カミノオツゲ,アマゴイ 1928年 鹿児島県 加計呂麻島の南にある與路島には300戸くらいの人が住んでいた。ある年の6月から8月にかけて、50日くらい旱魃が続いた。小学校教員の妻が深夜に神のおつげを聞き、海で身を清めた後、踊り、歌って雨乞いをした。その後、島の人々も参加し、7日7夜踊り狂って雨乞いをした。祭りの終わる7日目に雨が降って、水神の信仰はいっそう高まったという。
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ハタガミサン,ハタガミ 1984年 新潟県 いつのことか分からないが、小立の運上納の下の浜へ、上品な美しい女性を乗せたウトウ船が漂着した。嶋川伊八郎家で世話したところ、次第に元気になって機を織るようになり、近所の娘たちも教わりに来た。その人が死ぬとハタ神として運上納に塚を築いてまつるようになった。縁日の7月7日には小木・羽茂・真野あたりからお参りをする人が来て、名前・住所・年齢を書いたあさぶのおりじまいを奉納したという。
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リョウドメ 1939年 島根県 9月13日の氏神祭、10月の龍ごんさんは漁止めであり、龍ごん祭の入用はこうした漁止めの日や10月の荒れ日にナカマウミと言って一株から一人ずつ若者が出て二艘の漁村で漁をして蓄えた。また若者たちが今夜は漁を休もうと持った時には船頭に頼んで浜に〆をはって村中の船の底のトノミを抜いてシメノコに結びつけて置く。このトノミを先に取る家は嫌われ、休み日に漁に出た家には縄を貼って〆としたり、外の釘づけにして出入りを禁じたりした。
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カミサマ 1977年 福島県 神様は、仏おろしと神おろしをしてくれる人のことである。坂下にいる三平さんという神様は、病気の時や行方不明者が出たときに、頼まれて神おろしをした。水に入っているものの事は判らないが、山に入っているもののことは判り、どちらの方角に行ったとか言った。
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ライジン,アマゴイ 1974年 茨城県 年1回3月に三戸の雷神様へ行きお札を受けて雨乞い、豊作祈願をする。腕の良い若い衆が三戸の雷神様まで走って行き竹の中に水をいただいて担いでくる。その水を組内に振り回すと雨が降った。
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ウバイシ 1990年 長野県 宮向こうの上田に、姥石がある。昔、嫁いで三年経っても子どもが産まれない女性がしゅうとに追い出され、石に抱きついて泣いていた。するとまもなく子供が出きたので、家へ戻ることができた。以来、その石へ願をかけると子宝に恵まれるという。
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ヘビ,ジャ 1959年 秋田県 山芋掘りに行った人が山で蛇を3匹殺した。夕方、家が揺さぶられたので、お婆さんが着物の袖からお日様を透かして覗くと、蛇の形が見え、それが家を取り巻いていた。殺した人が死んだので隣家に知らせに行くと、そこにも李の木から大きな蛇が下がっていた。託宣すると「1000匹子を産めばジャになって天に昇れるのに、3匹も殺されてしまったので憎い。親類全部殺してやる」と言うので、毎年7月24日に龍神を祭ると謝った。
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ヤマイヌ,バケモノ,タヌキ 1990年 長野県 伊那から離れた場所に天神様を祀る神社があった。その村では、年に1度の祭礼に娘を1人ずつ天神様に差し出す決まりになっていた。その年にも夜遅く、金持ちの家の娘を箱に入れて宮前に置いた。心配した神主が隠れて見ていると、おかしな3人の男が来て娘を森の中に連れ去ってしまった。この時男たちは、「伊那の早太郎」が来ていないことを確認してから娘をさらった。
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リュウグウ 1967年 福島県 川に鍬を落として、水底に探しに入ると、とうとう竜宮まできてしまった。そこでは美しいお姫様がひとりで機を織っていた。久しく待っていると、たいそうなもてなしを受けたが、家のことが心配になり、3日でいとまごいをして腰元に道まで送ってもらって村に帰ったら、5年もたっていた。それから記念のために機織り御前の社を建てたという。
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オジュラッサマ 2001年 愛知県 昔乙方村では2年続いてたくさんの子供がなくなったので、子供を守る十羅刹女様という神様をお祭りすることにした。その前身は鬼子母神である。村人は1年に千人の子供が生まれることをお願いし、1戸で団子千粒ずつを神様にお供えし、7日間村中の人がお祈りした。それで村にたくさんの子供が生まれ、元気よく育つようになったという。
