ジョウゾウ 2002年 京都府 天暦二年(947)、山城国東山にある法観禅寺の仏舎利塔(八坂塔)が、乾(北西)の方向つまり王城(平安京)に向かって傾いた。この事態に対し、天台宗の高僧であり、父・三善清行を神通力によって冥界から蘇らせたという浄蔵が塔前で修法を行うと、乾方から黒雲が突然塔の方向にやって来て、雲が開いたとき塔の傾きは直った。
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ジョウゾウ,ソセイ 1975年 京都府 北野の忌明の塔が浄蔵の墓であるという説がある。これは、浄蔵が清行を蘇生させた人であるために、それにあやかろうと参るのだという。
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ソセイ,イチジョウモドリバシ 1933年 京都府 三好清行が死んだ時、子の浄蔵貴所が父に会うため熊野葛城から帰り、一条戻橋で父の葬送に逢った。浄蔵貴所は呪術で父を蘇生させ家に連れ帰ったので、橋の名は戻り橋となった。
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ジョウゾウ 2002年 京都府 天暦二年(947)、山城国東山にある法観禅寺の仏舎利塔(八坂塔)が傾いた。この事態に対し、天台宗の高僧であった浄蔵が塔前で修法を行うと、その霊験ある声は遍く人々の耳に達したという。
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ユメ 1976年 豊太閤が朝鮮王に送った書簡に、私が妊娠した時、母は日を呑む夢を見たとある。このような話は、天台山沙門陽勝や、蓮師三国氏などにもある。
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オンリョウ,ウジアクサフ,キタノテンジン,サヌキイン,オキノイン 2002年 『太平記』巻25「天龍寺事」によれば、宇治悪左府(藤原頼長)・北野天神(菅原道真)・讃岐院(崇徳上皇)・隠岐院(後鳥羽天皇)はそれぞれ怨霊であったが、それぞれ贈官・奉爵・追尊号などし、また廟所などを建ててまつることで、みな王朝鎮護の神となったという。
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タロウボウ,シンゼイ,オオテング 1974年 京都府 文徳天皇の時、太郎坊(真済)という僧は弘法大師に密教を受け、高雄の峯で修行していた。しかしいつの頃か、染殿后を見た真済は心迷って死んだ。その執心は青い鬼となって染殿后を驚かし、最後には大天狗になったという。その山は軍を守り、火の難から逃してくれるので、皆が崇拝した。
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シロオオカミ,レイトウ 1929年 鳥取県 長寛二年に源義朝の臣であった大久保左馬之祐王家の再興のため、三徳山に参拝した。その時、途中で妙見山の神使である白狼に会ってこれを救った。そして妙見大菩薩が夢に現れ、老楠の根本に霊湯があるので、それを渡すから人の病苦を救えと言われたことが、三朝温泉の起源である。
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フドウミョウオウ,テンジン,ハゴロモ 1967年 福島県 三浦左近国清という人が太田村別所に住んでいた。世継ぎが無いことを憂い、馬場村の滝不動に美しい妻が得られるようにと祈願した。すると夢に不動明王が現れ、現世には配すべき女がいないので、五台山の奥の池で天人が水浴びをしてるゆえ、その羽衣を取れと言った。国清はその通り山に登り天人の羽衣を取って家に帰った。やがて天人は気付き、国清の家に行き羽衣を返して欲しいと願ったが返されず、ついには夫婦になった。二男一女をもうけたが、やがて子供たちが大きくなったから別れても立派に育つと言い残し、天女は羽衣を着て天に昇った。国清は悲しんだが、娘はそれにもまして悲しみ、ついには池に身投げして死んだ。中太田に姫塚と呼ぶ塚があるが、この姫を祀ったものといわれる。
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シャリ 1974年 大阪府 摂州東成郡放出村にある出田寺の空山和尚は有徳の僧で、多くの人々が帰依した。彼が往生した時、火葬に付した骨は舎利となり、灰は紫になったという。寛文11年5月11日の出来事である。
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カミナリ 1975年 愛知県 敏達天皇の御時。尾張の農夫が夏の頃、田に水を引いていると、空が曇り雷雨になった。農夫が木陰にいると雷が落ちた。その形は小児のようであった。農夫が打ち殺そうとすると雷は命を乞い、汝のために異なる子を産ませようといった。ほどなく農夫の妻が懐妊した。生まれた子は怪力で、元興寺の鬼を殺した。小児は僧になり、道場法師と名乗ったという。
