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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

ハタガミサン,ハタガミ
1984年 新潟県
いつのことか分からないが、小立の運上納の下の浜へ、上品な美しい女性を乗せたウトウ船が漂着した。嶋川伊八郎家で世話したところ、次第に元気になって機を織るようになり、近所の娘たちも教わりに来た。その人が死ぬとハタ神として運上納に塚を築いてまつるようになった。縁日の7月7日には小木・羽茂・真野あたりからお参りをする人が来て、名前・住所・年齢を書いたあさぶのおりじまいを奉納したという。

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リュウグウ
1967年 福島県
川に鍬を落として、水底に探しに入ると、とうとう竜宮まできてしまった。そこでは美しいお姫様がひとりで機を織っていた。久しく待っていると、たいそうなもてなしを受けたが、家のことが心配になり、3日でいとまごいをして腰元に道まで送ってもらって村に帰ったら、5年もたっていた。それから記念のために機織り御前の社を建てたという。
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モトヤマゴンゲン
1956年 宮城県
小野の邑長の召使に慈悲深い女がいて、貧しい者に施し、自らは粗衣粗食に甘んじた。病で死ぬ寸前、光明を発して行方知れずとなった。方々探すと、西北十町余の丘の木立に女の櫛がおちていたが、姿はなかった。その夜、邑長に夢想のつげがあったので、そこに社を立てて本山権現とし、祭礼には神輿が邑長の家を旅所とし、臼の上に止まる例となった。
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ワカミヤサマ,タタリ
1965年 高知県
昔、人を乗せたうつろ舟(ウツロブネ)が流れ着いた。中にいる人はいっぱい金を持っていたので、村人はその人を殺して金をとった。タタリが恐ろしいので瓦の祠を作って若宮様に祀って供養した。後年、「祠が小さすぎる」との神様のお言葉があって、凶事が起きたので、木造の大きな祠にした。若宮様は女の神様だという。
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ハタオリゴゼン,オリヒメ
1967年 福島県
機織り御前は、領主畠山高国がこの地で猟をした時、天から降った織り姫に出会い結婚し、松若丸の7歳の時に、母の織り姫は再び天に帰り、後にこの社を建てて祭ることになったという。
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リュウジャ
1975年 島根県
佐太神社の西北にある恵曇(えとも)湾のイザナギ浜で竜蛇が上がった。板橋という社人が竜蛇上げを職掌としていた。今は恵曇や島根半島の漁師が9月末から11月にかけて沖合であげることが多い。竜蛇はサンダワラに神馬藻を敷いた上に乗せ、床の間に飾り、祝いをしたあと、佐太神社に奉納する。大きさは1尺2寸前後、背が黒く、原は黄色を帯びている。尾部に扇模様の神紋が見えると言われている。大漁、商売繁盛、火難・水難除けの守護神と信じられている。
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オトヒメ
1967年 福島県
鮫川の上流に御前淵と呼ばれているところがある。年に1回ずつはこの川に鮫が上がってきたため鮫川と名づけられたのだが、昔、山田村大村の人がこの淵に山刀を落としてしまい、水に入り探したが、3年目の七夕の日に村に帰ってきた。その人は水中で乙姫が機を織っているのを見たといい、それから毎年七夕の夜、もろこしで機をつくりこの淵に沈め祭りをするという。
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ゴゼンサマ
1967年 福島県
乙女淵とか御前淵と呼ばれているところで、昔、大家の娘が紅花を摘みに行って、水鏡で自分の顔を見ていたら、御前様にみいられ淵の中に引き込まれた。その後、ある男が淵に鉈を落とした。鉈の柄が近くに見えているので取りに入ったら、前にいなくなった大家の娘が機を織っていた。娘は、ここにいることを誰にも話さないでくれと、布をくれた。男が淵から上がると3年が過ぎていて、家では三回忌が行われていた。もらった布はいくら切ってもなくならず、どこまであるのかとほぐしたら、そのとたん男は死んだ。盆の16日はこの淵へ流し機といって、機をつくり流すという。これをしなければケチがつくといわれ、どんなことがあってもやらなければならないといっている。
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イチキシマヒメ
1978年 広島県
佐伯鞍職が大野の瀬戸で釣りをしていると、うづぼ舟が近づいてきた。そこから女官が現れ、自分はこの島の神だが、お前にこの島内のよい所に宮居を決めてほしいと行った。佐伯鞍職は新しい舟に姫を乗せて浦々を祈祷しながら廻った。養父崎に来ると弥山から烏が飛んできて先導し、脇の浦まできて消えた。姫はここを宮居と定めた。
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(ジシンノオウギ)
1940年 山梨県
夢のお告げを聞いた玉吉は、朝早くに万年橋に向かい、お告げ通り扇を手に入れた。家では長年家から出たことのない玉吉がいなくなったので大騒ぎをしていたが、ぼろぼろの扇で仰ぎながら帰ってきた。大水害の後で家は建て直したが地神は祭っていなかったので、早速屋敷神を祭って地神祭をした。しばらく後、玉吉は体も治り仕事をするようになった。村人がこれを聞き、病気になると扇であおいでもらうようになった。仰いでもらうと、すぐに病気は治ったという。
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ツルニョウボウ
1934年 新潟県
昔々、山奥にいた狩人がどこからか訪ねてきた美しい女を嫁にもらった。女は暇さえあればキリキリシャンシャンと機を織っていた。秋の初め頃、布が出来上がり、天女の羽衣と言われ、お城のお姫様が買った。家に帰ると女はいなくなっていていた。狩人は百姓になり、ある日山深くに行くと、松の木の上に羽毛が1本もない鶴がいて、懐かしげに見下ろしていた。
