田村の竹駒稲荷に加茂左衛門という男が奉仕していた。加茂左衛門は竹駒稲荷の神位昇叙の際に手を出し、自らの手に正一位の印を押されてしまった。竹駒稲荷の宮司は加茂左衛門に永久に社に仕える事を要求したが、両親に会いたくなり帰宅する。しかし加茂左衛門はいつの間にか口裂け眼光りの狐になってしまっていて、自宅から追い出される。信夫山の狐である権坊に助けを求めるが、村に戻った加茂左衛門は村人から恐れられ法印の祈祷によって石ヶ森の岩窟に封じられた。
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キツネ
1959年 宮城県
母が子供の頃、庭先の藪で、狐が長い尾でパタパタと調子を取って赤子の泣きまねをするのを聞いたという。また、原吉という男が、道で会った美しい女を叔母の家に泊まらせると、原吉に狐が取り憑いた。家の護り神としてやって来たが、75年間、誰も顧みないからだと狐は言った。毎年1月15日に祭ることを約束すると、狐は離れ、原吉も快復したという。
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キツネ
1988年 奈良県
惣五郎と言う人が三反御作(3反歩ある大きな田)を植えた帰り、溺死した子狐を見つけ葬った。その夜戸を叩く者がおり、「お田引いた惣五郎さん、三反御作みな引いた」と5,6人の声がした。翌朝見ると植えた苗はみな引き抜かれ、狐の屍骸が掘り起されていた。親狐が思い違いをしていると思い、狐のいそうなところを釈明して歩いたら、その夜に伊勢音頭の音がして「お田引いてすまなんだ、三反御作また植えた」と声がした。翌朝、家の前には大きな鏡餅が置いてあり、田はもとどおり植えてあった。
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オシドリ,ユメ
2002年 栃木県
下野の国の阿曽沼に鷹を使う者がいた。ある時鷹狩りをして、鴛の雄を取って帰った。その夜の夢に品の良い女が現れて、怨み深い様子で泣いて、「なぜ私の夫を殺したのか」という。「そんなことはしていない」というと、「確かに今日召し取った」といい、歌を詠じて飛び立つのを見ると鴛の雌であった。驚いて朝見れば、昨日の雄と嘴をあわせて雌が死んでいた。男はそれを見て発心して出家した。
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