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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

キツネ
1974年 京都府
丹波亀山城主の松平伊賀守が、ある時仏殿を見ると、狐がすっぽんを食い散した跡が残っていた。激怒した伊賀守は、いかに畜生とはいえ、代々の位牌の前でのこのようなことは許し難く、早々に狐狩りをしろと命じた。するとその夜、伊賀守の居間に2匹の狐が犯人の狐を葛で縛りやって来た。伊賀守はそれを与えると言ったところ、2匹の狐はその狐を食い殺したという。

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キツネ
1974年 愛知県
尾州の竹腰山城守が飼っていた鷺を狐が捕っていった。そこで山城守は、狐の穴ごとに鷺を返さないと狐狩りを行うと茶坊主に触れ回るよう命じた。すると翌朝庭の籠に鷺が入っていたという。その鷺は他の家の鷺だった。
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キツネ,ヒョウイ
1974年 京都府
京都の光徳寺という村住んでいた尊い行者が、小鳥をかごに入れて楽しんでいた。しかしその鳥をねらって悪い狐が捕っていったので、行者は狐に食止めの呪いをかけたところ、狐は徐々に弱りだし、ある岡で死んだ。その狐を六右衛門という者が岡の松の下に死体を埋めた夜、彼の妻に何かが憑依し、自分が眠るところに汚らわしいものを埋めるなと警告する。六右衛門が狐の死骸を取り出すと憑依は治まったという。
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クロギツネ
1931年 北海道
昔、松前家が13代道広公の時、尻内山に黒狐がいるという噂が立ち、殿様がその川で裘を作ろうと、家臣にそれを命じた。狐を撃とうとすると暗闇になったが、原谷伴蔵という家臣が「君命だ」というと黒雲は晴れ、黒狐を撃つことができた。この肉を食べた中津源兵衛はやがて聾になり2、3年で死んだ。その後毎夜狐が現れ「皮を返してくれ」と哀願したが、殿様は皮を返さなかったという。
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キツネ
1937年 福井県
城主が発狂したのは狐の仕業として、稲荷を祀った。以来、城内には決して犬を入れないように命じられていた。狐は、城の天守閣の井戸に住み、城内の鶏を荒らしても放免されていた。
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フシギナジュツ,バテレン
1937年 奈良県
大和郡山の城主は白狐を捕らえて殺した。夢に白狐が出て成仏できるよう祀ってほしいと哀願したが聞き入れなかった。そのためその狐が祟って、城主は参勤交代の折に発狂して狐の真似をしたので、家名断絶となった。
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キツネ
1974年 愛知県
尾張大納言が津島で鷹狩りをしていた時、薬の調合のため狐の生肝を所望した。そこで餌指の市兵衛が狐を捕まえ、残りの肉と皮までもらいうけた。すると清洲にいた彼の妻にその狐が憑き、恨みを晴らそうとしたという。それを聞いた大納言は、狐は霊獣なので道理が通じると考え、家臣の真島権左衛門を派遣し、今回のことは薬を調合するためであり、同じ死すべき命を人間の薬のために使ったのだから喜ばしい事ではないかと狐を諭した。すると狐は我らのような畜類に、大君の厳命を頂けるのはありがたいと言って憑くのをやめたという。
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ヒョウウエモンギツネ
1943年 三重県
桑名藩の釘貫兵右衛門が夫婦狐の穴を壊した。翌日登城する途中、遅刻を咎める藩主の使い来て兵右衛門は切腹した。後に狐の復讐であることが分かり、藩主は祟りを恐れ狐を笠田野に祀った。維新の頃、孫右衛門が夫婦狐の1匹を撃ち殺し、孫右衛門はまもなく死んだ。
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ヨウカイ
1978年 愛知県
ある時、夜更けより尾張の太守が鷹狩りに御出になった。すると山の奥より「申の歳申の月申の日に猿を殺した尾張殿はどこだ」という怪しい声がし、総勢が動けなくなった。そこで尾張太守は強気の士を呼びよせると、士は「何やつぞ」と叫びながら睨みつけると、妖怪は去ったと見えて夜が明けたようになり皆は正気に戻った。
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シロヘビ
1937年 愛知県
伊藤丹波守に美しい側室がいた。ところがこの側室に、白蛇が恋慕した。幾度か言い寄ったが、断られてしまった。ある日、側室が仮寝をしている時、白蛇が側室の中に這い込んでしまった。そのため側室は狂い死にした。その側室を祀ったのがじゃどく様という祠で、不浄中の女が前を通ると祟ったという。
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イヌ
1974年 静岡県
寛文3年に酒井伊予守が駿府の在番を務めていた時、小屋に白い犬がいた。この犬はいつも伊予守の前を歩いていたので、小坊主に命じて物を与えてたりした。ある時、伊予守が遠回りに出かけた時、御供をしていた小坊主が過って谷に落ちた。するとくだんの白犬が帯の結び目をくわえてやってきて、皆はそれを引っ張って助けたという。
