ミカエリホンゾン 1983年 京都府 夜、律師永観が行道の念仏に声を惜しまなかったところ、信感がいつものようではなかったので、乾の方角でしばらく躊躇していた。すると、本尊が壇より降りてこられ、永観遅しと顧みられたという。
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オヤクシサン 2003年 山梨県 蓧井山の龍徳寺で祀ってあった薬師如来は、本堂の中で、正面を向けても、蓧井山の方に向ってしまうといわれる。
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レイム 1983年 京都府 真如堂の本尊は、元は叡山に安置されていた。叡山の上人の夢に本尊が老僧の姿で現れ、自分を下山させるよう度々説いた。丈尺余の檜千本が今宵の内に生えた所が仏法有縁の地だという霊夢のお告げ通り、女院離宮の境内に檜が生え、女院の夢にも老僧が現れた。やがてそこが真如堂発祥の地となった。
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アミダニョライ 1983年 後光厳院の時代、西大寺の覚乗上人は天照大神の本地仏である阿弥陀如来の姿を拝もうと、伊勢内外宮に100日参詣し、ようやく夢告を得て二見浦で金龍蛇形の姿を見た。覚乗は袈裟を海に投げいれたが神は見えなかった。するとまた夢告を得て、大平山無量寿寺に自分の姿を彫った阿弥陀三尊像を安置しているといった。実際行ってその像を見ると、覚乗が脱いだ袈裟が架かっていたという。
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ハクハツノロウジョ 1961年 山梨県 承応の頃、鴨狩寺、高前寺の亀外和尚の夜の説教に多くの人が集まった。すると、ご本尊の脇に白髪の老女が現れ、読経が終わると、自分は今畜生道へ髄在して大蛇となり、昼夜三熱に苦しんでいる、今宵は観世音のお告げにより、師が道徳無辺なのを知った。どうか、自分の苦悩を救ってくれ、それがかなえば、永く当山で火難を除き、世の衆生の産難を遁れさせようといって消えた。それに因んで子安観音を祀ったという。
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ジカクダイシ,ズイウン,セイリュウ,リュウトウ 1974年 東京都 慈覚大師が東方を行脚していた時に浅草寺でしばし逗留した。ある日白髪の翁がやって来て、東北に霊地があって、私はそこに霊像を安置した。その像は伝教大師が作ったものだと言い終わると姿を消したという。そこで慈覚大師が東北に向かったところ突然瑞雲が立ち、青竜が雲から現れた。庵に入り、仏像を拝んだ。慈覚大師は青竜に対して、ここに寺を造るので加護してほしいと告げる。それを聞いた青竜は姿を消した。その後は時々竜燈の奇瑞が起きるという。
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イコウ 1974年 大阪府 摂州住吉の快円比丘の上足である如幻律師は、病気のために大坂上尾町義雲軒という庵で保養していた。すると延宝6年11月15日に阿弥陀仏が現れて、明後日に自分の念願が叶うと告げられた。如幻は喜び、周りの人間にそのことを話したところ、異香が部屋に満ちていたという。その後如幻はお告げどおり17日に死んだという。
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ムネワリアミダ 1956年 宮城県 昔、この寺の住職が京の戻りに木曾街道で追剥にあったとき、傍の大木が突然倒れ追剥は下敷きになって死んだが、逆恨みに和尚をにらんだ目つきが忘れられなかった。寺に帰って留守中に生まれたという門前の家の子供の見舞いに行き、赤ん坊を抱いたところ、和尚を見つめた赤ん坊の目つきが追剥の今際の際の目とそっくりだった。和尚はついに乱心し赤ん坊を殺したので、磔に決まった。寺の前は七北田刑場への引き廻しの道筋で、処刑の日に小僧たちは泣きながら見送り本堂に引き上げると、パチッと音がして本尊の阿弥陀如来の胸がタテに三寸ほど割れた。京へ送って修理したが寺に帰ると割れる。何度修理しても元にもどらず、そのままになっている。
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トビ 1975年 京都府 永承の頃、西塔の僧が京に出た帰りに、東北院の北の大路で、子供たちにいじめられていた鳶を助けた。その帰り、藪から法師が出てきて先ほどの礼をしたいという。僧が霊山で釈迦の説法を聞きたいと望むと、法師は下松の上の山に僧を連れて行き、ここで説法の声が聞こえるまで目を閉じて待てという。ただ、信心を起こしてはならないと告げた。その通りにしていると、説法の声が聞こえてきたので目を開いたら、紛れもなくそこは霊山で、釈迦を中心に菩薩衆などがいた。おもわず手を合わせたら、山が鳴動して草深い山になった。
