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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

ガギザカ
1968年 群馬県
箕輪城が武田信玄に滅ぼされたとき、脱出した藤鶴姫一行が、人の声を聞いて追手と早合点し、自害してしまった。声は姫の味方の軍勢のものだった。声のしたあたりを一言坂、自害した坂を限り坂という。限り坂は今、訛ってガキ坂と呼ばれていて、そこのお堂に座ると鼻血が出るという。

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ダレガソデザカ
1939年 兵庫県
太山寺の仁王門の近くに、苦集滅道という坂があり、そこで倒れると、袖を斬り捨て身代りにしないと命が短くなるという。誰のものか分らない袖がそこに沢山捨てられたことから、誰が袖坂と称されるようになったという。
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シャミガフチ
1987年 長野県
昔,座頭が村人に諏訪へ行く道を尋ねたが,村人が嘘を言ったため座頭は道に迷ってしまった。泣きながら坂をさまよい続けたが遂に日が暮れてしまい,途方にくれた座頭は三味線を持ったまま淵に飛び込んでしまったという。今でもその淵からは,三味線の音が聞こえてくるという。泣きながらさまよった坂を「泣き坂」と呼んでいる。
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(チゴノタタリ)
1989年 長野県
中山道を通って京都から稚児が逃れてきた。どっちへ行けば逃げられるかと問うので道を教えると、向方から坂部へ向かった。向方の百姓が後をつけると、追いつめられたと思った稚児は坂部の天竜川の渕から身を投げて死んだ。百姓たちは稚児の太刀などを盗んだが、やがて疫病などの祟りが襲いかかったので、小さな祠を建てた。
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ヒダルイザカ
1982年 東京都
ある家で、奉公人に食べ物を十分に与えないでこき使って死亡させた。その後、夜になると「ヒダルーイ。ヒダルーイ」という声が聞こえるようになり、ヒダルイ坂と呼ばれるようになった。
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ホンジョウヤマノシロ
1931年 千葉県
本城山にはかつて、臆病な殿様が城を築いていた。酒井小太郎の大軍が攻めたとき、城は山の頂きと共に高くなり、一向に近づくことができず、引き返すとまた、元のように低くなった。しかし、臆病な城主が抜け穴のトンネルを掘ったことで城は奇跡を行う力を失い、城は落ちた。山の咽喉を切ったのが悪かったのだと言われた。
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ヒメヅカ
1979年 岐阜県
武田勝頼が攻めてきた際、お姫様が姫塚まで逃げてきて自殺した。石のかりとの中に姫の衣装と一緒に埋めてある塚がある。今は田になっているが、この田を持っていると悪いことがある。
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ウシオニ
1992年 山口県
鬼が城山は、鬼が岩窪にいたから、そう言うのだという。また、鬼が美女を慕い夜毎通っていたが、家の主が気づいて斬ると、血を流しながらこの山に逃げて死んだから、こう言うのだともいう。
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タケダグサ,ツヤヒメグサ,オンナ
1931年 山梨県
天正年間、武田勝頼は城を織田信長に攻められた。その時、武田の家来だった男と、恋仲だった艶姫は離れ離れになり、姫は捕らえられた。その後、姫は脱走に失敗し、自害して堀に身を沈めた。その次の春から、その堀には見慣れぬ水草が生えるようになった。里の者は艶姫の精だとして、武田草、艶姫草と呼んだ。4月29日の祭りは毎年雨であるが、何年かに一度晴れることがあり、その日の早朝堀に行くと水面が二つに裂け、美しい女が玉手箱や鏡や宝剣を持って現れる。この女を笑わせれば、その宝が手に入るという。
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クビキレウマ
1967年 高知県
入野但馬守がせめてきたとき、敷地民部の女椿姫は、援軍を請いに首切れ馬に乗って引舟峠まできたが、敷地のほうをみやると火がたちのぼっていたので自害した。
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ヒノタマ,コザクラヒメ
1996年 愛知県
冨貴城主戸田孫右衛門の内室(あるいは側室とも)の小桜姫は、落城の際「アイノ山」で自害した。人々はそこに塚を造ったが、その後、雨の夜には火の玉が冨貴城跡に向かって飛んでいくようになった。姫の霊が主人に会いに行くのだという。現在は小桜神社が建てられている。恋愛や婦人病に霊験があり、ここの七草を煎じれば諸病に効くという。
