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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

カッパ
1975年 東京都
都立南高校前のバス停を、以前はクサレ松と呼んでいた。昔、波浮の港の河童がきて、松に繋いでいた馬を水に引きずり込もうとした。馬が暴れて松の木の皮をむしってしまい、松の木が枯れ腐ったからだという。

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カッパ
1933年 山口県
河童が川に馬を引き込もうとして失敗した。川の東の松の木がある限りここには住まないという誓文を書かせた。
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テング
1948年 新潟県
天狗松と呼ばれる古木は、前を馬に乗って通ると落馬させるため、人々を怖がらせていた。ある時通ろうとした者の提灯を取って、馬をそれ以上進めなくした。
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カッパ,カッパマツ
1914年 茨城県
河童がしばしば村人に災いをなしていた。ある時、農夫が河童を捕らえ松の木に縛り殺そうとした。河童は涙を流して詫び、今後悪さをしないだけではなく、村人を守って水難の一切を除くと約束するので、放した。その後、河童の害がなくなったという。その時の松を河童松という。
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テングノコシカケマツ
1986年 埼玉県
中山の観音山の中腹には松の古木が沢山生えており、それらを「天狗の腰掛け松」と呼び、誰も伐ろうとする者はいなかった。ところが、ある村の若者がこれを伐り倒したところ、その晩天狗が若者のもとにやってきて、陰茎を切り取り、裏山の天狗松に引っ掛けられた。
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テング,オオニュウドウ
1969年 埼玉県
大正中期頃、天狗の腰掛け松を伐り倒した。それから後のある夜、水車小屋に大入道が出た。伐った松は水車の修理に使われたのであった。
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テング
1931年 埼玉県
犬かけ松という松の木がある。ある家で夕方に子供に小便をさせようとしたら泣いて困るので、「天狗にくれてしまうぞ」と言って「オーイ」と呼んだら天狗が来た。仕方なく犬をやった。翌朝犬は赤裸にされて松にかけられていた。
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テング
1967年 福島県
護法山頂上の笠かけ松は、昔、天狗が人をさらっていって、その人を掛け、また衣類をさらした松だという。人かけ松・笠かけ松といって2本あったが、今は人かけ松は枯れ、笠かけ松のみ残っている。
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カワタロウ
1986年 京都府
筏さしの竿はコボセ(辛夷)の木が使われた。コボセの木には一種の臭気があるので、河太郎が嫌って近寄らないといった。河太郎は人間や牛・馬を水中に引っ張り込んで、尻から生き血を吸う。水の事故はすべて河太郎の仕業とされる。いわば水難除けのお守りとしてコボセの竿を使ったのである。
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テング
1949年 群馬県
ミゾロガ池の北にある八幡宮そばに大きな松があり、天狗が住んでいた。時々南雲家へ来て南雲親子と相撲を取っていた。息子とするときはいつも勝っていたが、ある時親と賭け相撲をして負けてしまい、松の木を伐り取られてしまった。
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テングマツ
1937年 京都府
桑田神社の附近の松の木は天狗の遊び場所で、その下を人が通るとすぐに抱きかかえて樹上に連れて行ってしまうのが常だった。
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ジャタイノマツ
1967年 福島県
海岸に蛇体の松と呼ばれる二股の老木がある。昔、慶長の頃、与吉という百姓がおり、お松という娘があった。ある時、殿様が与吉の家で休んだ際に、お松を侍女にすると城へ連れ帰った。ところがお松は家に帰りたがって言うことを聞かないので、小船に乗せて竜神の淵に捨ててしまった。お松は海岸に泳ぎ着いたが、力尽きて女面蛇体の死体となって海岸に打ち上げられた。親たちはこれを見て悲しみ、娘の名にちなんで松を植えた。この松が大きくなったものが蛇体の松である。この松は霊験があるという。