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キタムキカンノン 1940年 神奈川県 お竹という勤勉な女がいた。熱心に観音を信仰しており、御光がさすほどで「御如来様である」といわれた。嫁入りの祭、観音様にお暇を乞うと、「お竹、帰るのか」と別れを惜しんだ。お竹が観音様を振り向くと、今まで南を向いていた御霊体が北を向いてしまった。
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ナナフシギ 1923年 山形県 永泉寺の何不思議。開山源翁和尚が今も生きているように不思議の威徳をあらわすこと。福徳稲荷大神が吉凶を告げること。火盗がないこと。慈覚大師天に祈った感応水は長命をまねくこと。報恩の電燈が境内を照らすこと。姿見池の蛇が声を出さないこと。護摩壇の灰が悪虫の害を防ぐこと。
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ショウカンゼオンボサツ 1984年 愛知県 岩屋寺奥之院のご本尊は聖観世音菩薩で、ある日泥棒がこれを盗み出して急に足が動かなくなった。それで置き去りにしたので本堂に無事帰って来られた。
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シャリ,ビシュカツマ 1979年 京都府 嵯峨にある五台山清涼寺の本尊・釈迦像は、毘須羯摩が作ったものとされている。その仏像の耳の中には仏舎利が生じるといい、振ってみると耳の中からコロコロと鳴るものがあった。顕れた舎利はいくつもあり、龕に収められている。
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コウミョウ,メウボク,ミョウジン 1983年 滋賀県 真如堂の本尊は、万人が崇敬し、霊験他に異なる。その由来は、慈覚大師が近江国志賀郡の苗鹿明神に対面し、柏の柱を1本明神より賜った。その木が夜毎に光明を放つので不思議に思い砕いてみると、一片は座像の仏体、もう一片は立像の仏が鮮やかにあった。そこでこの木が妙木と悟り、本尊を作ったという。
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フドウ 1983年 京都府 真如堂の不動は安倍晴明の持尊なので返してほしいと子孫が訴え、後花園院がそのように宣下したので、不動は唐櫃に納められ禁裏に運ばれたが、開けると中には何もなく、不動は真如堂に戻っていた。元は東向きだったのが北向きになっていたという。そこで仏意を尊重し、子孫の訴えは退けられた。
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ヤマウバ,ヤマジョロウ 1984年 愛媛県 亀の丈という男が念仏講の後、念仏酒に酔って道で寝ていると、山姥が山女郎を連れて通りかかった。山姥は亀の丈を見て、山女郎に「ここにお念仏様がおるけんよけて通れよ」と言った。亀の丈の髻にお念仏の札を結わえ付けていたのでその功徳によるものであった。
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チュウホウソンジャ,テング 1935年 群馬県 龍華院弥勒寺(迦葉山)で、900年ほど前に中興の天巽禅師に師事した中峰という神童がいた。天巽が大法を大盛禅師に伝え、後に憂いがないのを見定めて、中峰は「我釈迦の化身にして既に権化の業を了せり自今上天して末世の衆生を抜苦興楽せしめん」といって両禅師に別れを告げ、案山が峰から昇天したという。当地の天狗面は中峰尊者をかたどったものという。
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テング 1919年 京都府 熊野の天狗は那智の瀧で荒行をし、羽黒山の天狗は羽黒の瀧で業をするという。南禅寺と永観堂が駒ヶ瀧を争ったが南禅寺が勝った。そのため永観堂の僧が憤って瀧に参篭持念して天狗になったという伝説がある。
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キツネ,ヨウカイ 1974年 京都二条川東寺町本正寺の僧に狐の事を質問したら狐は祈祷者をも欺くと答えた。また伊勢中の地蔵の宋安寺に逗留した時、寺僧がこの寺には古狸が住んでおり初めて来る客の眠りを妨げると語ったがそのような事はなかった。
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タヌキ 1974年 千葉県 私法寺(弘法寺?)の日蓮の木像が毎夜読誦すると言って人々が群参していた。住職が怪しく思い木像に法問の奥義を尋ねたが答えなかった。木像を壊そうとしたら後から古狸が逃げ出したので殺した。
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