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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

アジシマノウミボウズ
1956年 宮城県
藩政時代の末頃の話。力士大戸平(大正時代,二代目関脇金の花,年寄尾車,本名阿部吉太郎)の祖父は力自慢の大男であったが,夏の夕べ砂浜を歩いていると,夕暗の中から突然袖をつかんで引っ張るものがある。相手の手首を握ろうとしたがぬるぬるして掴めない。海坊主である。とっさに砂浜に引き上げてあった船に掴まったが船もろとも海に引き込まれそうになった。その時通りかかった人たちがこの様子を見て流人の脱島(網地島は流刑地)と勘違いし誰だと怒鳴ったので,海坊主は袖を引きちぎって倒れた。その隙に祖父は逃げ,家の近くまで来てふり返るともう海坊主はいなくなっていた。それから祖父は病みつき,しばらくして亡くなった。

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ヒメコイワ
1956年 宮城県
大平館、城主千葉正右衛門の美しい一人娘の姫のもとへ若殿風の美男が通う。手土産が常に魚なので乳母があやしみ、ある夜、男の袴の裾に針を刺すと、忽ち天候が急変。海は荒れ、男は姿を消して来なくなる。姫は思慕のあまり館の下の海中にある岩の見える岸で男を待ったがむなしく、遂に入水して死す。その頃、気仙沼の南、松岩の海岸に打ち上げられた大鱈の死体に針が刺さっており、若殿はこの大鱈だったと判明。姫が男を待ちこがれた岩を姫子岩と称した。それ以来、毎年初鱈の大群が沖から姫子岩を目指してくるようになり、これを鱈の姫子岩参りという。
類似事例

キツネ
1956年 宮城県
気仙沼出身の実業家三田某氏の実見談。明治40(1907)年頃の7月5日午前4時頃,三田青年が峠で一休みしていると,橋向うに50がらみの男が一人,草叢に座って酒盃の献酬をしているような格好である。その時顔の右半分に軽い痙攣を感じ,その方に目を向けると杉の木の下に赭毛の大狐がいて,親爺の方に尻と顔を向けている。太い尾を水平に伸ばし,その先をくるくると小さい輪を描くように回しており,まるで尾の先で人間を操縦しているかのようであった。三田氏が石を投げつけると,狐は茂みの中に逃げてしまったが,その時親爺もその方向に引かれるようにうつぶせに倒れた。親爺は正気付くと今いる場所も日時もわかっていなかった。親爺は「自分は高田の先の大船渡の者で,二日前の夕刻,塩鮭を土産に大槌の親戚の家に出かけてきたのだ」といってそこら辺を探し回ったが見つからない。「自分は今まで確かにその婚礼の席で挨拶をしたりしていたのだが」と不思議そうであった。
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ウミボウズ
1983年 愛媛県
入道鼻の海坊主は相撲を挑んだり、夜遅く通りかかる船に「つけてくれ」と言ったりする。力自慢の男が海坊主と格闘したが、鶏が鳴くと姿を消した。身体には毛がたくさんついていた。三日ほどしてその男は死んだが、海坊主も出なくなった。
類似事例

キツネ
1956年 宮城県
伊達家御乱舞方の一噌流笛の名人鯰江八太夫が、この網地島(あじじま)に流刑となる。彼が毎日夕方海岸に出て笛を吹く度に、男の子が来て聴いていた。ある日いうには、わたしは年古くこの島に住む狐だが、近いうちに狐捕り弥左衛門が来るので笛を聴くのも今夜限りといい、殿様が松ヶ浜の御殿崎に出馬するから笛を吹くようにとその月日を教え、笛のお礼に源平屋島の戦を見せて姿を消す。殿様出馬当日、八太夫の笛は御殿崎までとどき、八太夫は赦免になる。
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ウミボウズ,ウミニュウドウ
1985年 愛媛県
海坊主は毛がたくさんついていて、相撲を挑んだり,夜遅く通る船に「つけてくれ」と言ったりする。ある力自慢の人が海坊主と格闘になったが、そのうち鶏が鳴き、海坊主は姿を消した。三日ほどしてその人は死んだ。
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ウシオニ
1991年 島根県
松平の家来の老人が、ある夜海上で城を見たがすぐ消えた。翌日8尺くらいある男が泳いできて相撲を挑んできた。老人が什比べをしようと提案すると男は船に大鮑を乗せてきた。それを持ち帰るとその男は牛鬼だと皆に言われた。老人は鋼の玉で撃って男を仕留めた。