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クスノキマサシゲ 1976年 福井県 楠正遠の末子、恵秀律師は越前の平泉寺の僧であった。彼が本尊の前に座っていたとき、目の前に兄正成が現れた。どうやって来たのか尋ねると、正成は補陀落浄土から来たといった。不思議に思って、上方へ使いを出すと、正成の姿を見たちょうどその時刻、正成が討死していたことが分かった。
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ヨウゴウセキ,ヤクシニョライゾウ 1977年 神奈川県 天平11年、光明皇后が重病となったとき、聖武天皇の夢枕に立った僧が、武蔵国橘にある霊地の霊石に薬師如来像を祀れば治癒すると告げた。その通りにすると、皇后は治癒した。後にも、ひとりでに動くなどという不思議なことが、この薬師如来像には起こった。
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(ヨミガエリ) 1976年 京都府 天慶年中に、東寺の日蔵が死んだ後に甦った。日蔵が言うには、地獄で鉄窟の中に炭のようになった人が赤灰の上に蹲っていて、我は宇多帝の子であるが、仏寺を焼いて有情を害した罪を受けて苦しんでいる。本国に帰って国王および宰補に奏上して供養の卒塔婆を作れと告げたそうだ。
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ユメ,サネトモ 1976年 陳和卿が言うには、鎌倉右大臣実朝は、かつて宋王朝育王山の長老であったのが、日本に生まれて将軍となった。建暦元年6月3日、実朝の見た夢の中に、1人の高僧が現れて、そのことを告げた。夢を見てから6年後に確かに符合した。
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ネコ,(オンガエシ) 1956年 宮城県 寛政年間(1789~1801),泉永寺住職玄契和尚は高い学徳を持っていたが,暮らしが苦しいので寺を捨てる覚悟をした。長年可愛がっていた三毛猫にも我が子に言うように暇を言い渡した。一方,物持の千田家には一人娘の美知代がいたが,学問好きの美知代は玄契和尚の学識を慕い,三毛猫も娘になついていた。ある時美知代に縁談が持ち上がったが,美知代はこれを嫌い,結納の前夜沼に身を投じてしまう。数日後,葬列が村境近くの一本杉の近くを通りかかると,柩が十数尺の老杉の梢に吊り上げられてしまった。僧侶や修験者たちが修法を行ったが効果がないので,玄契和尚を呼ぶことになった。和尚が数珠をもみ経文を唱えると,柩が降りてきて葬儀を終えることができた。実はこれは愛猫三毛の報恩で,以後寺も和尚も尊信を集めたという。同寺には玄契和尚の描いた大涅槃像が現存する。
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タマシイ 1974年 東京都 天和3年5月3日に普段から功徳を積んでいた女が死んだ。翌年3月3日にその女の妹の夢に死んだ女が現れ、後生の安楽を語り光明真言と念仏を唱えるように告げて夢は覚めた。
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オニ,ウラ 1979年 岡山県 垂仁天皇の時代、吉備国で略奪を繰り返す百済の鬼神、温羅を退治するため、イサセリヒコノミコトが派遣された。勢い凄まじい温羅を攻めあぐねたミコトは、神力を現して1度に2本の矢を放ち、温羅の左目を射抜いた。雉や鯉に姿を変えて逃れる温羅を捕らえたミコトは、首を刎ねて曝したが、その首が何年も大声でうなり続けたため、温羅の霊を祀って鎮めた。
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アクギョ,タイギョ 1993年 香川県 昔、景行天皇の御代に、悪事を繰り返す大魚が土佐の沖にいた。天皇は日本武尊の子供である霊子に討伐を命じた。霊子は悪魚を退治し、その後讃留霊王と呼ばれて慕われた。里人は悪魚の祟りを恐れて地蔵堂を建立した。
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ケンテセイ 1980年 靺鞨国から来た見底勢という優れた医者が、ある時に死胎で危険に陥った母の鼻の穴に薬を吹き入れ、鼻と口と背中に灸を据えた。すると母は生気が戻り、後に死んだ胎児を産んだ。しかし、その死んだ胎児にも医術を施したところ、胎児は声を発して復活したという。
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