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検索対象事例

ジングウコウゴウ,スミヨシノカミ,フナダマノカミ
1935年 千葉県
房総では船玉神として住吉の大神を祀る。神功皇后が三韓征伐の際に住吉の神を祀り、諸神が神功皇后を助けて順風を起し、三韓を征伐したために、帰国の後に摂津住吉に三神を祭った。以来船玉様として住吉の大神を祀る。

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ジングウコウゴウ,スミヨシダイミョウジン,リュウグウ
1974年 福岡県
神功皇后が三韓征伐に向かう際、筑前国香椎において住吉大明神が翁姿で現れて、異国征伐には竜宮の干珠満珠を借りればよいと進言する。神功皇后が借り方を聞いたところ、翁は磯鹿島の安曇磯良という者を召し出し、竜宮に行かせればよいという。そして磯良は細男の舞を好むので、それを舞えば自らやってくるという。皇后は誰が舞えば良いか尋ねると、翁は供奉の者に楽を演奏させて、翁は立って舞った。すると磯良が舞人の姿で亀に乗ってやってきて、翁と共に舞った。皇后は妹の豊姫を磯良に伴わせて竜宮へ行かせて、かの2顆を借り、三韓を降伏した。
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フネノレイ
1979年
船霊とは船の霊であり、他の神ではない。船に住吉神を祭るというのは、この神がどの船をも守る神であるからである。
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ジングウコウゴウ,ウ
1984年 福井県
常神社の祭神は神功皇后で、敦賀市の常宮神社の元宮ともいわれている。それゆえに、常神浦の人たちは産が軽いと信じている。それは、昔神功皇后が三韓を攻めるにあたって風待ちのために浦で待機している際に皇后は臨月になり、敦賀の常宮の浜で皇子をお産みになったが、砂の中に埋めて出征されたので、鵜が寄り集まってきて羽毛の中で育てたので、産の神としてあがめられている。
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ショウキ
2003年 沖縄県
鬼界島の征伐から尚徳王が戻るとき、小鐘が浮かび上がって王の船に付き従った。引き上げようとしたが動かなかった。王自身が引き上げると簡単に持ち上がった。そこで以前、鳥をうった矢が突き立ったところに応神天皇・神功皇后・玉依姫を安置して護国の神としたという。
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サンキチサン
1980年 秋田県
三吉神社は戦の神様。日清戦争で日本軍が苦戦していたとき、三吉さんが両脇に大砲を抱えて敵に突進した。その勇姿を見た日本軍は奮起して、勝利できたのだと言う。
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フナダマサマ
1964年 福島県
船玉様は女の神様だといわれている。
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マツ
1976年 千葉県
文政5年に房総を遊歴していたら、安房国のある村で前原権現という社が流行していた。2,3年前から流行神となっているという。その始まりは、社の傍らにある神木の松が風で社の屋根を損じる為に、相談して明日伐ろうとしたところ、夜の内に松が社を避けるように曲がったからだという。その松は参詣して目の当たりにした。
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オフネダマサマ
1933年 大阪府
お船玉様は女の神様で、船が難破する様になるとシャンシャン泣く。稲の穂を賽2個と12文(閏なら13文)を紙で包み、帆柱の内部の中央に祀る。
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シオガマジンジャ
1956年 宮城県
塩釜は左宮の武甕槌神と右宮の経津主神、別宮の塩土翁神の三神が初めて草鞋を脱いだ場所。二神は南に帰って、武甕槌神は利根川の左岸常陸の鹿島に、経津主神は右岸の下総の香取に定住。塩土翁神のみはこの地に留まり、潮を煮て塩をとることを教えた。昔から、祭神は童形に化身して、大火の時に消火を手伝ったり、政宗が一時船着きを蒲生に移して塩釜が寂びれたときに村人を励ましたりした。また祭りの神輿に子供が供をして神意を村人に伝える「ざっとナ」という行事もあった。
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オカマシャ
1956年 宮城県
塩土翁神が塩を焼いたという四つの神釜を神体とする。一口は径四尺、三口は四尺八寸の鉄釜で竜神が献じたといいつたえ、今そこを釜渕という。毎年7月10日汐汲み神事を行い、海水を釜渕から汲んで神釜の水を替える。釜は初め七口ないし十五口あったとも。のち四方に散在し、二口は野田、一口は釜渕、四口は加美郡色麻村の四釜、二口は肝沢郡水沢の塩釜、一口は黒川郡富谷町志戸田、一口は仙台市石名坂円福寺にあるという。汐を駄送したとき、和加佐彦命が童形に化し、紫の腹かけを着けて牛を牽いた。牛はのちに石と化して牛石となり、藤のムチから根を生じたという。子供に紫色の腹かけを着せると丈夫に育つといわれる。