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キツネ
1956年 宮城県
明治の中頃,北郷の者が大河原で魚を買い,酔って帰ってきたところ,洞門附近の杉山で身の丈一丈六尺以上もあるような大男に襲われて背後から羽交締めにされた。しかし男は柔術の心得があったのでこれを投げ飛ばし,麓の茶屋まで駆け下りて事の顛末を話した。茶屋の老爺から何か生臭物を持っていなかったかと聞かれて調べると,魚を包んで首に結んでいたはずの大風呂敷が無くなっていた。背負い投げで飛ばしたのは自分の大事な包で,狐に一杯くわされたのである。
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メッコヌマノカイ
1956年 宮城県
沼のほとりに身を隠していた平氏の残党の従僕で茂右衛門という弓の名人が,沼に大魚が2尾泳いでいるのを見つけ,そのうちの1尾を射た。矢はその目を貫いていた。その夜彼の夢にもう片方の大鮒が現れ,「私達はこの沼の主の夫婦鮒だが今日夫があなたの矢で殺され,生き長らえる望みも無くなった。あなたの殺生が恨めしい」といって消えたので茂右衛門は後悔したが,翌朝未明ふらふらと沼のほとりに歩いていった。岸辺には2尺余りの雌鮒が片目を潰して死んでいた。数日後村の人が沼のほとりで片目を刺されて死んでいる茂右衛門を発見したが,その手には大きな片目の魚を握っていた。彼の目を刺したものはわからなかった。それ以後沼の鮒は皆片目となり,それを捕る者もいなくなった。その沼を「メッコ沼」というようになった。
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カッパ
1980年
豊前国に河幅が広く徒歩で渡る川があり、夜に渡ろうとすれば必ずかっぱが出て相撲を取ろうとする。小笠原信濃守の家臣・大つか庄右衛門の家中に力の強い者がおり、相撲を取ったところ、かっぱは動きが早く、また捉えてもウナギのようにすりぬける。そして全身針のように尖っていたので傷だらけとなり、その者は病気になってしまった。
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マツ,カイブツ
1922年 岩手県
上閉伊郡栗橋村字古里に大きな松の木があり、日光を遮っていた。耕作物の邪魔になるので伐り倒そうとしたが、次の日になると元に戻っていて伐ることができなかった。ある日夢に一人の翁が現れ、木の伐屑を毎夕方に焼き棄てれば成就すると告げた。言うとおりにすると木は倒れ、それを用いて船を造った。しかし、不思議なことに船は一夜のうちに姿を消してしまった。あるとき、漁夫が橋野川の川上で得体の知れないものを見つけ、大权で突き刺した。一度帰り、次の日再び現場に行くと何もいなかった。探している内に漁夫は狂い、あたりは風雨となり大洪水が起こった。一夜たつと河口に突如として奇岩が現れた。人々は、漁夫の突き刺した怪物の化身だと言い囃した。
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〔センビキイシ,チビキイシ〕
1956年 宮城県
多賀国府があったころ、この里に住む女に通う男があった。近くに大石があり他所へ運んで砕かれることとなったが、男はその大石の精であった。運ばれていく前夜、男は女に別れを告げ「明日は何百人で引いても動かぬが、あなたになら引かれよう」という。はたして動かない石を「わたしがひく」と女が申し出る。気狂いに引かせるのも面白いと女に引かせると軽々と動く。女は国府から褒美をもらって幸せになる。これを千引石といい、志引観音堂の丘の下の田に残る。
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アジシマノオオニュウドウ
1956年 宮城県
網地浜地区では,漁があると初物を種ヶ崎の神社に奉献する習慣があった。しかし明治の中頃この部落にいた四郎右衛門という鰹船の船頭はとても吝嗇で,獲ってきた鰹を神前に供えず,申し訳程度に社前の海に投げては後でそれを拾って帰るということをしていた。ある夜遅く,眠っているところを雨戸の外から呼び起こすものがあるので出てみると,入り口に大入道が立っておりいきなり四郎右衛門の手をとって外に引き出そうとした。柱に掴まって抵抗すると,敷居ごとミリミリと壊れかけた。大入道は「行かぬなら馬を連れていくぞ」といって厩舎の方に行き,馬も入道もそれきり姿を消した。
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カッパ
1991年 滋賀県
