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検索対象事例

〔センニンノモジ〕
1982年
慶長3年に大樹公(徳川家康)が狩りの時、鶴の羽裏にあった4つの文字を書いたという。この文字を天狗に遣われたという虎吉に見せると、仙人が常に唄う符字のようなものの中にある文字であるといった。

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ゴフ,(サムハラ)
1973年
「■□■△」(■は手偏に「合」の下に「幸」。□は手偏に「台」。△は手偏に「己」の下に「口」)の4字を書いて、護符とする言い伝えの1つとして、寛永2年に将軍家が鷹狩りをした際に、鷹が大きな雁を捕まえたという。その雁の胸には四つの文字が書いてあり、文字は「袷▲▽▼」(▲はノ木偏に「盒」。▽はノ木偏に「合」の下に「高」の下部。▼はノ木偏に「合」の下に「幸」)とあった。
類似事例

ゴフ,(サムハラ)
1973年 福岡県
「■□■△」(■は手偏に「合」の下に「幸」。□は手偏に「台」。△は手偏に「己」の下に「口」)の4字を書いて、護符とする言い伝えの1つとして、ある人が鶴を捕まえた時に、その翼に「■□■△」の四文字が記された小牌があった。これは長命の符字だろうと思われたという。
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ケンナンサイナンヨケノモジ
1982年 和歌山県
紀伊国に住んでいた男は弓を射るのが好きで、常に百発百中であった。しかしある時鶴を射たが当たらず、2射目もはずれた。不思議に思った男が鶴を捕らえて見てみると羽に文字が書いてあった。その文字を他の鳥に付けて矢を射ると、やはり一矢も当たらなかったので文字の守りなのだろう。この文字を所持する時は剣難や災難はないらしい。
類似事例

