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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

フルダヌキ
1956年 宮城県
鯨島には昔、古狸が住んでいた。朴島の漁夫が夜釣りをしていると、鼓の音がして名を呼び、屋島の戦や壇ノ浦の戦の浄瑠璃を聴かせ、続きは明日の晩聴かせてやるといった。翌日村の仲間一同で島の近くへ夜釣りに出たが何事もなく、漁夫はみんなから冷笑される。次の夜独りで行ったら後段を聞かせてくれた。以後、独りで行けば誰でも聞けたという。島の東南中腹に奥深い洞穴があって、古狸のすみ家という。

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マツシマウラトノフルタヌキ
1956年 宮城県
昔,松島の鯨島に古狸が棲んでいた。ある晩朴島の漁師が鯨島の近くまで行くと賑やかな鼓の音が聞こえていたが,やがて漁師の名を呼んで屋島合戦の浄瑠璃を語ってきかせた。残りの段は明晩きかせると言うので,翌晩部落の皆で行ってみたがお囃子も浄瑠璃も聞こえなかった。ただ,その後一人で夜釣りに行くと,誰でも聞かされたという。
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タヌキ
1951年 徳島県
洞窟に老狸が住んでいた。村人が病気になった時、そこにお参りすると全快する。今でもそこにおしめをひいて祭っている。
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タヌキ
1932年 兵庫県
300年前、洲本の三熊山頂上に岩と木で作られた穴に、柴衛門という大狸が棲んでいた。悪戯はするが人々に好かれていた。ところが土手を下った所に棲むこの狸の嫁のお増狸は嫌われていた。ある時2匹は連れ立って大坂に芝居見物へ行った。そこで雌狸は侍に殺され、雄狸は芝居小屋で正体がばれ殺された。これを知った洲本の人々は霊を慰め、島外へ出る時は三熊山山上で作っている狸の土人形で無事を祈る。
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キツネ,オンガエシ
1956年 宮城県
網地島長渡に流されていた鯰江六太夫は笛の名人で,夕方になると毎日のように14,5歳の童子が笛を聴きに来ていた。ある夜童子が「笛の音を聴くのも今夜限りです」というので訳を尋ねると,実は童子は千年の劫を経た狐で,仙台城下に住む弥左衛門という狐捕りの名人が自分を捕らえに来るのでもはや自分の命はあるまいという。弥左衛門に狙われると神通力を失ってしまうからである。童子はこれまでの恩返しにと六太夫の所望を聞き,源平合戦の様を見せた。座が忽ち海原に変じたが,終われば元の小屋であったという。
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タヌキ
1935年 愛知県
狸を捕りに行ったら日が暮れたので山小屋に泊まった。すると太鼓の音と豆売の唄の節が聞こえてきた。そのまま寝てしまい、翌朝小屋から出ると、一面に狸の足跡があった。太鼓の音は狸の仕業と知って大笑いした。
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キツネ
1956年 宮城県
伊達家御乱舞方の一噌流笛の名人鯰江八太夫が、この網地島(あじじま)に流刑となる。彼が毎日夕方海岸に出て笛を吹く度に、男の子が来て聴いていた。ある日いうには、わたしは年古くこの島に住む狐だが、近いうちに狐捕り弥左衛門が来るので笛を聴くのも今夜限りといい、殿様が松ヶ浜の御殿崎に出馬するから笛を吹くようにとその月日を教え、笛のお礼に源平屋島の戦を見せて姿を消す。殿様出馬当日、八太夫の笛は御殿崎までとどき、八太夫は赦免になる。
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ヤシマノハゲダヌキ
1922年 香川県
屋島の禿狸は源平屋島合戦の時、木の上に登って戦を見物して行ったのでその一部始終を知っている。その後禿狸は八栗寺に移して、屋島の合戦を演じて四国における狸大将として暮らしていたが、ある時狩人に殺されたという。これは禿狸が死後人に乗り移って話した身の上話という。また祖父母の話では、嘉永安政頃、阿波西林村の女髪結の体を借りて、吉凶その他を予言したり、他の狸憑から狸落しをしていたという。日清日露戦争では多くの乾分を従え、満州へ出征して大いに働いたという。
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タヌキ,キツネ,オト
1980年 静岡県
小諸山の山奥には、たくさんの狸と狐が住んでいて人を化かす。ある日もや拾いに行ったおばあさんが太鼓のような音を聞く。そばに行っても何もおらず気づくと聞こえなくなっていた。これは狸の仕業。
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ロウコ
1977年 岐阜県
老狐の筆跡がある。濃州安八郡春近村の富農・井上与三郎の家の庭に昔から住む老狐は、代々地主と親しく、郷里の者たちと常に言葉を交わしていた。名を板益亥正といい、また別名を梅庵といっておよそ300年住んでいるという。書も巧く、また禅なども論じ、医学にも通じていた。ある時、行方知れずになり、里の者が探すと、大津の駅で見つけた。都に移住し死期も近いという。その狐はもともと寧波あたりの僧で、邪見によって獣となってしまったという。井上の子供に教えていた手習いも、岐阜山孝寂という実は野干である僧に頼んでおいたという。
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タタミタタキ
1925年 高知県
小八木屋敷に古狸が住んでいて、夜中に畳を叩く様な音をたてる。それを小八木の畳叩きといい、近くても聞えなかったり、遠くても聞えたりするといわれている。
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タケベラタロウ
1956年 宮城県
