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検索対象事例

クロヒメサマ
1998年 愛知県
江戸時代、日間賀島の西部には「お姫屋敷」といわれる御殿造りの立派な家があり、島民の接近が禁止されていた。藩主の家族や高級藩士関係者の不義者を島流しにする場所だった。いつの頃か、ここに首から上を黒布で包んだ若い女性がいた。ちょうどその頃、島の若者が行方不明になったり、平穏な海で漁船が沈没したりという事件が続発し、島民は「お姫屋敷」と事件を結びつけて「黒姫様」と呼び恐れた。

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オヒメバシ,オンリョウ
2003年 山梨県
公公堂のある所をおひめ屋敷といわれ、近くにある橋をおひめ橋といわれる。おひめの怨霊が病などの災いをもたらすいわれる。 橋から落ちたら、おひめにつかまえられて片袖をひきぬがれるといわれる。おひめが所有していた田んぼをおひめ田といい、その田を耕すと災いにあうといわれていた。天保年間に生きていたおひめは美貌であり、やがて不倫し、夫を殺したが、市川代官所に知られ、磔に処罰されたといわれる。
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ゴゼンサマ
1959年 福井県
江戸時代、某氏の先祖が足軽をしていて主家の娘とよい仲になったが、主人に気づかれたので身を隠して帰郷した。けれども娘は思い切れずに男を追いかけてきて、駕籠休場という所で誤解を受けて殺された。その年から熱病(オコリ)が流行ったので、巫女の助言で娘を姫御前の宮として祀った。
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ウツロブネ
1973年 茨城県
享和3年3月24日、常陸国原舎浜に、奇妙な形状をした船が漂着した。形は釜のようで、上は黒塗り、四方に窓があった。船の高さは1丈2尺で、中に20歳ほどの女性が一人乗っていた。身長は5尺で雪のように白い肌と黒い髪をした美人だった。言葉は一切通じず、服も見慣れないものだった。また小さい箱を持っており、人を近づけなかった。船内には敷物が敷かれ、菓子のようなものや肉類があったという。
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コメトギババア
1956年 宮城県
昔から化け物屋敷と呼んでいる場所がある。昔,夜更けにザックザックと米磨ぎの音がするので見に行くと,白髪の老婆が小川で米を磨いでいるのを見かけた。人々は怕しがってここを避け,化け物屋敷と呼んだ。その後この場所に三浦某氏が家を建てたが何事もなかった。それでも人々は化け物屋敷の名称を改めようとはなかなかしなかった。
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リュウジン
1928年 徳島県
王余魚谷に住んでいた貧しい猟師はある日、深山で美しい妙齢の婦人に出会った。婦人は竜神から紀州の那智の瀧と、この王余魚瀧に住めといわれ、来てみたところよい住処なのでここに住むといった。そして、自分がここに住んでいることは誰にも言うなと猟師に口止めをした。旱魃の時には雨乞いに霊験を顕したという。その後、洪水で社が流されたが、漁夫に発見されたときには何の破損もなかったと伝えられている。
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ロクブノタタリ
1956年 宮城県
「上人塚」と呼ばれる古碑が立っており,正面右に天和癸亥年善海上人と書かれている。当時(約350年前)この地方で勢力を振るっている豪族がおり,ある日部下が一人の六部(山伏)を捕らえてきた。主人は他国の間諜に間違いないとして十分に糾問せずこれを斬り捨て,死骸は屋敷の一隅に埋めさせた。ところがその後豪族の家には黒い雲が覆い,災害や不幸が相次いで一族は死に絶えてしまった。それから何代か土地の所有者が変ったがいずれも不慮の死を遂げた。現在残っている善海上人の不動尊像は誰の時代の建立か不明であるが,今でもここを「上人塚」,前の田を「上人田」と呼んで,年寄などは近付かないようにしている。
類似事例

