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検索対象事例

ウマ
1936年 香川県
名馬・太夫黒が討ち死にした主人・佐藤継信の墓前で死んだ。馬塚を建てて鎮魂した。

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ウマノタタリ
1977年 山梨県
馬が昭和6年7月21日に崖から足をすべらせて転落死してしまった。ある夜、馬が神様になって枕元に現れ、自分を祀らないと長男をとり殺すといって去った。驚いてさっそく墓を作って昭和11年2月に馬頭観音を立てて馬の霊を供養すると、それまで病弱の長男が元気になった。
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タユウグロ,カタハノアシ
1967年 福島県
義経の乗用となり、ひよどり越えにも大きな働きをした名馬を太夫黒という。これは、栃窪に久七という百姓がおり、いつも良い馬が生まれていた。中でも太夫黒はこれまでにない名馬であった。変わった馬で、立石山に行って山遊びをし、真野の池に行っては葦を食べ、夜になっても帰らないという風であった。不思議なことに足には水掻きもあったという。しかし見事な成長ぶりで、久七から藤原秀衡に献上され、それが義経の出陣に贈られた。真野の池の葦が片葉なのは、太夫黒が片方ばかりを食べていたためであるという。
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〔バサイヅカ〕
1956年 宮城県
天保7(1836)年3月のある朝,涌谷の馬夫六右衛門という者が草を刈りに行った時に馬が手綱をほどいて奔走した。馬はこの塚の辺りに来て倒れ,荷鞍に挟んだ鎌で背中を切り裂いて死んでしまった。
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バジョウカキザキジンジャ
1956年 宮城県
後藤孫兵衛信康が献上したので五島黒という伊達政宗の愛馬があった。大阪冬の陣のとき、五島は老齢になっていたので留守をするよう申し聞かせると、その夜本丸の崖へ駆け出していって落ちて死んだ。役に立たぬなら死ぬがましだという殊勝な心を哀れみ、落ちた場所に葬った。のちに祠を建て五島墓さんと称し、子供の馬脾風(ばひふ)が治るという信仰がある。明治のはじめ、片平丁に移る。
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クビナシウマ
1984年 愛媛県
奥の城城主河野通存は、息子の通賢が東野に住む娘の元へ通うことを快く思わず、東野で馬の首を刎ね、更に通賢をも殺害した。以来、毎夜首なし馬が現れるようになったので、村人は祠を建てて祀った。東野でお茶屋を営む久松定行は、陰火の飛ぶのを忌んで、この故事のあることを知り奥城八幡宮を再建し、鎮魂した。これが現在の東山神社である。
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ウマヅカ
1956年 宮城県
藤原実方が、笠島道祖神の前を乗り打ちして神罰により落馬死亡した。その乗馬も同様に死んだのを葬る。
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ロクブヅカ
1943年 岐阜県
大原岩崎の六部塚は、昔、六部が殺されたところである。あるとき、馬方がそこで寝ていると六部が枕頭に立って、祀ってくれれば金持ちにしてやると言った。馬方はそのとおりにしして金持ちになった。
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ウマ,テンセイ
1931年 埼玉県
土御門院のころ、吾妻左衛門藤原是好という長者がいた。そこに諸国行脚の法師が泊ったとき、法師は悪心を起こし夜具を盗もうとした。逃げようとすると馬に噛みつかれ、其馬が人語で「私はここの主の叔父であった。盗みをすると馬になって苦労するからやめておけ」というようなことを言って次の日に死んだ。法師が左衛門にその話をすると左衛門は驚き、叔父の為に葬式を出し、墓の側に草庵を立てて法師を庵主にしたという。
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テンバセキ
1976年 徳島県
阿波勝浦田の村にある天馬石は、宇治川の合戦の時、梶原源太の乗っていた池月という名前の名馬が、先陣を別の馬に取られて、遅れたのを恥じ、怒りのあまり、この場所で死に、石となったともいう。
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ウマ
1973年 福島県
伊達郡箱崎に住む松五郎は馬好きだったが、20歳の時に死んでしまい、家から離れた場所に葬られた。するとその夜に彼の愛馬が突然狂い猛り、厩舎を走り出た。人々は追い求めたら、馬は松五郎の墓所に向かっていた。そこでは墓泥棒が墓を暴いていたので、皆は召し捕った。馬が恩義を感じていたのだと思われた。