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イヌ
1963年 千葉県
高木山城守が犬を連れて狩に出かけ、松林で休んだ。急に犬が自分のほうを向いて吠え出し、飛び掛ってきた。抜き打ちで首を刎ねたところ、首だけが後ろに飛んでいき、松の大木にいた大蛇に噛み付いた。山城守は犬の忠義を知り、犬塚を建てて葬った。
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キツネツキ
1978年 東京都
有徳院殿の御代、江戸で小笠原石見守の家来に狐がついた。御次でその沙汰をお聞きになり石見守を召され、狐に退くようにと命じた。石見守はその上意の旨を家来に述べたところ、狐が退き正気に戻った。
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キツネツキ
1942年 長野県
ある人が病気になったので御嶽講の先達に占ってもらうと、狐憑きといわれた。その後、村に2、3軒狐憑きがでた。狐がいうには、上垣という屋号の家で、食べ物をくれないので来たのだという。そこで村の者が上垣に掛け合ったが、上垣は狐など飼っていないと言った。その家の大黒さんを怪しんで川へ流したが、依然狐憑きは治らなかった。村の者は収まらず、ある夜大挙して上垣に押しかけて乱暴狼藉の限りを尽くした。上垣は代官所に訴えて勝訴したが、この件以来けちがついて家は絶えてしまった。
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タヌキ
1928年 山形県
祭りのときに、金持ちの娘を人身御供に上げる村があった。あるとき六部がこの村の社に入ると、6尺もある大入道が「丹波の国の和犬(メツケイヌ)に、ちっともこの事知らせるな」と言った後に生贄を食べるところを見た。六部は丹波の国から白い犬を連れてきて大入道にけしかけた。大入道との戦いで犬は死んでしまったが、血痕の先にあった洞穴には半死の老狸が横たわっていた。
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キツネ
1974年 福岡県
筑前福岡城下近くの岡崎村に、高橋弥左衛門という馬乗りがいた。用事があるといって出かけたが、すぐに帰ってきたので妻が問うと、先方で話がついたので仕方なく帰ってきたといい、あまりに疲れたからといって寝室に入った。供の者どもも食事をして寝た。しかしこの家の婆が妻に言うには、主人は通常右目が見えないが、今日は左目がつぶれているのでおかしいと。そこで妻が確認すると確かにそうなっていたので、寝室の扉を閉じて四方を囲み、主人を打ち据えるとコンコン、カイカイと鳴いたところを突き殺した。家来は供の狐を叩き殺した。未熟の狐だったので化け損じたのだろう。
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ヤモリ
1974年 長野県
信濃国松代の山里に、有名な力自慢の者がいた。水無月の頃に彼は友人と山に入ったところ、きわめて大きな蛇が出てきた。そこで彼は上あごと下あごを持って口を裂こうとして失敗し、鎌で大蛇の口から喉にかけて切り裂いた。その体の太い所だけを家に持ち帰ると、親は大蛇は山の神に違いなく、必ず祟りが起こるといって家を追い出した。里長が何とか宥めた。彼の身体に蛇の匂いがついて抜けず、医者が薬を与えると消えた。その医者が言うには大蛇ではなく野守だという。彼はその後、山に入って官木を盗んだ罪で死刑になったが、野守の復讐だと思われた。
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キツネ
1966年 秋田県
山伏が手倉の久保山村瑞山を通りかかると、久八の家の土手に古狐が寝ていたので、法螺貝で驚かした。歩いていると急に暗くなり、ダミダシ(葬列)が来た。やりすごそうと黒松に登ると、松の木の下で死人を焼き始めた。下を見ると亡者が棺から出てきて松の木に登ってくる。手が届くかと思ったとき、松の枝が折れて地面に落ちた。山伏が気付くと土手で寝こけており、持っていた食物は狐に食い荒らされていた。狐の仕返しだった。
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キツネツリ,タンペイ
1983年 神奈川県
文化年間の頃、相模国の丹沢というところに、丹平という狐釣りの名人がおり、この者は人に憑いている狐もたやすく取るという。
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タヌキ,ダイジャ
1966年 静岡県
見附の天神祭では毎年人身御供を出していた。ある時、山伏が天神様のお堂で休んでいて、タヌキが「信州のしっぺい太郎のほかに怖いものはない」と漏らしたのを聞いて、信州へ行ってしっぺ太郎を借りてきた。途中で山伏としっぺ太郎が休んだ所をしっぺ野、そこの3軒の家の屋号もしっぺという。山伏と犬は人身御供の箱に入って、タヌキを退治した。その帰り、あたごの観音で休んでいるとしっぺ太郎が山伏にかかってきたので殺してしまった。しかししっぺ太郎は潜んでいた大蛇の首に食いついたのだった。
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キツネ
1981年
ある時、荒川八左右衛門という人物が多賀への帰路で狐の子を見つけ捕らえた。彼の家来が狐を所望したので与えた。後日その家来の子に狐が憑いた。
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