国際日本文化研究センター トップページ
怪異・妖怪伝承データベース
データベース検索ページ 更新情報 お知らせ 怪異・妖怪とは データベース検索 異界の杜 製作者
データベース検索ページ

検索対象事例

ニンギョ,イケノヌシ
1978年 滋賀県
琵琶湖の主である大きな鯉と投身自殺した女の間に生れた人魚が蒲生川に住んでいた。この人魚は、醍醐天皇に憑いて病気にしたために退治のための祈祷が行われ、苦しみのあまり暴れて竜巻を起こし巨岩に身を投げて死んだ。この人魚のミイラは蒲生町の願成寺に、人魚を弔うためにつくられた人魚塚は日野町小野にある。

類似事例(機械学習検索)

ニンギョ
1978年 三重県
昔は琵琶湖に人魚がいて、その木像がある寺に残っている。その木像に祈願すると雨を降らしてくれる。
類似事例

ニンギョ,イケノヌシ
1985年 新潟県
蒲生の池の主はお庚申様の仲間だといい、人魚の肉をふるまったという。それを食べて長生きした女の人がいる。
類似事例

サカナ
1974年 福島県
出羽国の柳津にある虚空蔵の池に多くの魚がいた。それを蒲生下野守が見て毒を入れて殺させた。ここは古くから殺生禁断の地だったので周囲は諫めたが聞かなかった。するとその日から14日間にわたって大地震がとまらず、山は崩れて洞になり、河は埋もれて陸となり、あらゆる建物は倒壊して多くの人々が死んだ。ほどなく蒲生下野殿家は滅びたという。
類似事例

ウマ,サカナ
1931年 奈良県
昔、後醍醐天皇が石上神宮に参詣にきたとき、近くの内山村で薨去した。そのとき、馬があまりにも嘶くので、侍臣が怒って首をはねてしまった。その馬の亡魂が石上神宮の池で魚になった。そのため、この池の魚は草を食べるのだという。5、6寸の大きさの鮎に似た魚で、特に珍魚というわけでもないらしく、大和神社の池にも同じ魚がいる。
類似事例

イケノヌシ
1985年 新潟県
蒲生の池の主が野々見の池の主に嫁を貰いに行って断られたのを恨みに思い、3年奉公して刀を借り、野々見の主を斬り殺した。そのとき血が千曲川になり、野々見の主の骨は川を流れて浦田のホカサに着いた。蒲生の主は怖くなってツナミの七つ釜に逃げ、蒲生の池は水を抜かれて田になったが、「女がアカガネ(銅)の鍬で三日うなえば元の池に戻る」という。
類似事例

リュウ
1932年 奈良県
ある美男子の許に、ある夜美しい女が尋ねてきた。2人は夫婦となり子も生まれたが、男は妻について、草履が濡れている事と、井戸で水鏡をしている事を不審に思っていた。ある時それを尋ねたら、妻は亀山の原の池に牡竜とともに住む牝竜の化身であり、池が井戸とつながっているのだと言い、池へ帰ってしまった。池を訪れ妻を呼ぶと牡竜が現れ男を食おうとした。逃げ帰ったが病に倒れ子とともに死んでしまった。
類似事例

コウガサブロウデンセツ
1987年 長野県
竜宮で暮らしている間も,甲賀三郎は妻の事が頭から離れず,遂に竜宮の人々の制止を振り払って地上に帰ってきた。闇を抜けるとそこは浅間山の麓にある真楽寺の池であった。三郎は自分がながむし(蛇)の姿になっている事に気付いて嘆き,蓼科山の頂上に立ち,妻の名を大声で呼んだ。すると遠くのほうから妻が自分を呼ぶ声がする。三郎は竜の姿で空に飛び上がり,諏訪湖の真ん中へ飛び込んだ。実は妻も竜になって湖の底に暮らしていたのである。二人は何時までも抱き合っていた。
類似事例

ヨウカイ,コイ
1975年 京都府
恋塚は永井直清が高槻を領する日に碑を建てたが、もとは鯉塚である。中古大きな池があり、その池には巨大な鯉が棲んでいた。この鯉は妖怪となり、土人はこれを殺してこの地に埋めたという。源渡の妻の塚は、この南、壇の上の恋塚寺にある。
類似事例

コイ
1931年 大阪府
昔、不思議な輝きを持つ鯉が獲れた。余りにも珍しいのでしばらく養っていたが死んでしまった。それをある寺の住職が懇ろに供養したところ、住職の夢に1人の武士が現れ、自分は徳川方と戦って討ち死にした大坂方の者で、あの鯉は自分であることを告げた。
類似事例