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ヘビ,カエル
1935年 三重県
輿玉神社には数百の土蛙が奉納されている。その由来は、元来この地が御日神(皇大神)の拝所であり、御日の神にひき蛙を献じたからという。また皇大神がこの浦で金地の霊蛇のお姿を現したので蛙を献ずるようになったともいう。また往古海中の輿玉神石の現れた時代に、参宮者が旅行安全、航海安穏にかえるの願いより奉献するようになったともいう。一つを奉納し一つを持ち帰れば、身代わり蛙として霊験あらたかで、小児の痣や腫れ物などを蛙で撫でると全治は疑いないという。
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フジ,ダイジャ,ヘビフジ,ヤマトタケル,ミナモトノヨリヨシ
1956年 宮城県
白鳥神社の祭神は日本武尊。境内に、今も二条の大藤がからみつく大欅がある。源頼義父子は前九年の役に際してこの境内に宿陣し、夢に祭神が現れ大勝した。戦いの初め、官軍が苦戦した時、この藤が二頭の大蛇となって敵を敗走させたという。
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ヤマオトコ,サンキチ,ミヨシジン
1930年 岩手県
三吉神社に祭られている神様は明治の中頃から霊験あらたかな荒神・軍神として青年男女の参詣が多い。この神様はもと秋田の山男であったと言われ、痩せ型の若い男の姿となって現れるという。秋田に角力が立ったとき、鳥谷ヶ崎という相撲取りと三吉が勝負したが、三吉が負けた。その後、三吉は鳥谷ヶ崎のあとをつけて遂には殺してしまった。日本一を名乗って秋田に入ると必ず三吉が現れ、そのものを倒すという。
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サルタヒコ,アマノウズメノミコト
1935年 三重県
輿玉神社の御祭神には猿田彦命と天宇受売命がある。猿田彦は天孫降臨を感知して雲に上って上天し、途中まで出迎えた。その時天孫は猿田彦に対し天宇受売命を使者として交渉させたという。この2神が天狗となり、オカメとなって後世に残ったという。この神像を貰い受けて祀れば万事盛栄疑いないという。
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ヤシキガミ,サンオウサマ,シロイヘビ
1983年 岡山県
総社市秦の庄屋の家では、屋敷神として山王様を祀っていた。これは、昔、白い蛇を殺してしまったところ、当家の老婆の目が見えなくなってしまったために祀り始めたのだという。
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カッパ,アマゴゼンサマ
1935年 福岡県
大積の天疫神社は、平家の大将能登守教経の奥方が壇ノ浦の戦いのときに波間に投じ、ここの海場に流れ着いたのを里人が祀ったという。この女が神となって、海御前様と呼ばれ河童の総元締めになった。5月節句に河童を集めて、「蕎麦の花の咲かぬうちにもどれ(蕎麦の花は源氏の白旗のように白いので)、敵方にあらざる人畜の命は無暗にとってはならぬ」と厳命して解散するという。それから彼らは思い思いに遊びまわり、秋口蕎麦の花の咲くころに山に引き上げるのだという。
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ヤマノカミ,オオヤマヅノカミ
1983年 岡山県
山の神は、近畿地方のように性的な意味合いでは祀らない。それは女神だともいわれるが、様々な形に変化してもいるようだ。大山祇神としてこれを祀っている神社もある。
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カイジン,ドクヘビ,ダイジャ
1929年 東京都
神代の昔、三宅島中根の漁夫が不漁の為に大漁と引きかえに、海神に向かって娘を差し出す約束をした。だがすぐに後悔し、かわりに妾を差し出したが、毒蛇(大蛇)は許さずどこまでも人々を巻き込み荒れ狂って娘を追い続けた。娘は神々の加護により神通力を得、白い鷹、白い鳩、虫になり逃げ回りながら守られた。神々は大蛇を退治して切り裂き、島に撒いたので、三宅島には今も蛇が多い。
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オコノノネン
1964年 秋田県
三吉様の御神体は石である。「おこの」という人が秋田の三吉様を背中にしょって八津まで来たとき、おこのは入水自殺しようとした。その時に烏帽子をかぶったような黒い石に腰を下ろしたところ、おこのの念がその石に移った。おこのの自殺後、サイドウニンに教えられて石は掘り出されて、Aさんが内神としてまつった。
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リュウジン,リュウオウ,リュウグウノカミ,ハチダイリュウオウ
1986年 沖縄県
竜神信仰は竜王、竜宮の神、八大竜王、竜神、などの呼称で日本列島全域に見られる。文献上では『続日本紀』に「龍王」の文字が見え、古くから竜神信仰があったことがわかる。仏教の8種竜王のうち、航海や雨乞いを司る婆伽羅王を中心とする八大竜王の信仰も古くから各地で見られる。
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