ジンジュウ 1975年 京都府 京師のある縉紳家に騰黄という狐のような神獣の図がある。一説にこの獣は神代より日本にいて唐山に渡った。その地で黄帝がこれに乗り天下をまわって民衆に乗馬を教えたという。
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(テングボシ) 1980年 『日本書紀』に流れ星のことを指す天狗星を、あまつきつねと読んでいるが、年代記という書物には鼻が長く翼がある男性が、羽うちわをもって星に続いて飛んでいる絵が描かれている。
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テング,オニ 1977年 天狗を絵に描くときに立附と言うものを着た姿で描くが、これは東都の大工、大隈という人の祖父が始めたものである。また鬼の絵の虎皮の褌は古法眼元信が始めたものである。
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オニノエ 1976年 鬼の絵に虎の皮の腰当を描くようになったのは、古法眼元信からであるという。
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トゴノドウジノゾウ,エキジン 1983年 京都府 昔、雲慶2年に天下に疫病がはやり、万民が多く死んだので、土午をつくって疫神を祀ったという。そこで今でも、大寒の日には夜半に陰陽師たちが土午童子の形を作り、門々に立てるそうである。
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ヨバイボシ,(テングボシ) 1980年 昔、こすげ野の御狩に随伴した際、丑三つ時に大きな流れ星が降る途中に砕け、多くの星となって飛び散ったという。砕けた時には大きな雷鳴がとどろいた。これは天狗という星だろうという。
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ヘビ,キツネ,オニ(ゾクシン) 1922年 大正時代に尋常小学校の5・6年生に書かせた俗信には、蛇や蟷螂、狐鶏、日和坊主、猫、など様々なものが出ている。
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〔バンジキッチョウノズ〕 1975年 東京都 唐の太宗の時、疫病がはやり、夢に見た神人の図を描いて避邪とした。その絵が長崎の通詞を経て日本に渡り、一橋殿が画師に命じて模写させた。すると一橋殿は宰相に出世し、中国から伝来した一軸は深く秘されることとなった。この絵の模写を得た人々も次々に出世し、病災を免れた者もいるという。
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オニ 1931年 大阪府 源為朝が鬼ケ島に渡って鬼退治をしたという伝説に基づき、鬼を疱瘡神に見立てて為朝の豪勇を示した構図の絵馬が、維新以前に天然痘が流行った時に多く作られた。
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〔センニンノモジ〕 1982年 慶長3年に大樹公(徳川家康)が狩りの時、鶴の羽裏にあった4つの文字を書いたという。この文字を天狗に遣われたという虎吉に見せると、仙人が常に唄う符字のようなものの中にある文字であるといった。
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オニバン 1995年 滋賀県 元三大師が説経中、悪魔を追い出すために鬼の姿になった。この姿を今、病気平癒・虫除けの札とする。
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アマヒコニュウドウ 1937年 秋田県 西郷合戦の前、天彦入道の像を白紙に描き、裏表の戸口に貼れば、悪魔よけになるといわれた。
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ヘビノノロイ 1984年 新潟県 占ってもらうと昔苦しめた動物の祟りだと言われた。そのため、苦しめた動物の絵を描いて貼っていた。
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ゴフ,(サムハラ) 1973年 「■□■△」(■は手偏に「合」の下に「幸」。□は手偏に「台」。△は手偏に「己」の下に「口」)の4字を書いて、護符とする言い伝えの1つとして、寛永2年に将軍家が鷹狩りをした際に、鷹が大きな雁を捕まえたという。その雁の胸には四つの文字が書いてあり、文字は「袷▲▽▼」(▲はノ木偏に「盒」。▽はノ木偏に「合」の下に「高」の下部。▼はノ木偏に「合」の下に「幸」)とあった。
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バケモノ 1976年 妖という字は女篇に夭(わかさ)と書く。若い女の化物はよく人に害をなし家を破りひどければ国を傾ける。
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(レイセイ) 1982年 享保14年5月頃より夜7ツ時に丑寅の方向に霊星が出るようになった。種々の説があるが、ある人が言うにはこれは団扇星と俗に称し、西国方にはたびたび出るという。吉凶には関係は無いとも言う。
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(エノキミョウ) 1983年 京都府 涅槃図を書いた兆殿司は、書く絵に様々な奇妙が起こった。龍を書けば天に飛び、不動を描けば火焔が燃えた。ある時、龍を描くのに生身を見たいと仏神に祈った所、寺内の池に水が漲り、生身の大龍が目前に出現した。使う絵の具は神感を得て稲荷山より掘り出したが、世にない彩色が多かったという。
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タヌキ 1931年 山梨県 山梨県猿橋の某家にあった。狸が化けた和尚が書いた図は、人に擦り返られたそうである。
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ゴフ,(サムハラ) 1973年 東京都 「■□■△」(■は手偏に「合」の下に「幸」。□は手偏に「台」。△は手偏に「己」の下に「口」)の4字を書いて、護符とする言い伝えの1つとして、天明2年に新見某が九段坂を馬で通っていた時に落馬して、数十丈の深い牛ヶ渕まで転げ落ちたが、人馬ともに一つの傷もなかった。それはある年に彼が狩りで雉を撃とうとしたが当たらず、何とかして捕まえた雉の翼に書かれた四文字を懐中にいれておいたからと言った。
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アカキホシ 1978年 東京都 元文元年7月下旬頃から、東の方角に赤い星が夜5つ刻より出る。
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