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キツネ
1996年 愛知県
富貴中学校の前の道は松並木が続いていて、並松と呼ばれていた。この道に利口なキツネがいて、通行人を化かした。市原へ通じる分かれ道にあるお地蔵さんに油揚げなどを置くと化かされずにすんだ。ある人が婚礼の帰り道に、突然目の前に塀が現れて行き止まりになり、夜明けにようやく家に帰った。女房に言われて風呂に入ると、それは肥だめだった。朝、人が見つけて助け出したという。
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コボウズ,カッパ
1966年 香川県
川原の草原で馬を放し飼いにしていたところ、水中から小坊主が現れ、馬の前脚後脚をがんじがらめに縛った。ぐったりしているところに飼い主がかけつけ、笹をあてがうと馬は目に涙をため、一口二口笹を噛んだまま死んでしまった。
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オオガネ
1972年 鹿児島県
慶応年間の6月の梅雨時、安山家の屋敷の前の道路とヤマンカン馬場の接する三叉路で安山松之丞等が甲羅の大きさが畳の半分ほどの毛が生えた蟹に遭遇し、これに刀で切りつけた。蟹の甲羅は固く刀の刃が折れたが、もう一本の刀で目を切りつけるとこれを切り落とすことができた。蟹は退散し、血痕は海まで続いていた。昭和六年ごろまでこの目玉は保管されていた。また、梅雨前になるとヤマンカン馬場の南方道路のほうからウーンウーンと正体不明のうめく声が聞こえてくることがある。
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カッパ
1936年 岩手県
昔、矢川という川のほとりで馬を川に入れていると、急に馬が驚いて厩に逃げ込んだ。見に行くと手綱に河童がからみついていた。河童は自分の宝物のサラをやるから許してくれといった。これを削って飲めば打ち身やくじきが治る整骨の薬になるという。その功能は高く、名薬といわれた。
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ダイジャニナッタナワ
1940年 三重県
昔、茶屋の主人が伊勢までの道程を尋ねられ「まだまだだ」と嘘を言うと、嘆いた旅人は賽銭を縄に結んで松の枝に掛け、神宮を遥拝して帰っていった。賽銭を取ろうとすると縄が大蛇に変じ、主人は狂い死にした。人々はこの松を「銭掛松」と呼んで祀り悪心を戒めた。
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カミナリマツ
1987年 愛知県
大きな松が河和の北屋敷の海岸近くにあり、よく雷が落ちるので「雷松」と呼ばれていた。この木に雷がよく落ちるのは、根元に金の茶釜とか金の鶏が埋まっているからだといわれていた。今は枯れてしまってもうないという。
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カッパノショウモン
1956年 宮城県
葛西氏家臣小泉宝領館主三条小太夫近春が夏のある日小泉川に馬を洗いに行った。日ごろおとなしい馬なのに,川に引き入れると暴れだすことが5,6日続いたので近春がよく調べると,河童が馬の尾に悪戯をして驚かしていたのであった。近春が鞭で河童を強く叩くと河童は失神した。蘇生してからは平身低頭して謝り,詫びの証に水遁の術の巻物と詫び証文(直径5,6センチの平たい石)を差し出した。この石は天気の観測に役立つとも,水に潜るときに役立つとも言われた。
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メドチ
1980年 青森県
馬場の中学校近くの淵でメドチが馬を引こうとして、逆に厩まで引っ張られた。カラスの羽根が真っ白になるまで、川の水がなくなるまでいたずらしないという約束で放してやった。
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サル
1935年 広島県
昔宮島には野猿が多数生息していて人家等に群がり悪戯をし、また神鹿に餌を与えるとそれを横から取ってしまう有様だった。後に鹿と戯れ遊ぶようにはなったが、度々人家に被害を及ぼすので遂には猿を捕獲し毛を切り、面に墨を塗り青海苔浦から3里ほど離れた小黒神島へ棄てたが、猿は縄を切り海を渡って宮島へ戻ってきた。なす術もなかったが間もなく麻疹が流行してそれが猿に流行して猿は絶えた。
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