国際日本文化研究センター トップページ
怪異・妖怪伝承データベース
データベース検索ページ 更新情報 お知らせ 怪異・妖怪とは データベース検索 異界の杜 製作者
データベース検索ページ

検索対象事例

ジュウジカ
1928年 長崎県
永禄年間に平戸町人と南蛮船乗組員とのあいだに激しい争いが起こった。そのとき、伴天連は平戸から横瀬浦に拠点を移した。南蛮船が横瀬浦に入ったとき、浦の入り口の空に金光燦然と輝く十字架が現れた。伴天連たちはこれこそ切支丹宗門の栄える前兆であると喜んび、その真下にある小島に金の十字架を立てて聖地としたといわれている。

類似事例(機械学習検索)

タニノオショブ
1958年 和歌山県
村の西の浦に出る女。
類似事例

ウグメ
1933年 長崎県
平戸や小値賀島では、幽霊船のことをウグメと呼ぶ。平戸では、ウグメがつくと船が動かなくなったり、風もないのに急に船が追いかけてきたりすることがあると言われる。灰を放り込むとウグメは消えるという。
類似事例

ニジュウロクセイジン
1928年 長崎県
元和元年、26人の京阪神地方の切支丹が処刑された。その遺骸は磔にして数十日さらされていたが、そのうちひとりの伴天連とひとりの童子の死骸は時々、消えたり現れたりしたという。消えている間、伴天連は近くの南蛮寺で弥撒祭を行っており、童子はその聖祭にお供をしていたのだという。
類似事例

カッパ
1928年 茨城県
享和年間に、水戸浦から河童が上がったという話がある。
類似事例

フネユウレイ
1985年 愛媛県
大正の終わり頃、稲ヶ窪の海岸近くに船幽霊が出た。かつてうちあげられたことのある大きな難破船の乗組員たちの亡霊が迷い出て、船幽霊になったといわれている。
類似事例

フナユウレイ
1983年 愛媛県
大正の終わりごろ、稲ヶ窪の海岸近くに船幽霊が出た。かつて大きな難破船が打ち上げられたことがあったので、その乗組員の亡霊が船幽霊になったのだという。
類似事例

ハクイノヒト
1976年 愛媛県
串浦社の神木を切ろうとしたところ白衣の人が400人ほど現れ止めようとした。しかし切って船に積んだら、この400人もそのまま船に乗り船を沈めたので人夫たちは溺れ死んだ。
類似事例

(ゾクシン),ユウレイ
1933年 鹿児島県
瀬々の浦では臨終に際し、幽霊になって親しむ者の家々を、生前の御礼を言って廻ると言う。青瀬や片の浦では死んでからお礼に廻るという。
類似事例

アワビ
1976年 千葉県
安房国の勝山の浦の海上に小島が現れた。数日後口が開いたので見てみると、大きな鰒であった。やがて沈んでいなくなった。
類似事例

オンナ
1934年 長崎県
平戸では女がどこから出て来るかわからないので、後をつけてみると、波を分けて海に入っていってしまったそうである。
類似事例

ツバキ
1928年 長崎県
ジョアンヌという伴天連に洗礼を受けた冶兵衛という男はセバスチャンという聖名を授けられた。セバスチャンは長崎県外海地方の三重村樫山赤ヶ岳にきたとき、そこに1本しかない白銀色の花が咲く椿の幹に指で十字架を刻んだ。その後、この木が切り倒されたとき、切り口から乳白色の涙が流れたという。
類似事例

ボウレイセン,フナモウレン
1937年 和歌山県
流れ仏が出たときには天気の悪い夜に、死んだ人が乗っていた船が亡霊船になって現れる。これを本物の船と見間違えると難船するといわれているが、よく見れば間違う事はない。強風のときに自分の船の反対方向から帆が走ってきて、それが船の前を横切ったらそれが亡霊船であるといわれている。
類似事例

リュウトウ
1989年 福井県
禅海上人が亀に乗って糸崎浦に来たとき、海上に不思議に光るのを怪しんだ浦人が引き上げると観音なので寺に安置した。霊仏なので菩薩聖衆も来迎し、汀の松には夜毎に竜灯が立ち上った。
類似事例

(フナユウレイ)
1932年 長崎県
平戸島附近で聞いた話であるが、あるしけの夜に船をつける場所もわからず途方に暮れていると、傍らを大きな帆前船が通っていったので、その後についていくと、その船は平戸の瀬戸の方に進んでいった。しかしついて行った船は瀬に乗り上げてしまった。
類似事例

キツネ
1939年 秋田県
女が裏林の狐穴に南蛮辛えぶしを掛けるのを見に行って、狐に憑かれて狂ったことがある。
類似事例

キリシタンノヨウジュツ
1928年 長崎県
慶長14年、有馬晴信が南蛮船を焼き討ちした際、ジョアンという切支丹伴天連が神の島に泳ぎ着いた。彼は心得ていた切支丹の妖術を用いたので、炎の中からたすかったのだという。そして、ひとりの男に洗礼をほどこした後、波の上をしずしずと歩いて、沖に消えたといわれている。
類似事例

(オオオンナ)
1976年 京都府
天寿3年4月、身の丈7尺、顔の長さ2尺の女が船に乗り、丹後の浦に寄った。船の中に飯酒があり、近寄るものは皆病気になった。着岸させなかった間に死んだという。
類似事例

ニワトリ
1931年 福岡県
磯崎様は新宮浦にある小さな漁村の氏神様である。磯崎様は鶏の声を聞いて上陸したと伝えられており、この浦の人は鶏を食べると1週間ほど漁に出ない。鶏を食べて漁に出ると、全く魚が取れないといわれている。
類似事例

フネ
1990年 沖縄県
人が死ぬ前には「船が来る、船が来る」という。
類似事例

ツグノブ,ボウレイ
2001年 香川県
石屋和尚が八島の浦を渡るときに次信の墓を見て、「あわれなり名をはのこせる次信かはかは八島の浦にこそあれ」と読むと、次信から、「哀れとも事問う人のはかなさよ身を捨ててこそ名を残しけれ」と返歌があった。
類似事例

フネ
1990年 高知県
おばあさんが死ぬときに「船が来る、船が来る」と言った。「どんな船」と聞くと「きれいな船」と言った。そして、「ああきれい」と言って息をひきとった。
類似事例

国際日本文化研究センター データベースの案内