ダイジャ
1982年 群馬県
善導寺の住持・道阿上人の母が、明徳5(1394)年4月20日、榛名宮に参拝しての帰りに、伊香保の沼に身を投げ、角のある大蛇になった。上人が追善供養をすると、霊夢に母が現れて、元々筑紫広島池の蛇身であったが、仏道の種を得るために人間に化して人の妻となり、上人を生んだものである、よく追善供養してくれ、と言った。
類似事例

コスイノヌシ
1970年 福島県
湖水の水が氾濫して、鯉がたくさん昇ってきた。その中に特に大きな緋鯉がいた。それを網元の家中で食べると次々と家の者が病気になった。鯉の霊の祟りで、供養をするから恨みをとくようにと頼むと家の人は全快したが、網元の主人が湖水に舟をこぎ出したときにいくらたっても帰ってこないので捜しに行くと湖水の真ん中で泡を吹いて倒れていた。網元の食べた大きな緋鯉は湖水の主の連れ合いで主はどうしても主人だけは許せなかったのである。
類似事例

ニンギョ
1970年 滋賀県
観音正寺には人魚のミイラがある。これは聖徳太子が人魚の願いを聞いて、この寺を建立したという伝説に因むものである。今も本堂に安置されている。また昭和40年頃から人魚の土人形を作り分与している。
類似事例

ニンギョ
1978年 滋賀県
観音正寺には、深い悩みをもち苦しんでいたが聖徳太子の仏力により救済された人魚のミイラがある。
類似事例

サクラガイケ
1975年 静岡県
備後阿闍梨皇円が、蛇身となって遠江国笠原庄桜が池で弥勒の出世を待とうと願い、臨終の時(使いの者が)池の水をすくったところ、池の水が大いに荒れた。それは皇円の入寂と同時であった。今でも静かな夜には鈴の音が池の周りで聞こえるという。この池では、毎年8月彼岸の中日午の時に、半切り桶に赤飯を盛って、泳ぎの上手な者がこれを池の真中辺りまで押していき放す。すると、池の水が渦巻き、飯器は池に沈む。
類似事例

ミヤル,ヌルクンガナシ
2001年 鹿児島県
昔中山のキサドンという寺に美しいミヤルという女神が住んでいた。この女神をメヨウガン寺のヌルクンガナシという男神が惚れ、毎日通っていた。女神は千日通ったら夫婦になると約束したが、千日目に自分は女神であるから夫婦になれないと男神を拒絶した。男神は神であるという証拠を見せろと迫り、女神は証拠に炭火を掌に乗せて死んだ。死ぬ前に女神は中山部落に美人が生まれぬよう祈った。女神は顔以外は鱗の生えた魚の精であった。
類似事例

リュウ
1959年 新潟県
龍が、自分が昇天した後、音羽という女が池の主になるよう望み、それが実現した。それで旧6月23日に佐渡の広隆寺では「音羽が池」という山上の池に登り、供養を行っている。
類似事例

オトボウナマズ
1959年 長野県
諏訪湖の最深部、水神淵に凶暴な大鯰がいた。諏訪の土神龍雹が家臣の「音坊」に命じ、鯰を捕らえさせる。主人の元へ運ぶ途中、坂で大鯰が逃げ出し、水神淵深くに沈んでしまった。以来、この坂を「鯰坂」という。
類似事例

ダイジャ,ミズノカミ
1991年 石川県
五十洲川の上流の雨乞いをする深い淵に、水の神の大蛇がいた。その大蛇がある美しい娘を欲しがったので、娘の両親は人形を作って中に毒を入れ、淵に沈めた。水の神の大蛇はその人形を娘と思って呑みこみ、死んだ。
類似事例

コイ
1932年 大阪府
網島の大長寺に鯉塚というものがある。昔淀川で鱗毎に金色の巴の紋がある大鯉が捕れた。それを葬ったところだと伝えている。
類似事例

ダコツ
1973年 新潟県
越後の国頸城郡小丸山の辺にある柳が池に、本妻が供に命じて妾を沈めさせ殺した。その夜本妻とその時の伴の者が熱を出し、家の中を走り回った。加持祈祷をしたが、やがて取り殺された。その後も種々怪異の事があり家が絶えた。池でも夜、女の泣き声等があり、後に蛇身になった。数年後聖の教化で怪異は止み、後に池は荒れはてて、池の水も乾いて毒蛇の骨が出てきた。今は勝楽寺の宝物になっている。
類似事例

国際日本文化研究センター データベースの案内