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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

ソウメンジゾウ
1922年 静岡県
昔、旅人に素麺を無理矢理勧めて理不尽に金を取る者がいた。日光山に赴いた修行の僧が食を乞うたが、村中の素麺を食べ尽くしてしまった。その後、素麺が山から流れて瀧のようになる。僧は実は駿州宇津ノ谷の地蔵で、村人を懲らしめる為に出てきたのだった。

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ソウメンジゾウ
1936年 栃木県
地蔵が旅僧に姿を変え、日光山で山僧に多量の素麺を食わされたので、素麺地蔵と名づけられた。
類似事例

オニ
1993年 静岡県
宇津谷の峠に鬼が出て人を取ったので、宇都宮の素麺谷の地蔵尊が僧の姿になって現れ、鬼を10粒の小さな団子にして呑み込んだ。土地の人はその地蔵尊を祀った。慶竜寺の名物・十粒団子の由来。
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ゲンベエブチ
1956年 宮城県
昔1人の僧が、毎年盆中に米ヶ袋の家を歩いて棚経をあげ、盆棚のお下がりを馳走になっていたが、何年たっても年を取る様子がない。ある年、またやってきて一軒の家で麦飯を馳走になる。そばで3,4人の若者が下の渕で毒流しの相談をしているのを聞きつけ、盆中の殺生は止めなされと固く戒めて帰る。源兵衛という者が跡をつけていくと僧は渕の中に消える。源兵衛が毒を流すと大鰻が浮んだので割いてみると、腹の中から麦飯が出る。
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オニビト
1922年 静岡県
住職が難病で苦しんでいた。膿血を吸い出せば楽になるので、小僧に命じて時々吸わせたところ、小僧は肉の味を覚え、鬼人となって近隣の山に住み、往来の人を捕えて喰うようになった。その後、貞観年中に在原業平が東国に下向した際、地蔵尊に祈念し鬼人を降伏した。
類似事例