昔、巡礼の和尚さんがある村に入ると、1人の娘を真ん中にして家内中泣いている家があった。毎年秋の稔りのとき、向こうの山の神様に若い娘を人身御供として供えねば、田も畠も荒らされる、今年はこの家の番だという。和尚さんがその山の社に隠れていると、夜になって大勢の者がやってくる音がして「あのことこのこと聞かせんな。竹箆太郎に聞かせんな。近江の国の長浜の、竹箆太郎に聞かせんな。」と歌う。和尚さんは近江の国へ捜しに行くと、竹箆太郎とは小牛のようなブチ犬だった。和尚さんは竹箆太郎を連れて帰ってきて娘の身代りに長持の中へ入り、やってきた者たちと対決した。翌朝村人たちが行ってみると多くの猿が死んでおり、針金のような毛をした一番大きな猿が竹箆太郎にのどを深く噛み切られて死んでいた。それからはみんな安心して暮らすことが出来た。
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オトヒメサマ,アマノジャク
1931年 鹿児島県
枇榔島に泊ると、真夜中に森から音楽が聞こえてくる。また、琵琶歌を歌うと激しい地響きがして、大きな岩が崩れる音が聞こえたかと思うと、島中の木がメリメリと大鳴動を起こしたという。この島は和銅年間に天智天皇の皇女の乙媛様が一夜にして造った島だといわれ、不思議なことが起こるのは、姫様の霊の仕業だと信じられている。乙媛が悪戯のあまり沖に流されたとき、島を作り、陸までの岩道を一夜のうちに作ろうとしたので、天邪鬼が鶏に言いつけて早めに鳴かせ、岩道の完成を防いだ。今も島から陸に向かって、海中に岩道が続いているという。
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テング
1973年 三重県,滋賀県
三重県と滋賀県の県境の山に天狗が住んでいた。月夜の晩に炭焼きに行くと、天狗の笛や歌が聞こえてくる。鉄砲を撃ちに行った人が夜、炭小屋に泊まったところ、澄んだ声でオーイと呼ばれた。その人が相手になっていると、突然山が荒れて小石が落ちてきたりした。若者が肩を組み念仏などを唱えていると、小屋が揺れて大木が折れた。翌朝、外には小石も落ちていなければ木も折れていなかった。
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オリヤサマ,キツネ
1991年 石川県
崖の下の洞窟にオリヤ様という古狐が住んでいて、村人にお金や膳椀を貸してくれた。あるとき、皆月湾の小崎を丸くすると良い港になるといい、眷属の狐を何万も使って山の大岩を海に落とした。京都の本願寺にお参りの途中、正体を出してしまって犬か村人に殺され、オリヤ様は絶えた。
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タヌキ
1937年 大阪府
酒造場の桶納屋で、狸が腹鼓を打つ音を聞いた。近くなったり、遠くなったりして、月夜の晩や雨夜の晩も度々聞こえるため、大変評判になった。
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タヌキガッセン,カネナガ,ロクエモン
1922年 徳島県
天保年間に名東群斉津村から勝浦郡小松島町にかけて山間に多くの狸が負傷して死んでいったが、それから間もなく日開野村の狸が人に憑いて、狸合戦の詳細を物語ったという。それによると日開野村の金長という狸と名東群津田浦の六右衛門という狸の合戦で、国内の狸は全部集合して2派に分かれて戦ったという。雌雄を決せぬうちに2匹とも死に、2代目金長と六右衛門の子が日開野で弔い合戦をし、讃岐屋島の禿狸の挨拶によって和解したという。
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ハゲダヌキ
1977年 高知県
ジョウノオキという谷にハゲ狸が住んでいた。今度屋島に棲家をかわるので、寺に挨拶に行き、和尚にいつも御世話になったからといって源平合戦を見せてやると言い、和尚に本物そっくりの源平の戦を見せた。この狸は讃岐の寺に行き仲間を集めて腹鼓を打っているという。高松市のある寺にも狸がいて、和尚が旅行するとどんなに混んでいても汽車の座席をひとつ確保してくれるという。
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ロウコ
1977年 岐阜県
濃州安八郡春近村の富農・井上与三郎の家の庭に昔から住む老狐は、代々地主と親しく、郷里の者たちと常に言葉を交わしていた。名を板益亥正といい、また別名を梅庵といっておよそ300年住んでいるという。書も巧く、また禅なども論じ、医学にも通じていた。ある時、行方知れずになり、里の者が探すと、大津の駅で見つけた。都に移住し死期も近いという。その狐はもともと寧波あたりの僧で、邪見によって獣となってしまったという。井上の子供に教えていた手習いも、岐阜山孝寂という実は野干である僧に頼んでおいたという。
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タヌキ
1984年 山梨県
曾祖母から聞いた話。ある家の土蔵の裏のケヤキの木の下に、毎晩丑三つ時に半纏を着て手拭をネエサンカブリにした娘が出て、ネンネンコロリヨの子守唄を歌った。戸の隙間から覗くと狸の尻尾が見えた。赤飯などをおいておくと食べ、次の日もまた化けてやってきた。毎晩来ていたが、いつしかこなくなった。
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オシドリ,フジン
2002年 栃木県
犬伏町下の谷に鴛鴦塚がある。太田二郎左エ門尉式宣という弓術の達人が、鳥獣を射ていた。ある日三毳山で狩をしていたが終日獲物がなく、帰ろうとしている時に阿曽沼の東岸で鴛鴦を見つけて射て持ち帰った。その夜熟睡していると忽然として戸外に声がして、妙齢の婦人が歌を詠み、号泣した。3、4回それが続いたので一喝し戸を開けると一羽の鳥が飛び去った。不審に重い夜が明けてから鴛を射たところに行ってみると、鴛が菰の茎を咥えて死んでいた。式宣は悔悟して、自ら塚を築いて鴛を併せて埋葬し、入道した。
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