メッコヌマノカイ 1956年 宮城県 沼のほとりに身を隠していた平氏の残党の従僕で茂右衛門という弓の名人が,沼に大魚が2尾泳いでいるのを見つけ,そのうちの1尾を射た。矢はその目を貫いていた。その夜彼の夢にもう片方の大鮒が現れ,「私達はこの沼の主の夫婦鮒だが今日夫があなたの矢で殺され,生き長らえる望みも無くなった。あなたの殺生が恨めしい」といって消えたので茂右衛門は後悔したが,翌朝未明ふらふらと沼のほとりに歩いていった。岸辺には2尺余りの雌鮒が片目を潰して死んでいた。数日後村の人が沼のほとりで片目を刺されて死んでいる茂右衛門を発見したが,その手には大きな片目の魚を握っていた。彼の目を刺したものはわからなかった。それ以後沼の鮒は皆片目となり,それを捕る者もいなくなった。その沼を「メッコ沼」というようになった。
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ゴンダラ 1956年 宮城県 昔,折立の町外れ(志津川街道)の小川近くの崖上(現共葬墓地)に長者屋敷があった。この屋敷の娘に,いつの頃からか若衆が通ってくるようになった。娘がだんだんやつれていくので,乳母が問いただしてそのことが判明した。化生の者かも知れないということで若衆の裾に糸をつけた針を留めさせ,翌朝家人が調べると血痕が一筋家から小川まで続いていた。海の川口が血で染まっており,巨大な鱈が死んでいた。解体して馬に積んだら五駄分もあったので,以後その地を「五駄鱈(ゴンダラ)」と呼ぶようになった。娘は同じ場所に入水して後を追った。その小川を思い川または毒川と呼ぶようになった。その後,鱈の魚群が小川を遡行しないうちは近海で鱈漁を行わず,またこの折立海辺で一番早く鱈が獲れたという。一説では,若衆が死んだのは長者の家の奉公人達が打ち殺したためと言われる。
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タラ 1982年 宮城県 夜、殿様の娘のもとに体の冷たい侍が通ってきて正体がわからないので、乳母が針を相手の袂に刺しておくように言った。そのとおりにすると大雨、大時化になり、翌朝浜に馬で5駄もある大きな鱈が死んで打ち上げられていた。鰭には針が刺さっていた。その浜をゴンダラと呼ぶ。
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タコ 2002年 山口県 昔、甚平という漁師が住んでいた。魚を捕ることが巧みで近隣の者は皆知っていた。ある日甚平が岩の近くで魚釣りをしていると、急に船が傾いた。見れば大きな蛸の足が船縁を掴んでいた。甚平はその足を包丁で切って持って帰った。その味を覚えた甚平が翌日も岩へ行ったところ、その日も蛸が現れた。こうした日が5日続き、8本の足が3本にまで減った日に、甚平はこの蛸を捕ってやろうと包丁の代わりに縄を持っていった。それきり甚平は帰らず、主のいない船が夕方に浦へ流れ着いた。村人達はきっと蛸に食われたのだろうと噂した。それ以来その岩を甚平岩と呼ぶようになった。
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(オキクノタタリ) 1982年 群馬県 小幡の殿様が妙義で見初めた菊という女を侍女にし、寵愛したので他の侍女や奥方から恨みを買い、お菊が殿様に差し上げる御飯に針を入れられた。殿様は怒ってお菊を責め、お菊は宝積寺の山門まで逃げてかくまってくれと言ったが、寺は門を開けなかった。お菊は追手につかまり、蛇とムカデの入った樽に入れられ、宝積寺の池に投げ込まれて死んだ。お菊の母が「お菊が無実なら芽が出ろ」と池のほとりに炒りゴマをまいたら、芽が出た。お菊の祟りで宝積寺の山門は何度建てても焼けてしまう。
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サカサヤツハシノイケ 1956年 宮城県 元禄の頃(1688~1704),清水小路の連坊小路寄りに浅間某と言う大身の侍の屋敷があり,八ツ橋の池と言う小沼があった。浅間某はこの池の辺の離れ家に綾目という愛妾を住まわせ,彼女を大変愛していた。しかし本妻撫子は嫉みから情夫大橋某と共謀して綾目を殺害,池の泥深く埋めた上,主人には綾目が不義を犯し出奔したと讒訴した。その秋,浅間某が歌舞妓五月女を宴席に侍らせた。五月女が化粧をしていると鏡に自分ではなく姉綾目女の顔が映る。他人に見せても五月女の顔に違いないと言うので不思議に思っていると,その夜の夢に綾目女の霊が現れ,自分は殺されて池の底に埋められている,怨念を果たしてほしい,と話して消えた。この話を聞いた主人が池の底を浚わせたところ,愛妾の遺骸が出てきた。五月女が再び鏡に向かうと,杜鵑が一羽そこからとび出して西の方に飛び去った。また,池の水がそこに通ずる小溝を逆に西の方に流れるようになったので,これを逆川(サカサ)と呼ぶようになった。