オニ
1993年 静岡県
在原業平東下りの際、宇津ノ谷の峠に鬼が出ると聞き、下野宇津宮素麺谷の地蔵尊に鬼鎮めを祈願した。地蔵尊は僧の姿になって現れ、鬼を10粒の小さな団子にして呑み込んだ。土地の人はその地蔵尊を祀った。慶竜寺の名物・十粒団子の由来。
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オオウナギ,タビソウ
1999年
旅僧がやって来て毒流しの漁を止めるようにと宿主に言った。しかし止めさせる手立てはなかったので、申し訳なく思った宿主は旅僧に粟飯を施した。藩主は漁を決行し、多くの魚が川面に浮上した。その中に大うなぎがいて、その腹を裂いてみると粟飯が入っていた。大うなぎが旅僧だったと人々は知った。その後大地震や藩主の早死になどが続いた。
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ヤマノカミ,サルガミ
1965年 岐阜県
滝の向こうの国にたどり着いた旅の僧が、村人に歓待され、嫁をもらってそこで日々を過ごすことにする。村人に徐々に肥えさせられた僧は山の神(猿神)への生贄にささげられようとしていたのであった。(話の後半は省略されている)
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ダイダラボウ
1986年 埼玉県
昔、秩父にダイダラ坊という大男がいた。ある年、ダイダラ坊は旅に出ることになった。そして昼飯の時に腰を下ろした所が定峰峠で、粥を煮て食ったところが粥新田峠、使った箸を突き立てた所が二本木峠、笠を置いた所が笠山だという。また、腹いっぱいになったダイダラ坊が大あくびをするのに足を伸ばすと、その足は槻川まで届いた。そして粥を煮た釜は荒川で洗い、その近くに伏せておいた。それが釜伏山である。
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ヤマノババ
1933年 岩手県
和尚さんに言われて、小僧が山へ薪をとりに行った昼に味噌の入った握り飯を食べるとき、味噌を一粒落としてしまった。帰りに小僧は山の婆に襲われた。小僧は和尚さんからもらったお札の力で寺まで逃げ戻った。寺まできた鬼婆を和尚は一粒の味噌に化けさせ、小僧に食べさせた。婆は味噌が化けたものだった。
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オニ,ユウレイ
1979年 岐阜県
昔一人の僧が美濃の国、今須の村にさしかかり、一夜の宿を乞うたが、どこの家でも断られた。仕方なく村のはずれの、墓場の六体地蔵の影で一夜を過ごすことにした。夜になると鬼が5、6匹出てきて、妙という老婆の幽霊をいじめるのを目撃した。僧はどこかの家で成仏できない人がいるのではと考え、一軒一軒尋ねると庄屋の母親であることが分かった。その老婆は生前欲深く村人に恨まれていたため、成仏できないのだろうということになり、僧は供養の為にお寺を建てさせた。その後鬼や老婆の幽霊は出なくなったという。
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(フメイ)
1989年 静岡県
小瀧という家に鎌倉建長寺の僧が来た。飯の時に人を寄り付けない。村の大きな犬が食いついて駕籠からくわえ出すと、正体を現した。なにか獣が化けていた。
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コウボウダイシ
1915年 石川県
昔、末吉村で1人の旅僧が宿を求めたが、断られた。水を1杯くれと言ったが、水も無いと言われた。以来、この村には清水が無い。その反対に、旅僧を泊めて歓待した上野村は、翌朝出立の際その礼として、旅僧が海岸の岩を指すと清水が出た。その旅僧は弘法大師だった。以降、上野では海岸の水で布を晒し、能登縮として四方へ輸出している。
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フルダヌキ
1955年 岡山県
ある雨の夜寺に老人がやってくる。老僧は青石を焼いておいて老人に在所を尋ねる。日が暮れたので宿を乞いたいということであった。老僧は夕飯も過ぎたが蕎麦焼きならあるといって焼いた青石を老人の膝に投げると、老人はあっと叫んでそのまま出て行くが、谷で死んだ。翌朝行って見ると谷底に穴があり、そこで古狸が焼け死んでいた。膝と思ったのは陰嚢であった。その土地の名を玉落谷という。
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チシャダイシ
1978年 広島県
昔女が一人で暮らす家に旅僧がやってきたので、女は団子汁をご馳走しようと考えたが、雪が降っているため難儀していると僧が代わりに大根と蕪を取ってきた。女はそれで団子汁を作ったが、雪に僧の足跡がついてしまったと言うと僧は呪文を唱えて足跡を消したので、女があなたはどなたかと訪ねると、僧はかき消すように消えた。これは智者大師であった。
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ガケノタニノジゾウソン,ヤマブシ
1975年 愛媛県
昔大飢饉があり、人々が雨乞いをしたが効果がなかった。どこからともなくやって来た山伏が崖の谷で滝に向かい念仏を唱えて断食の荒行を始めると雨が降ったが、山伏は死んでしまった。村人はそれを悼み、滝の傍らに地蔵堂を建てた。
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テング
1919年 京都府
熊野の天狗は那智の瀧で荒行をし、羽黒山の天狗は羽黒の瀧で業をするという。南禅寺と永観堂が駒ヶ瀧を争ったが南禅寺が勝った。そのため永観堂の僧が憤って瀧に参篭持念して天狗になったという伝説がある。
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コウボウダイシ
1934年 広島県
弘法大師が、雪の夜に癩病の病人の姿で宿を乞い、大根蕪の入った汁が食いたいといって、自ら雪の中野菜を盗みに出た。主人が雪に足跡がついて露見するというと、呪文を唱えて、おおいに雪を降らし足跡を隠した。
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オニ
1979年 岐阜県
天暦年間の事。鬼が瓢岳に棲み付き、村人を苦しめたので勅命で藤原高光が退治にきた。鬼は姿を巧みに隠したので高光は瓢岳と高賀山に6つの社を祀り、虚空蔵菩薩からお告げと白羽の矢を受けて鬼を射止めた。鬼の首をはねた刀を洗ったら鰻に変じたので、虚空蔵菩薩のお使いとして、この村では鰻を食べない。この鬼の首が念興寺にあり、持ち出すと天が荒れるといわれている。
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センコノタキノオゼン,ミズガミサマ,ユメマクラ
1987年 長野県
昔,病気の母親と暮らす若者がいた。若者は親孝行で,働き者だったが生活は楽にならない。母親の回復を水神様に願掛けしていたが,よくならない。一度でいいから母親に甘いものを食べさせてやりたいと思っていた。ある夜,夢まくらに水神様が現れて「千古の滝の傍で『お膳を下さい』と三度唱えればお膳が出る。ただし食べ終わったらお膳は元の所に返さなくてはならない」という。若者がお告げの通りにすると,ご馳走の並んだお膳が現れた。母親の病気はだんだんよくなり生活も楽になってきたが,隣人が若者の後をつけ,同じようにお膳を出してそのまま返さなかったので,水神様が怒って,それっきりお膳を出してくれなくなった。
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コウボウダイシ,カキ
1937年 京都府
昔、柿をもいでいると旅僧が来て、柿を1つ下さいといったが、男は渋柿ばかりとうそをついた。旅僧はかまわないと言って1つ持って帰った。旅僧は弘法大師で、以来渋柿しかならなくなった。
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