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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

モキチノメン
1928年 愛知県
茂吉面は祭りに使われる、大国主命を現したといわれる黒面か赤い鬼の面である。翁に取り憑かれた者が面を彫刻させて寄進したと言われる。。

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オキナシミズ,カミナガシミズ
1956年 宮城県
翁面が浮かび出たという。面は小迫白山の別当勝大寺の宝物となる。
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オキナジマ
1956年 宮城県
松島寺の地主権現山王の祭に、天台の僧徒が、年々に延年を奉納し、終れば面を邑長の家に収める。ある時その中の翁の面が飛んでこの島に落ちた。
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オコノノネン
1964年 秋田県
三吉様の御神体は石である。「おこの」という人が秋田の三吉様を背中にしょって八津まで来たとき、おこのは入水自殺しようとした。その時に烏帽子をかぶったような黒い石に腰を下ろしたところ、おこのの念がその石に移った。おこのの自殺後、サイドウニンに教えられて石は掘り出されて、Aさんが内神としてまつった。
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オニ
1991年 福島県
住吉神社に、左側に月代を剃って鉢巻をし、腰に太刀をつけた男が座り込み、右側に目玉をぎょろつかせた鬼がいて首引きをしている図のある絵馬がある。
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リュウジョ
1956年 宮城県
白山神社の神霊が美麗な童子となって現れたが、山に住む二頭の龍女が山を奪われることを嘆き、老女と若い女の姿で現れて障りをもたらした。神霊は怒り二頭の龍を池へ封じ込めた。この伝説の故か、神事を行う神男に不思議なことが起こるが、翁の面をつけて勤めると不思議なことは起こらなくなった。
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メン,レンニョショウニン
1984年 福井県
昔、蓮如上人が吉崎におられたころに、夜ごと上人のもとへ参詣する嫁に腹を立てた邪見な老婆が鬼女の面をかぶって嫁をおどしてやめさせようとしたところ、鬼女の面が顔にくっついてどうしても離れない。それで、上人のところへ参り前非を悔いたら顔から面が離れた。この面は願慶寺や、吉崎周辺の寺に数面残っていて、面の本家争いまで起こっている。
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イキメン,リュウグウ
1980年 和歌山県
生面と呼ばれている面がある。昔、旱魃で干あがった時、洞窟の岩を取ったところ、あふれ出てきた水と同時に面が浮かんで来たという。また、竜宮に通じる穴から湧き出てきて、その水面に浮かんできたともいう。
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スミヨシミョウジン,ダイジャ
1974年 山口県
長州の大寧寺の祖師に、住吉明神が翁の姿で現れた。祖師は尊体を顕すように明神に言ったところ、明神は大蛇の形となったという。
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タヌキ
1981年 滋賀県
昔神社に椎の大木があり、神木として崇められていた。そこに狸が住みついて腹鼓を打って神慮を慰めていたが、年老いて死んだ。これを見た町内の塩屋治兵衛が慶長年間に狸の木製の面をかぶって祭礼に参加し、神慮を慰めた。後に町内で相談し屋台も作り、治兵衛は狸の面をつけて御幣を振った。治兵衛が年老いてからはカラクリ狸の人形を用いた。大津祭の西行桜狸山のいわれ。
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ヤクシノメン
1939年 島根県
山田寺の薬師の面の漆を塗り替えるために、京都の漆屋へ送ったが、その木が大金になるというので他の木で面を作り送り返した。すると面が怒ったので、八代の山田寺へ帰れと言って面を海へ投げたところ、同郡の温泉津の濱へたどり着いた。子供が面を拾って舞を舞っているのを八代の庄屋が見た。その夜、面が庄屋の枕神に立ったので、庄屋は面を山田寺へ持ち帰ったという。
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オニノメン
1972年 岐阜県