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トクラノドクガワ 1956年 宮城県 昔,この地の素封家に美しい娘がいた。何時からともなく,夜毎娘の所に美しい若衆が通ってくるようになり,娘は目に見えて憔悴していった。母が色々問いただした結果,男はどうも化生の者らしいということになり,両親は田束山のお上人に相談した。上人の教えに従い,小豆5石を大鍋で煮てその煮汁を七日間川の上流から流したところ,翌日に川の主の年を経た大鱈が死んで浮かび上がった。娘もやがて回復した。その川を毒川と呼び,また鱈を煮るとき小豆を入れると骨まで煮えると言われている。
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トミヤ、ヘビ 1956年 宮城県 昔、富谷の長者の娘へ夜な夜な通う美しい若殿があって娘はみもちになる。ある日娘が蛇に呑まれかけている蛙を助けてやると、その蛙が恩返しのため易者に化けて娘を訪ね、「毎夜通ってくる男は蛇だから、今夜来たら着物の裾に針を刺しておけ」と教える。娘は易者に教えられたとおり針を刺し、翌朝糸を手繰ると、近くの山の大杉のゴラ穴に入った。そのとき杉の木にとまっていた1羽の鴻の鳥が穴から蛇を引き出して十切れに噛みちぎって殺した。村の人は祟られないように一切れずつ十の宮を作って祀り、これを十宮と称したのがのちに富谷となった。娘は身重を恥じて川へ身投げして死ぬ。今も娘の名をとってそこをおまさ渕という。
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リュウ 1932年 奈良県 ある美男子の許に、ある夜美しい女が尋ねてきた。2人は夫婦となり子も生まれたが、男は妻について、草履が濡れている事と、井戸で水鏡をしている事を不審に思っていた。ある時それを尋ねたら、妻は亀山の原の池に牡竜とともに住む牝竜の化身であり、池が井戸とつながっているのだと言い、池へ帰ってしまった。池を訪れ妻を呼ぶと牡竜が現れ男を食おうとした。逃げ帰ったが病に倒れ子とともに死んでしまった。
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リュウグウノヒメ,ロクベエイワ 1993年 岩手県 六兵衛という美男がお伊勢参りに出かけ、渡し舟から落としてしまった笠がきりもみして水に引き込まれた。お伊勢参りから帰ると病にかかり、危篤になった。その夜、重病の六兵衛がガバッと起きて小さな穴のある岩に入ってしまい、六兵衛岩になった。竜宮の姫が気に入って、自分の元に呼んだのだった。
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(オキクノタタリ) 1982年 群馬県 国峯城主の小幡公が侍女の菊ばかりを寵愛したので他の侍女が妬み、公の御飯に針を入れて、菊の仕業とした。菊は蛇責の刑となり、桶に入れられて宝積寺の池に沈められた。日野村の小柏源六が通りかかった時に桶を開けると、大量の蛇と瀕死の菊が出て来た。菊は「このご恩にお家に蛇の害は無いように致します」と言って亡くなった。お菊の母が「お菊が無実なら芽が出ろ」と池の辺に炒りゴマをまいたら、芽が出た。お菊の祟りで小幡家に戦死や切腹の沙汰が続いたので、宝積寺に碑を建てて供養した。
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クビナシウマ,ウブメ 1976年 愛媛県 昔、東野の奥の城の若殿と、松末の城の姫は恋仲となった。両家は元々仲が悪かった。そのうち松末の姫は身ごもり、怒った松末城主は若殿を馬と共に殺した。奥の城主は怒り、姫を斬り殺した。姫は竹やぶに入り、赤ん坊を生んだという。竹やぶでは今でも赤ん坊と産女の声が聞こえ、雨の降る夜には首無し馬が若殿を乗せて走るという。
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オシドリ,ユメ 2002年 栃木県 大町の鴛鴦塚の記載。昔阿蘇沼が大きかった頃、鴛鴦が住んでいた。菰に隠れ連れ添っているところを近くの猟師が見つけ、雄の首を射切った。雌は驚きその首を羽に挟んで去った。その夜、猟師は鴛鴦が来て鳴き責める夢を見て、苦痛を発し、吐血して死んだ。猟師の妻はそのため尼となり、弔いのため塔を建てた。それが今もあり、鴛鴦塚と称するという。
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アコヤマツ 1956年 宮城県,山形県 実方の娘の阿古屋姫は千歳山麓に来て庵を結び,父の冥福を祈っていた。秋頃から男が毎夜姫の許に通ってきた。その頃陸前名取川の橋が洪水で流され,占いの結果千歳山の老松を橋にすれば流れないといわれたので,名取の里人はその木を買い取った。しかし松は非常に堅く,ようやく少し伐り込んでも翌日になるとその痕跡すら消えている。伐り屑を焼くと仕事が捗るようになった。松が伐り倒される前夜,姫の許に通ってきた若者が自分の正体は老松の精であると明かした。数日後,松の巨木が運び出されることになったがびくともしない。これを聞いた姫が巨木の背中を撫でて打ち乗ると大木は動き出したが,姫が降りると動かなくなる。柴田郡の古関で姫が懇ろに松を諭したので,その後は無事名取川の辺に着いた。