オンナ
1934年
女がどこから来たのかわからない話は、村々字々で異なった部分を持っており、皿屋敷に似た話もあり、皿を壊した女を主人が怒って斬ろうとすると、女は海へ入ってしまったという。
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フウフイワ
2001年 愛知県
日間賀島の彦間の浜に2つの格好の良い石があった。ある時三河一色の人がこの石の片方を船に積んで帰った。その夜から女性の泣き声が聞こえるようになり、ある日その石から聞こえてくることがわかった。石を元の場所へ返すと泣き声は止んだという。それから日間賀島の人はこの石を夫婦石と呼ぶようになった。
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マチドオリノカイ
1956年 宮城県
南町の東裏、塩倉(しぐら)丁-東一番丁、大町角より南-から東へ通ずる横丁は遠藤某の屋敷で、西隣は細目某(昔は小島藤右衛門屋敷)の屋敷であった。その遠藤屋敷で、ある暮方、南隅の藪際の梅の古木の上に立烏帽子・白直垂を着た若い男が立って、金の扇でこちらに招きかけていた。大入道や一ツ目小僧などと違い、気味の悪い感じだった。またある時は、愛子から荒町へ帰る男が、この屋敷の前で、杉の木の上から白衣の女にケタケタと笑いかけられ、驚いて逃げ帰ったという。
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テナシムスメ
2001年 青森県
昔、大阪の辺りに大金持ちがあったが、ここに来た後妻は娘を憎く思い、父が留守の間に家来たちに殺すように命じた。家来たちは娘を良く思っていたから殺すのに忍びなく、その両手を切って捨てるに留めた。娘が泣きながら京都の許婚のもとまで行ったところ、可哀想に思ったその若主人が、娘を妻とした。
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オンナノユウレイ
1931年 大阪府
明治以前の事、不縁となって実家に戻った娘が、煩悶した挙句入水自殺を遂げた。以来、夜暗くなると、身投げした浜から女の幽霊が出没するという。そればかりでなく、姑を呪う声まで聞こえるそうで、見物客や商店が出るほど盛況になったことがあるという。
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ワルイケモノ
1936年 福井県
昔、女郎はタンスの底を叩いて御神島に参るのが普通だったが、ある年、不浄の女郎がいて、船が沈没し、その女郎の亡魂がイルカになったという。現在ではこの島は、女が行ってはいけない所になっている。島の宮には悪い獣がいて、女の子をあげぬとあばれた。
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アジシマノウミボウズ
1956年 宮城県
藩政時代の末頃の話。力士大戸平(大正時代,二代目関脇金の花,年寄尾車,本名阿部吉太郎)の祖父は力自慢の大男であったが,夏の夕べ砂浜を歩いていると,夕暗の中から突然袖をつかんで引っ張るものがある。相手の手首を握ろうとしたがぬるぬるして掴めない。海坊主である。とっさに砂浜に引き上げてあった船に掴まったが船もろとも海に引き込まれそうになった。その時通りかかった人たちがこの様子を見て流人の脱島(網地島は流刑地)と勘違いし誰だと怒鳴ったので,海坊主は袖を引きちぎって倒れた。その隙に祖父は逃げ,家の近くまで来てふり返るともう海坊主はいなくなっていた。それから祖父は病みつき,しばらくして亡くなった。
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イシブロ
1930年 山口県
島に海賊が多くいた頃、城主の娘が悪い病気に罹り、何年も治らなかった。あるとき、部下のひとりが石風呂の話をし、これに入るとたいていの病気が治ると言ったので、早速城山の西麓の日当たりの良い場所に石風呂を作った。数十日の療養の後、姫の病気は治り、城主は一般人にもこの石風呂の使用を許可した。その後、非道な男が金ほしさからこの石風呂で尼を蒸し殺してしまった後は、さっぱり高価がなくなったという。
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オカメカミサマ
1934年 熊本県
阿蘇神社の神護寺の僧が、女人禁制を侵して、オカメという娘と夜毎会っていた。僧侶たちは、禁を破ったとして、二人を穴に入れ、石を投げかけて殺した。それ以後、オカメの出身の下淵間には、女の子が生まれても、年頃まで育たなくなった。驚いた村人は、僧侶とオカメを祀り、お上神様と呼んだ。其の御神体には紙の着物を着せる。神に無礼があるとそれが身体の頭上にひっくり返る、また集落に事件があるときには紙衣を半分脱いで知らせるという。
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ダイジャ
1943年 香川県
三好氏の居城の御殿女中おせんが、ある僧と京へ上ろうと城の化粧池で待ち合わせた。しかし僧は来ない。おせんは女郎島まで行って待ち続けたが、やはり来ない。おせんは海に身を沈め、僧を脅した。その髪は魚となり「おせんころし」といわれている。
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ヒメコイワ
1956年 宮城県
大平館、城主千葉正右衛門の美しい一人娘の姫のもとへ若殿風の美男が通う。手土産が常に魚なので乳母があやしみ、ある夜、男の袴の裾に針を刺すと、忽ち天候が急変。海は荒れ、男は姿を消して来なくなる。姫は思慕のあまり館の下の海中にある岩の見える岸で男を待ったがむなしく、遂に入水して死す。その頃、気仙沼の南、松岩の海岸に打ち上げられた大鱈の死体に針が刺さっており、若殿はこの大鱈だったと判明。姫が男を待ちこがれた岩を姫子岩と称した。それ以来、毎年初鱈の大群が沖から姫子岩を目指してくるようになり、これを鱈の姫子岩参りという。
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クビナシウマ,ウブメ
1976年 愛媛県
昔、東野の奥の城の若殿と、松末の城の姫は恋仲となった。両家は元々仲が悪かった。そのうち松末の姫は身ごもり、怒った松末城主は若殿を馬と共に殺した。奥の城主は怒り、姫を斬り殺した。姫は竹やぶに入り、赤ん坊を生んだという。竹やぶでは今でも赤ん坊と産女の声が聞こえ、雨の降る夜には首無し馬が若殿を乗せて走るという。
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オヒメサン
1976年 愛媛県
三王原という大薮があった。現在は宅地になっているが、そこに小堂がある。この前を通ると、烏帽子を被ったお姫さんが現れて蚊帳で伏せるといわれた。
類似事例

クマイムシロ
1956年 宮城県
昔ここにある武士の屋敷があり,そこの姑が嫁を憎みいつも意地悪をしていた。ある夏,嫁に麦を搗かせて十枚の筵に乾させ,密かに一枚を隠して嫁に罪を着せ,筵一枚分の麦を盗んで他に売ったに違いないと日夜責め立てたので,嫁は口惜しさに井戸に身を投げた。その後毎夜のように幽霊となって現れ,一枚,二枚,三枚・・・九枚と凄惨な声で数えたので次第にその辺りを通る人はいなくなり,その武士の家も病死や発狂人を出して絶家してしまった。その後明治末頃まで,雨が降ってもその屋敷後の地面の筵九枚分の跡だけは濡れないと言って子供達が見物にいったものである。
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