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ウシオニ
1966年 三重県
五ヶ所城城主愛洲重明が、山で日向ぼっこしていた牛鬼を一矢で射殺した。川は血に染まり、牛鬼は滅んだ。その後、北畠氏の出である奥方がテンケイ病を患ったとも、祟りで重明が奥方に嫌気がさし、京都からきた女を愛するようになり、北畠氏と仲が悪くなったともいう。そして奥方は世をはかなんで死んでしまった。
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コエ
1936年 滋賀県
石田三成が関ヶ原の戦いで敗れた時、奥方たちが万恨を呑んで千貫池、万貫池に入った。その恨みが残っているため、雨降りの夜にはひいひいという啜り泣きの声が聞こえるという。
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テンジン,カミナリ
2001年 奈良県
幕末の頃、代官が天神様の手水鉢の水を馬に飲ませた。やめてくれと言った人は鞭で叩かれた。代官が500メーターくらい行くと、黒い雲が出てきた。急いで急な坂を駆け下りかけたとき、代官に雷が落ちて馬と一緒に谷下に落ちて死んでしまった。その坂は代官坂と呼ばれるようになった。
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イットノサカ
1987年 長野県
夫神から逃げてきた白山さまは,当時湖水であったこの地で石の船の下に隠してもらった。いくら探してもわからないので夫神様は追うことをあきらめてしまった。そこでこの場所を「縁切り坂」「縁遠坂」といい,「いっとの坂」となまった。昔はここに「縁切り地蔵」が立っていて,嫁入りの時に前を通ると縁を切られるというので脇を通っていった。
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クビナシウマ,ウブメ
1976年 愛媛県
昔、東野の奥の城の若殿と、松末の城の姫は恋仲となった。両家は元々仲が悪かった。そのうち松末の姫は身ごもり、怒った松末城主は若殿を馬と共に殺した。奥の城主は怒り、姫を斬り殺した。姫は竹やぶに入り、赤ん坊を生んだという。竹やぶでは今でも赤ん坊と産女の声が聞こえ、雨の降る夜には首無し馬が若殿を乗せて走るという。
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オニ
1992年 山口県
源頼光が酒呑童子を退治した時、幕下にいた霞隠鬼が西国に逃げ、白橘山に住みついた。霞隠鬼が里人に危害を与えるので、郡司であった平貞衡は退治することにした。ついに鬼を討ち取り、鬼の首を鉄の串に刺してさらした。それ以来、白橘山を鬼ヶ城と言うようになった。
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タタリ
1957年 熊本県
人吉城の矢瀬主馬介は城の明け渡しを拒否して謀殺された。主馬介の母はこれを恨んで自刃した。その後、人吉城ではよろこびがある時には老婆の泣き声が、悲しみがある時には笑い声がきこえるという怪事が起きた。
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ハナサキイシ,ヤマトタケルノミコト,アクゼイ,アクレイ
1935年 群馬県
日本武尊が奥上州にやって来たとき、山に悪勢という魔神が住み、朝廷に背き人民を困らせていたので成敗した。神通力で戦いながらも敗れた悪勢は、山に包囲されて焼け死んだ。その娘は清純な処女だったが、武尊の軍勢に阻まれ自殺した。彼女の従者は哭き死んで、その亡魂が石となり、花が咲いたという。それでこの石を花咲石といった。悪勢らの悪霊は祟りをなしたが、石神として祭ると止んだという。
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タヌキ
1960年 神奈川県
ある寒い冬の夜、一人暮らしの老婆の家に年を取った狸が来て囲炉裏にあたった。次の日も来たので老婆が狸に火を投げつけると驚いて逃げたが、坂の途中で死んだ。その坂を火の坂という。後に水車業を営む人が陽原から久所に通ずる坂の下に穴を掘って祀った。
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ヤマンバ
1932年 愛知県
文明年間のある8月の夜、郷士が犬を連れ狩りに出た。犬が騒ぐので弓を用意しながら尾張富士の頂上の本宮の社へ出た。そこには身の丈1丈あろうと思われる大女が拝殿に向かって立っていた。矢で射ると地が揺らぎ、不気味な風が吹き、血の跡を残し女の姿はなくなった。その跡を追うと知り合いの家へ続いていた。何か変わった事はないかと問うと、妻が今暁から病気であるという。寝床を確認すると姿は無く、和歌が書き付けられていた。
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