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オカネウムムスメ 1956年 宮城県 昔、名鰭沼のふちに夫婦が住んでいた。子どもになかなか恵まれず、願かけて神に祈っていると、春の猫柳の芽がふくれる頃、嫁の腹が大きくなり、ついに女の子が生まれた。しかし片目片耳の子だったので、人目をさけてボロに包んで納屋においておいた。あるとき用事で、どうしても子を背負って町にいかなければならぬことになったので、慎重に包んで出ていった。町の用事がすんで帰るとき、石の上に子どもをおろして休んでいると、腰のまがった白髪の爺さんがきてボロをはがして子どもを見て「これはいい子だ。神様の授かりものだ。今にお金を生むから毎朝米一粒ずつつかませておけ」と言い残して消える。ためしに米一粒つかませるとお金を一つ産んだ。夫婦はしだいに金持ちになったが、慾の出た夫婦は「うんとつかませたらうんと生むだろう」と、ある日つかみきれないほど米をつかませると、子どもは死んでしまった。
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オオアワビ 1967年 千葉県 岸和田で美しい海女とねんごろになった若者がいたが、働き者で沖へばかり出ていた。海女は淋しくて、海がしけるのを望んでいた。触れると必ず海が荒れるという大鮑が浦の沖に住んでおり、海女は毎日海を荒らして若者と会った。ある日、あらしを一時におこそうとして、数日分の大しけがおそってきて、たくさんの船が難破した。海女は若者が心配になって沖へこぎ出したが、大鮑の附近に近づくと、そちらへ吸い込まれた。これをはるかに見た男は女の舟を追ったが、ついに海女は舟とともに沈んでしまった。
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オシドリ 2002年 栃木県 鎌倉の頃深七という猟師が、鴛鴦を射て首を射切った。共にいた女の鴛鴦はその首をくわえて水底深く潜った。その夜深七は酔い伏していると、鴛鴦が枕辺に来て何かを言い、泣いたので目がさめた。そのようなことが幾夜も続き、最後に「安蘇沼で菰に隠れて独り寝するのはつらい」という意の歌を詠んだ。深七は安蘇沼に行き、さまよっている鴛鴦を射ると夜毎に来る鴛鴦だった。その鴛鴦は前に射切った鴛鴦の首を抱いていた。深七は発心して沼の辺りに庵を結び、懇ろに弔い、塚を営んだ
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リュウグウ 1930年 熊本県 昔、貧乏な男が年の暮れに譲葉と裏白を売り歩いていたが、ちっとも売れないので海の中に投げ込んだ。翌日、龍宮から迎えが来て、美しい姫様を嫁にもらった。男は毎日嫁を眺めていて働かなくなった。そこで絵師に似顔絵を書かせて持たせた。その絵が風が吹かれて殿様の手に入り、殿様は男の女房を手に入れようと画策するが、女房の智恵と才覚で難題を解決し、いつまでも仲良く暮らしたという。
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タラ 1961年 岩手県 村のある女のもとに毎晩美男が通ってきた。小豆を煮た湯で足をすすがせると、男は具合が悪くなって帰り、それきり現れなかった。翌朝道ばたには大きな鱈が死んでいた。男の肌はいつもいつもひやひやとしていたといい、大鱈のフツタヅ(化物)かと言われた。
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〔サケノダイスケ〕 1956年 岩手県 旧家羽縄(ハナワ)家に伝わる伝説。沢山の牛を飼っていたが,毎年巨鷲が飛んできて牛を掠っていく。刺し殺してやろうと,主人が牛の皮をかぶって待っていると,鷲に掴み去られて玄界灘の孤島の老杉の枝に置き去られた。島から逃れられず困っていると,老人が現れて「私は鮭の化身で,大助という一族の長だが,毎年10月20日には仲間達が気仙の今泉川に入って産卵する例になっている。貴国の人たちへの恩返しとして送って進ぜよう。」と言う。主人は無事帰郷できた。羽縄家では毎年10月20日に当主が川口に行って神酒を供え,鮭綱を切ってやり,産卵しやすくしてやることが明治頃まで仕来りとなっていた。また羽縄家では一切鮭を口にしなかった。
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