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ウナンダ 1956年 宮城県 応仁年中(1467~1469)、この島に移住した楠氏の中の正直者が、夜釣りをしているときに恐ろしい唸りの光り物が飛来して落ちるのを見る。その夜、汝の正直をめでて海難を除き幸福を授けるという伊勢の風の宮の神の告げがあったので、光り物の落下点に宇南神社を祀り、田を宇南田(唸ん田)と称した。今も不浄な肥料は入れず、その米を餅について春秋の祭に供える。
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モウシゴ 1929年 東京都 佐内家では子ができないので、嫁は近所の井の頭辨天で願をかけた。願いは叶って女の子を産むことができたが、近所の人はその子を神の申し子だと言いはやした。娘が成長した或る日母娘は辨天へお礼参りに行った。そこで娘は殺気立った顔で池の中をじっと見てるかと思うと池の中めがけて身体は岸を離れて行った。
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バンバアイシ 1960年 神奈川県 昔、ある信心者の夢枕に神が立ち「一の釜西方を流れる相模川の深いところにいる。自分の体は石で夫石は川下の江ノ島にいる。上流から訪ねてきたが、水が少なく下流に行けないから八幡宮まで連れて行って欲しい」と告げた。夢から醒めて一の釜に行くと、川底に老婆のような形の石があったため社の境内に移した。その後日照りが続いた時また夢枕に立ち、「自分を一の釜に入れると雨を降らしてやる」と告げたのでそうすると雨が降った。その後石はしばらく放置されたが、川下の人が井戸端の敷石として使った。しかし、一家中の人が病気になったため、行者の進言で八幡宮へと返された。
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シニン,ショウネ,コエ 1978年 愛媛県 昔木出しをしているときにせきがはずれ、川下で作業をしていた五十人ほどの人が流された。それ以来その人達の性根が残っていて、雨の日になると木を出すときに歌っていた音が聞こえる。そこで3月24日に祭りをして、地蔵さんをまつった。
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シオガマジンジャ 1956年 宮城県 塩釜は左宮の武甕槌神と右宮の経津主神、別宮の塩土翁神の三神が初めて草鞋を脱いだ場所。二神は南に帰って、武甕槌神は利根川の左岸常陸の鹿島に、経津主神は右岸の下総の香取に定住。塩土翁神のみはこの地に留まり、潮を煮て塩をとることを教えた。昔から、祭神は童形に化身して、大火の時に消火を手伝ったり、政宗が一時船着きを蒲生に移して塩釜が寂びれたときに村人を励ましたりした。また祭りの神輿に子供が供をして神意を村人に伝える「ざっとナ」という行事もあった。
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〔シンショウ〕 1986年 沖縄県 沖縄東村・川田の習俗に関する60年前の記録である。6月25日にアシャゲ(神祭場)で御願があるが、このときに神鉦(神が鳴らす鉦)の音が聞こえるという。女祭司たちが歌を唄い太鼓を叩いて神事を行うのであるが、神歌のテンポは次第に熱狂的となり、ある時点に至ると鉦が鳴るのである。誰がその鉦を鳴らしたのか知る者はなく、神の仕業以外のいかなる説明も得られないのだという。
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イケノヌシ,ダイジャ 1984年 新潟県 長福寺のおとわという下女が奥山に蕗を採りに行き、腰巻を汚す。それを洗っていると、池の主が現れ、池で腰巻を洗った者は自分の女房になる掟だから3日後に迎えにいくという。おとわは床についてしまうが、主の大蛇がやってきて、おとわを渡さなければ大水を出すといい、とうとう池の主に嫁ぐ。数日後に池の中央に浮島ができており、それはおとわが池に住み着いたしるしだといってその池を「おとわ池」とよぶようになり、旧6月23日はおとわが嫁いだ日だといって、村人は池に供物をする。
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ヘビ 1972年 岐阜県 雨乞いの代償に蛇に嫁いだ娘の話が、下長瀬と高科にもある。雨がほしいときは、池に三方に乗せた白粉とお経を浮かべる。そうすると真ん中まで行って、三方だけが浮かんでくるという。父親が姿を見せてくれと頼むと、真っ黒な雲の間から蛇の姿を見せたという話もある。
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ヤマンバ 1948年 岩手県 昔、川の上流の沢から山姥出てきては田畑を荒らしたりしていた。困った人々が山姥を神にまつれば悪いことはしないだろうと考え、山姥神社をつくった。それ以来、山姥は出なくなった。現在、山姥神社は移転して秋葉神社内にある。
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カミノタイワ 2001年 青森県 昔、ある旅人が、雷雨の為に道端のお堂で雨宿りしていたおりに、神の対話を耳にした。神々は、付近に生まれた2人の子供が将来は結婚するであろうと語り、数十年後には果たしてその通りになったのであった。しかし、やがて夫の方は勝手気侭になり、離縁して妻を追い出してしまった。
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