ゴフ,(サムハラ)
1973年 東京都
「■□■△」(■は手偏に「合」の下に「幸」。□は手偏に「台」。△は手偏に「己」の下に「口」)の4字を書いて、護符とする言い伝えの1つとして、天明2年に新見某が九段坂を馬で通っていた時に落馬して、数十丈の深い牛ヶ渕まで転げ落ちたが、人馬ともに一つの傷もなかった。それはある年に彼が狩りで雉を撃とうとしたが当たらず、何とかして捕まえた雉の翼に書かれた四文字を懐中にいれておいたからと言った。
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サムハラ
1976年 福岡県・兵庫県・東京都
福岡で鶴を捕ったところ、翼に「さむはら」という4文字の符字があった。これは長命の符字であるだろうと人々はこれを写し取って帯びた。また淡路のある寺に斉藤実盛の位牌があり、その背にこの4文字がある。最近、江戸でこの符字を帯びた人が落馬したが怪我をしなかったので、これを帯びることが流行した。
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ダイジャ
1943年 愛知県
じいさんが神社の裏を通りかかったとき、大蛇が這っていくのにでくわした。鳥肌が立って、3年間はこのことを口外しないので行ってくれと言うと、大蛇は去った。その大蛇は尾が切れていて、先のところに丸に太いと書いた文字がついていた。その字は神明様の御神紋だったので、大蛇は神明様のお使いと分かった。
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ゴフ,(サムハラ)
1973年 埼玉県
「■□■△」(■は手偏に「合」の下に「幸」。□は手偏に「台」。△は手偏に「己」の下に「口」)の4字を書いて、護符とする言い伝えの1つとして、寛文8年に紀州の鉄砲師である吉川源五兵衛が江戸に来て、大宮鷹場の中にある吉野村で白い雉を撃ったが当たらなった。ようやく罠でつかまえたが、その背中には「■□■△」の文字が書いてあった。これは怪我除けの護符かと思い、的にこの文字を書いて撃つと、やはり当たらなかったという。
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ヤマバト,ハチマンダイボサツ
1974年 東京都
寛永13年ころ、徳川家光の弓大将であった松平新五左衛門尉直次に与力すべく、人々がある場所で弓の稽古をしていた。人々は徳川家の氏神である八幡大菩薩が弓矢の守護神だったので、同地に八幡宮を勧請することにした。彼らの願いは叶えられたが、その時山鳩が3羽松の枝にとどまったといい、人々は八幡大菩薩の影向と受け止めたという。また将軍家に若君が生まれたのは、社僧が受けた八幡大菩薩の夢告に少しも違わなかった。他に神前で風流の踊りをしていると、亥の刻あたりに神木の松の梢から、提灯ほどの光るものが出てきて、社の上に落ちた。
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テング
1976年 愛媛県
松山城主、蒲生家に松本忠四郎という武士がいた。殿様のタカ狩りに忠四郎が従った時、山の中で迷い、天狗に出会った。忠四郎が笛を吹くと、「この久万山にいる間、舞夜笛を吹いてくれ」と言った。最後に忠四郎は笛の礼に天狗から小さな文箱をもらったが、「決して開けてはならぬ」と言われた。殿はその箱を開けてしまい、中に「蒲生家断絶」とありやがて蒲生家は断絶した。
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ワカノトク,ヨウコ
1974年
和歌は天地を動かし、鬼神を感応せしめる。北条氏康が出陣の時、野狐が現れてうるさく鳴いて騒いだので、氏康が「夏はきつ、ねに鳴蝉の唐衣己々か身の上に着よ」と詠んだ。するとかの妖狐は理由もなく野に死んだという。
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テング,モノノケ,アヤカシ
1976年 奈良県
天福2年2月頃、南都に天狗が出現し一晩の内に家々の上に未来云々と書いたという。
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ヨバイボシ,(テングボシ)
1980年
昔、こすげ野の御狩に随伴した際、丑三つ時に大きな流れ星が降る途中に砕け、多くの星となって飛び散ったという。砕けた時には大きな雷鳴がとどろいた。これは天狗という星だろうという。
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イヌガミ,サルガミ,スイカズラ
1917年 徳島県
昔、怪しい獣が大空を飛んでくるのを、武士が弓矢で三段に射切った。その首は犬神になり、胴は猿神になり、尾は吸葛になったという。
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キツネ
1979年
元禄元年7月、ある田夫に狐がついて書をなした。狐が離れた後、田夫は再び無筆に戻った。このような場合、狐は書をなし、狸は画をなすことが多い。
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テング
1982年
文政3年に虎吉という男が、15歳の時より天狗に遣われたという。
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(テングボシ)
1980年
『日本書紀』に流れ星のことを指す天狗星を、あまつきつねと読んでいるが、年代記という書物には鼻が長く翼がある男性が、羽うちわをもって星に続いて飛んでいる絵が描かれている。
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イヌガミ
1949年
弘法大師が四国を巡っている時農家に宿を借り、その返礼に野猪の害を防ぐ呪禁として、料紙に何か書いたものを授けた。封じ目を切ってはならぬと堅く言い置いたのだが、封を切ってしまった。すると犬が1匹描いてあり、それが紙から抜け出して犬神になった。
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(ヒデヨシノイン),リュウシン
1974年 静岡県
むかしから遠江洋に武具や馬具を乗せていく船は必ず壊れてしまうという。天正18年の豊臣秀吉による小田原征伐の際、同じように逆風が吹いて船が転覆しそうになったが、秀吉が竜神に宛てた書を海中に入れるとしばらくして波が穏やかになったという。
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テング
1976年 京都府
兼寿という連歌師は慢心のために天狗になった。竜山公が大天狗に兼寿を呼びに遣わせた御文が残っており、本願寺の重宝となっている。
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テング
1963年 栃木県
昔、猿のように木に登るのが上手な子がいた。ある朝、その子が母親に今日は笠間の祭日なので今から行って朝飯までには戻ってくると言った。そして朝飯までに戻り、寝てしまった。母親は心配になり部屋に行ってみると、天狗が寝ていた。正体がばれた天狗は家から出て行ったが、長いあいだお世話になったお礼に、雹が降らないようにすることを約束した。
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