1人住まいの治郎平の所には河童が毎日「相撲を取ろう」と来た。あまりうるさいので治郎平は「言うことを聞いたら取る」といって、河童を柱に縛りつけた。河童の千人力の皿を壊そうと鉄棒を振り上げると、河童は驚いて、「爺さんを川に曳こうと思ったが、これから河合の村がある限り止めるから許してくれ」と言って帰った。以来門口に毎朝お礼の魚が置いてあったという。爺さんが魚かけに便利なカンギを作ったら、自分がかけられると恐れ、「人を川の中へひかん」という証文を置いて来なくなった。
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ガワタロー
1991年 滋賀県
竹生島の奥に住んでいるガワタローが来て浜で若い衆と相撲を取っていたが、いつも若衆が尻を抜かれて負けていた。これを聞いた知恵者の五平は、尻に薬缶のふたをあてて浜に出てガワタローの来るのを待ち、相撲を取った。ガワタローはどうしてもどうしても五平の尻を抜くことができず、「おまえのケツはカナケツや」といって逃げ帰り、以後来なくなった。
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ヒトツメコゾウ
1996年 香川県
おん坂という峠の近くに、勘平という力持ちが住んでいた。その頃おん坂には一つ目小僧が毎夜出た。ある日一つ目小僧は勘平が通るのを待って、綱引きをした。勘平に負けた一つ目小僧は大入道に化けたが、勘平は自分の体を大木にしばりつけ、びくともしなかった。
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ナマヅ
1980年
豊前国に千丈が滝という大きな滝があった。そこにある観音堂の前の、みたらしの池に架かっていた橋の上で、大塚庄右衛門とせがわとう助の2人が涼んでいたら、池の中から1尺ほどの鯰が躍り出て、空中へ飛び去った。すると急に暴風雨が起こったという。
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ナエバヤマノサワ,タキ,オオマツ,オオイワ
1965年 新潟県
爺が沢に魚釣りに行って日が暮れたので帰ろうとしたが、行く手に見たこともない滝があり、振り返ると大松と大岩に道をふさがれ動けなくなった。翌朝部落に逃げ帰った。化かされたのだという。
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キツネ
1956年 宮城県
藩政時代,角田館主石川家の家臣で館矢間にいる若侍達が,城下での稽古から帰ってくる途中魚などを持っているとよく狐にだまされた。ある時若侍達が,竹刀の先に魚を結び付けて夜道を無事に帰ってこれるかどうか賭けをしようということになり,一人が竹刀を持って出かけていった。朧月夜の並木道に差し掛かると,向うから竹刀を肩にした武芸者風の大男がやってきて,すれ違いざまにいきなり打ち込んできた。若侍が思わず竹刀で受け止めると大男は消え失せてしまったが,気がつくと竹刀の先の魚の包も無くなっていた。
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タコ
2002年 山口県
昔、甚平という漁師が住んでいた。魚を捕ることが巧みで近隣の者は皆知っていた。ある日甚平が岩の近くで魚釣りをしていると、急に船が傾いた。見れば大きな蛸の足が船縁を掴んでいた。甚平はその足を包丁で切って持って帰った。その味を覚えた甚平が翌日も岩へ行ったところ、その日も蛸が現れた。こうした日が5日続き、8本の足が3本にまで減った日に、甚平はこの蛸を捕ってやろうと包丁の代わりに縄を持っていった。それきり甚平は帰らず、主のいない船が夕方に浦へ流れ着いた。村人達はきっと蛸に食われたのだろうと噂した。それ以来その岩を甚平岩と呼ぶようになった。
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キョボクノセイ,マショウ
1935年 大分県
孝徳天皇の白雉年間に草壁春里という長者がいた。広大な邸宅でこの世の浄土のような生活をしていた。長者は権勢に任せて串川の上流にある千条の枝を持つ栢の霊木を切り倒した。その巨木の霊に祟られたのか、一家ことごとく魔性のためとられていった。筑後の国草野の庄に草野太郎衛門という弓の名人がいて、狩の道すがら残された長者の末娘、玉姫に会い、事の仔細を聞いて妖怪退治の決心をした。魔性に1矢を放つと雷鳴とともに空はかき曇り大豪雨になって小川は忽ち氾濫した。
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