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リュウジン
1928年 徳島県
王余魚谷に住んでいた貧しい猟師はある日、深山で美しい妙齢の婦人に出会った。婦人は竜神から紀州の那智の瀧と、この王余魚瀧に住めといわれ、来てみたところよい住処なのでここに住むといった。そして、自分がここに住んでいることは誰にも言うなと猟師に口止めをした。旱魃の時には雨乞いに霊験を顕したという。その後、洪水で社が流されたが、漁夫に発見されたときには何の破損もなかったと伝えられている。
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フエノネ
1961年 山梨県
昔、三富村の上釜口に権三郎という若者が母と共に住んでいた。ある年の暮、大洪水で母は死に、権三郎は母親の好きな笛を吹いて笛吹川を探し求めたが、世をはかなんで笛吹川に身を投げて死んでしまった。権三郎の死体は春日居村小松に漂着し、村人は厚く葬った。権三郎の死後、笛吹川には笛が絶えず、村人は権三郎の亡霊ではないかとおそれ、長慶上人が供養して長慶寺の脇に権三郎塚を設けた。地元の三富村にも、権三郎の孝行を慕って権三郎不動と称して、祀っている。
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シンゾウジイサンノボウレイ
1961年 山梨県
富士川にもろこしの渡しというのがあった。昔、1人の旅ざむらいが急ぎで頼むと飛び込んできて、対岸へ渡った。その侍は自分が渡船したことを口外しないように口留めしたが、結局その渡し守を切り捨てる。その渡し守新蔵爺さんの以外は村人が鄭重に葬ったが、その後、この渡しでは思わぬ事故が繰り返された。それは新蔵爺さんの亡霊が浮かばれないとうことで、村人は、それを慰めるために、毎年新蔵天神として祀っている。この塚は、富士川河岸の小山にある。
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イシガミサン
1985年 香川県
志々島の阿部次郎左衛門という人が沖で網をうっていると、石がかかった。捨ててもまた網にかかることが二度三度続いたので、海に返さず筏石の上に置いた。その石が、夜になると、吉田へいこう、と夜泣きした。そこで吉田に運び、石神さんとして祀った。
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バンバアイシ
1960年 神奈川県
昔、ある信心者の夢枕に神が立ち「一の釜西方を流れる相模川の深いところにいる。自分の体は石で夫石は川下の江ノ島にいる。上流から訪ねてきたが、水が少なく下流に行けないから八幡宮まで連れて行って欲しい」と告げた。夢から醒めて一の釜に行くと、川底に老婆のような形の石があったため社の境内に移した。その後日照りが続いた時また夢枕に立ち、「自分を一の釜に入れると雨を降らしてやる」と告げたのでそうすると雨が降った。その後石はしばらく放置されたが、川下の人が井戸端の敷石として使った。しかし、一家中の人が病気になったため、行者の進言で八幡宮へと返された。
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(カイビャクシンワ)
2001年 沖縄県
天帝が天の岩戸の先端を折って下界に投げ入れさせると,島ができた。恋角は天帝に賜った伴侶恋玉と共にこの島に下って守護神となり,宗達神と嘉玉神を生んだ。この2神が10余歳になったころ,土から化生したという遊楽の男女の神(木荘神と草荘神)が来てそれぞれ嘉玉神,宗達神と夫婦となった。漲水御嶽は恋角と恋玉が天下った霊地である。
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リュウジン,ハチロウ
1931年 秋田県
男鹿半島の一ノ目潟の主は女の龍神である。八郎潟の主の八郎はこの龍神に思いを寄せており会いに行こうとしたが、龍神は八郎が嫌いだったので神主に命じて弓で射て追い返すように命じた。この矢が八郎の右目にあたった。神主がその褒美に貰った田地は高い丘にあったが、不思議なことに海の水が上がってきで米がよく取れたという。
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ホウソウガミ
1992年 福井県
4、5代前、本家の女の子が疱瘡を患って死んだ。それでしばらく疱瘡神を祀らなかったが、ある夜夢の中で、烏帽子に直垂を来た神が現れ、「あれはもらい子だった。どうかこれからも祀ってくれ」という。それで再び祀るようになったとも伝えられる。
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ヤマヨメジョ
1971年 鹿児島県
昔ある男が寝待海岸の方から山に入ろうとして美しい姫に出会い、これに求婚した。彼女は山の神の娘であったためその父に伺いを立てることになった。父は特に美しくはない姉のほうが年を取っていたのもあってそちらを嫁がせたかったため姉妹一緒に嫁にやることにしてそれは男には伝えなかった。しかし姉のほうは帰されてしまった。この時に海岸の一面がムクムクと盛り上がって立神という島になった。寝待のことを姉待とも書く。昭和27年ごろ、夕暮れ時に青年が牛に乗って金鉱を掘った穴の前を通りかかると、牛がどうしても進まなくなった。穴の上の方を見ると夜目にも白くうつる若い娘がドカッと座ってニクヮッと笑った。
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(フナカタノユウレイ)
1961年 静岡県
昔、船がたくさんこの地に入ってきていた頃、時化の時に人が死んだ。その死体に壊れた船の足伝馬をかぶせて現在の船着場の上の端に埋め、地蔵をつくってまつった。夜になると死んだ船方が、毎日、イソザキ(屋号)に来て田子へ行くからワラジをくれという。そこで地蔵をコザキへ移すと、出なくなった。それでその地蔵をコザキの地蔵という。
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