嫁が毎晩願掛けに出かけていくのをよく思っていなかった老婆が、鬼の面をかぶって嫁を驚かせた。すると嫁は恐れず、手を合わせて座り拝みだしたので、面を取って謝ろうとしたところが面がはずれなくなってしまった。そのいわれがおでこさん(でこしき岩)になって残っているという。
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ウシオニ,ウシノヨウカイ
1973年 愛媛県
昔、疫病が流行したため、疫神退散を願って牛鬼をつくり、厄払いをした。また、牛のよう会が出て農作物に被害を蒙った。そのため怨霊を慰めるため牛鬼をつくり、祭事に奉仕し、被害から免れた。
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サンキチサン
1924年 秋田県
羽後地方には秋田三吉さん信仰がある。三吉さんという神様は時々児童の姿となって現れる。ある相撲取りに飛び入りで勝負を挑んだ小丈の若者は青丈を手でひねって腰に巻くような強力だったが、相撲取りが全力を出すとさすがの若者もたぢたぢとなり、悔し紛れに顔を赤くし、額から小角出したという。これは三吉さんである。
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タヌキ,ブンブクチャガマ
1935年 群馬県
いわゆる分福茶釜の話。青龍山茂林寺では、四百年ほど前に、茶釜が狸に化けて(狸が茶釜に化けて?)小僧達大勢との活劇があった揚句、その釜は払い下げとなった。古物商の間を転々する間に、見世物興行をするものがいて、大いに当たった。この男が前世で善根をほどこしたためという。男は相当の資産もできたし、お釜様にも楽をさせてあげようとこの茶釜をもとの茂林寺に納めたという。
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テング
1981年 和歌山県
天狗は熊野山のお使いなので、面を飾っておくと魔除けになる。
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ニクヅキメン
1990年 長野県
北城の切久保の宮に七道の面が伝えられている。昔、おかるという娘がしゅうとにいじめられた仕返しに鬼面を1つ盗んで被り昼寝中のしゅうとを驚かした。しかし、面が顔について取れなくなったので、楠川の洞窟に入って出てこなくなったという。そのため、今でも七道の面は1つかけている。
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ウシノコクマイリ
1972年 滋賀県
丑の刻参りは丑満時に、白装束で頭の上にロウソクを3本立てて、口にカミソリをくわえ、胸に鏡をあてて、下げ髪で氏神さんへ行き、太い木に人形を五寸釘で打ちつける。一晩に1本、48日間打たないといけない。最後の晩になると牛になった氏神さんが出て、諦めさせようとするが、それでも牛の背中を飛び越えて48本目の釘を打ち終わると願が叶い、のろった相手が死ぬという。誰かに見られると願が破れるので、丑の刻参りに会うと殺される。ある人が信楽の長野の宮で丑の刻参りを見て、探されたが見つからずに助かった。
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カッパ
1991年 滋賀県
梅吉という爺さんが住んでいた。ある日お坊さんが「この玉をあずかってください」といって出した5つの白い玉を預かった。しばらくすると子供がやってきて、その玉を欲しいといった。お爺さんは断ったが聞かない。河童が化けていることに気付き、「相撲をして勝ったらあげる」といって相手になり、その玉を隠そうと益田川の大井のところに行くと相撲をしていた子供が先に来ていた。うろうろしている間に玉は無くなっていた。子供は河童が化けていた。
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キツネ
1959年 宮城県
母が子供の頃、庭先の藪で、狐が長い尾でパタパタと調子を取って赤子の泣きまねをするのを聞いたという。また、原吉という男が、道で会った美しい女を叔母の家に泊まらせると、原吉に狐が取り憑いた。家の護り神としてやって来たが、75年間、誰も顧みないからだと狐は言った。毎年1月15日に祭ることを約束すると、狐は離れ、原吉も快復したという。
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オコメヲトグコウジンサマ
1934年 長野県
毎夜の丑満時に白装束の荒神様が出て、「お米とぎやしょか、人とってくはしょか、ショキショキ」といいながら、お米をとんでは井戸へこぼしていたという。井戸の水は白いような色をして、荒神様のとんだ水だといわれている。
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