トキワゴゼン 1973年 奈良県 おんば坂の由来。常盤御前がおんば(乳母)を連れて休んだところとも、常盤御前が生んだ子を姥が抱いてころんだためともいう。
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コサカトウゲ 1956年 宮城県 七ヶ宿街道の東の起点上戸沢は、仙台藩の境目番所のあった所で、ここから伊達郡の桑折に下る坂は、九十九折の険しい坂路であった。昔、伊達郡貝田の妊婦が、臨月の腹をかかえて峠を登りつめたとたん出産したが、母子ともに無事だった。それ以来この坂を子坂と称し、ここの小石を妊婦の袂に入れ、または砂を紙に包んで懐に入れると、安産するといわれた。
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オヒメサマ 1989年 山梨県 お姫坂には昔水溜りがあって、お姫さまがそこに出たからお姫坂と呼んでいる。
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トキワゴゼン 1973年 京都府 常磐御前が子供たちを連れて杖をついて渡ったという瀬を常磐の瀬といい、その竹杖を岸にさしたところ、芽が出て竹やぶとなった。
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トキワサン 1973年 奈良県 常盤さんは以前は子安の地蔵さんと呼ばれていた。
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トキワ 1973年 奈良県 岸岡家の屋敷神である常盤さんの祭祀用の田は常盤田とよばれるが、この田を耕しているときに常盤御前がこの地に来たのでこの名がついたという。
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カッパ 1915年 東京都 合羽坂という坂がある。坂の下で低い土地にある池に河童が住んでおり、時々坂のあたりに出たために、坂の名になったという。
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トキワゴゼンノコシカケイシ 1973年 奈良県 常盤御前が休憩したという石は、常盤御前の腰かけ石とよばれている。
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ヤマンバ 1974年 姥ヶ峠は姥桜蛭谷から筒井神社に至る道にある。姥ヶ峠は昔開拓の当時に山姥が住んでいて、夜小屋に来て人を脅かしていたためにその名があるという。
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サクラ,アトザンザクラ 1956年 宮城県 九門長者の娘阿区玉御前が坂上田村麻呂を生んだとき、後産を埋めたのがここであるといわれる。安産の信仰を集めた。
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トキワバシ 1973年 奈良県 常盤御前が逃げてきて常盤橋の下に隠れていたという。
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ヒメ 1989年 山梨県 昔、百姓が水をくみにいくと、どんなに早く行っても誰かがくんだ後のようなので、おかしいと思って水のたれた後を追っていくと、古屋の山の麓のほうへ見えなくなった。宵のうちから待っていると、お姫様が現れ、水を汲んで古屋の山の神の方に消えた。その後姫の姿が見られなくなると、池の水も自然となくなり、今は坂だけが残っている。それが御姫坂の名の由来。
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テンジン,カミナリ 2001年 奈良県 幕末の頃、代官が天神様の手水鉢の水を馬に飲ませた。やめてくれと言った人は鞭で叩かれた。代官が500メーターくらい行くと、黒い雲が出てきた。急いで急な坂を駆け下りかけたとき、代官に雷が落ちて馬と一緒に谷下に落ちて死んでしまった。その坂は代官坂と呼ばれるようになった。
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イットノサカ 1987年 長野県 夫神から逃げてきた白山さまは,当時湖水であったこの地で石の船の下に隠してもらった。いくら探してもわからないので夫神様は追うことをあきらめてしまった。そこでこの場所を「縁切り坂」「縁遠坂」といい,「いっとの坂」となまった。昔はここに「縁切り地蔵」が立っていて,嫁入りの時に前を通ると縁を切られるというので脇を通っていった。
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ヌレオナゴ 1991年 愛媛県 たかなご坂を通ると女が赤子を抱いていて、「子を抱いてくれ」と言った。抱いてやると赤子が次第に重くなったので放り出して逃げると女は追ってきた。家に入って戸を閉めると、女は先が鉤になった髪の毛を投げつけてきた。朝見てみると、釣り針のような毛が戸に残っていた。二枚戸だったので助かった。それで「二枚戸は祟られん」という。
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コドモ,ヌマ 1975年 山形県 捨子沼の由来。天保四年の大飢饉で百姓が子供を捨てたことからこの名がついた。雨の日にはこの沼のほとりに蓑を着た子供の姿が現れ泣き声が聞こえる。あるいは沼を渡るために母親が子供を踏み台にして渡ったことからとも言われている。
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ガギザカ 1968年 群馬県 箕輪城が武田信玄に滅ぼされたとき、脱出した藤鶴姫一行が、人の声を聞いて追手と早合点し、自害してしまった。声は姫の味方の軍勢のものだった。声のしたあたりを一言坂、自害した坂を限り坂という。限り坂は今、訛ってガキ坂と呼ばれていて、そこのお堂に座ると鼻血が出るという。
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トキワサン 1973年 奈良県 常盤さんという小祠が川の水の注ぐところに祀られているが、常盤御前がここで水あびをしたといわれている。
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シュテンドウジ 1988年 奈良県 白毫寺の稚児が死人の肉を切り取って師の僧に勧めた。僧は知らずに珍味と喜んだので、稚児は奈良の町に出て人を襲い、師の僧に肉を差し出すようになった。僧は稚児の跡をつけてそのことを知り、縛って山に捨てた。その坂を稚児坂と言う。その稚児は大江山にいき、酒顛童子となったという。
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ダイジャ 1988年 奈良県 茶屋のこまのという娘が飛脚に恋をし、忍んで行った。飛脚は親の治病の願掛で女断していたので逃げ、淵の脇の松に登った。娘は水に映った姿を見て飛び込み、大蛇となった。以来、飛脚を他人に取られるのを恐れ、女と見れば殺していた。あるとき駕籠に乗った花嫁が通ったら急に雨になった。駕籠かきが雨具を借りに行っている間に、花嫁は消えていた。以来その橋を嫁取り橋といい、嫁入道中に通ってはいけないとしている。
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