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ガワラ
1983年 愛媛県
入野村の庄屋の家で一匹の馬を飼っていた。入野の原で走らせていると、この原より少し南にある淵からがわらが出てきて馬の綱を身に巻き付けて淵に引き入れようとする。馬は引きずり込まれて頭も隠れるほどになった時、驚いて一目散にかけて庄屋の家に帰った。がわらは綱にからまったまま力なくうずくまっていた。5、6歳の子供のようで頭には皿のようなものがあった。農民はそれを打ち殺して埋めた。その塚をがわら塚という。
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ソウゼンジンジャ
2001年 青森県
階上に馬の守護神として祀られている蒼前神社にまつわる伝説に、「藤原有家卿物語」というものがある。源平合戦の昔、壇ノ浦の戦いに敗れた平家の大将・藤原有家卿は、名馬「白馬龍」に跨ったまま海に飛び込み、岩手県種市町の有家に辿り着いた。そこで観音様を拝んだところ、西の方へ行くようにとのお告げがあり、それに従って旅立った。だが、妙野(今の蒼前平)まで来たところで馬がとうとう倒れてしまった。藤原卿は悲しみ、愛馬を手厚く葬り、槻の木を植えた。その後、村人達がそこにお堂を建て、蒼前神社として祀った。
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カッパ
1992年 宮崎県
鴫野の水神様の庭でかっぱがしきりに評議していた。馬が水神さまの下の川からかっぱの手を咥えて帰ってきた。相談の末、ウトノヤマに埋葬した。その晩からかっぱが返してくれと繰り返し頼んできたので、埋めた場所を教えてやった。かっぱはその後二度と現れなかった。
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カッパ
1992年 宮崎県
鴫野の水神様の庭でかっぱがしきりに評議していた。馬が水神さまの下の川からかっぱの手を咥えて帰ってきた。相談の末、ウトノヤマに埋葬した。その晩からかっぱが返してくれと繰り返し頼んできたので、埋めた場所を教えてやった。かっぱはその後二度と現れなかった。
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ウマ
1937年 新潟県
医者である主人を慕って死んだ馬がいる。寺の前まで行くと、ぐるぐると廻って出て行こうとしない。追い出すと戻ろうとするところをなだめて帰ったが、帰途、その馬は死んでしまった。
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オロチ
1974年 佐賀市
元弘三年櫛田宮の前を通ろうとすると馬がすくんで動かなくなった。鏑矢で祠の扉を射ると元の通り動けるようになった。後に見るとおろちが矢に当たって死んでいた。
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ヘンゲ,シシコマ
1935年 香川県
昔覚城院は細川越中の守の居城であったが、長曽我部氏の襲撃により3月3日落城し城主は自害した。そのため3月に雛節句を遠慮し、八朔に雛を飾る。その際に団子で馬を作って飾るのは、細川越中守没落後、その城址あたりの畑を猪でもなく、馬でもない怪しいもの現れて荒らすので、これは殿様の悲惨な最期の変化であるといい、3月の節句を遠慮し八朔にシシコマを団子で作り祀り上げるようになった
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オシドリ,フジン
2002年 栃木県
犬伏町下の谷に鴛鴦塚がある。太田二郎左エ門尉式宣という弓術の達人が、鳥獣を射ていた。ある日三毳山で狩をしていたが終日獲物がなく、帰ろうとしている時に阿曽沼の東岸で鴛鴦を見つけて射て持ち帰った。その夜熟睡していると忽然として戸外に声がして、妙齢の婦人が歌を詠み、号泣した。3、4回それが続いたので一喝し戸を開けると一羽の鳥が飛び去った。不審に重い夜が明けてから鴛を射たところに行ってみると、鴛が菰の茎を咥えて死んでいた。式宣は悔悟して、自ら塚を築いて鴛を併せて埋葬し、入道した。
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ウマレカワリ
1944年 愛知県
大水に流されて死んだ人に字を書いて葬った。すると白い馬に生まれ変わってきた。悪い馬で、そばに寄りつけないような荒馬だった。
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イザクダドン,ヒノタマ,ハクバ
1966年 鹿児島県
イザクダドン(伊作田殿)という6基の大五輪塔があり、伊作田城主らの墓と伝えられる。伊作田殿が討ち死にした水田から火の玉が飛んだり害虫が大発生したため、霊を慰めるため太鼓踊りを行う。ある年踊りを行わなかった所、白馬が水田を走り回り、また虫害を受けた。
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