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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

カンジン
1974年 福岡県
筑前の福岡の府から西南方向に高い山があり、これは天判山と呼ばれる。菅神である菅原道真がこの地に左遷された時、彼を貶めた者を恨み、この山で三日三晩天に祈ると、その者は悉く雷に打たれて死んだという。

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スガワラミチザネ,カミナリ,カミ
1931年 兵庫県
菅原道真は筑紫に流された後、昇天して魔物になり、時平を殺そうと思っていたが、どうしても昇天することが出来なかった。そのとき、斧から千本の針を作ろうとしている老人に出会い、自分が天に昇ることができないはずはないと確信した。高い岩の上から飛び、遂に昇天した道真は雷になって時平をつかみ殺したのだった。そのときの老人は神であったといわれている。
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(スガワラノミチザネ)
1973年 福岡県
菅原道真が太宰府で死んだとき、その近くの四堂のあたりに埋葬しようとしたら、棺を乗せた車が途中で止まって動かなくなった。そこでこの地を墓所としたという。
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アマテラスオオミカミ,チク
1929年 茨城県
天照大神が山頂に登って筑を弾じて水波曲を奏でた。すると鹿島の海瀬が逆流してその波濤が山頂にまで届いたので、この山の名前を筑波山と呼ぶようになったと言う。
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アヤシイヒ,カミナリ
1921年 新潟県
越後の八石山城主毛利太萬之助と北條の城主北篠丹後守の間に争いが起こった。北條は毛利を自分の女の婿にし、毛利が湯に入っているところを蒸し殺した。それから八石山に怪しい火がでたり、雷が鳴ったりするという騒ぎになり、住職が雷休権現をたてて祀った。
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ケリアゲカンゼオン
1983年 鹿児島県
日向の国の志布志という里で、日頃から観音を信仰している女がいた。その夫が猟師だったので、夫の悪行を嘆き、何とか善心を起こさせようと観音に祈念していた。嘉吉2年5月に夫がいつものように山に入ると俄に雷が鳴り響いた。恐れた夫は観世音の聖号を唱えると、かの尊像が空中に現れて、夫の頭上に落ちてきた雷火を左足で蹴り上げて助けた。帰って観世音の像を見ると左足を上げていたという。
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エンノギョウジャ,ヒトコトヌシカミ
1929年 奈良県
役の行者が一言主神に葛城山から大峰に岩橋を架けろと命じた。しかし神は容貌に自信がないので夜しか出てこないので、行者は怒って神を谷底に投げ入れて岩に呪縛した。神は当時の帝に行者を訴えたので、行者は伊豆の大島に流されたといわれている。
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トビウメ,テンマングウ
1983年 福岡県
太宰府天満宮の梅は、菅原道真が筑紫に配流された際に、その庭に飛んできたもので飛梅と呼ばれている。数年後、その梅を参詣者が少し折って、自分の家の梅に接ぎ木しよう持ち帰ったところ、その夜に「情なく折人つらし我宿のあるじ忘れぬ梅の立枝を」という天満宮のお告げがあったという。
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フドウミョウオウ,テンジン,ハゴロモ
1967年 福島県
三浦左近国清という人が太田村別所に住んでいた。世継ぎが無いことを憂い、馬場村の滝不動に美しい妻が得られるようにと祈願した。すると夢に不動明王が現れ、現世には配すべき女がいないので、五台山の奥の池で天人が水浴びをしてるゆえ、その羽衣を取れと言った。国清はその通り山に登り天人の羽衣を取って家に帰った。やがて天人は気付き、国清の家に行き羽衣を返して欲しいと願ったが返されず、ついには夫婦になった。二男一女をもうけたが、やがて子供たちが大きくなったから別れても立派に育つと言い残し、天女は羽衣を着て天に昇った。国清は悲しんだが、娘はそれにもまして悲しみ、ついには池に身投げして死んだ。中太田に姫塚と呼ぶ塚があるが、この姫を祀ったものといわれる。
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ヒトコトヌシノオオカミ
1929年 奈良県
天皇が葛城山に登ったとき、向かいの山を登る人がいた。天皇の行く手を阻むので、怒った天皇が矢を射った。すると相手は一言主之大神だと名乗ったので、天皇はかしこんで衣を献上した。一言主之大神は、天皇が帰る際に大神山から降りてきて長谷の山口まで送りにやってきた。
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カミナリ
1975年 山形県
智憲院が月山に登り、雷岩のそばを通りながら「雷を神に祀るなんてばかばかしい」といったら、急に雲が出て大粒の雨が振りだし、雷鳴がとどろいた。智憲院は月山行きをあきらめ下山したが、雷は彼を追うように鳴り響いた。智憲院は呪文を唱えながらようやく寺に辿りついた。
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(オチュウドノハハコ)
1979年 静岡県
大日山という山に、落人の夫婦が子連れで住んでいたが、村人が鉄砲で殺した。母親は手を合わせて拝んだが、母子ともども撃ち殺された。それまでは木挽きに良いということでコビキ平といわれていたが、それ以来コヒキ平と呼ばれるようになった。ところがその年に悪疫が流行った。そこでこの山を祀ったという。
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〔セキキョウ〕
1977年 福岡県
藤原広嗣は太宰府で反乱を起こし、鎮圧軍に破れ、自刃した。その首はたちまち天に昇り、空中で赤鏡となって、人はことごとく即死した。そのため、豊後国鏡宮、肥前国板櫃宮などで、その霊が祀られた。
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テング
1955年 山形県
飯豊山では、神の嫌がることをしたら、天狗にさらわれてしまう。
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ダイジャ
1967年 福島県
菅沼平というところがあり、今は水が無くなり谷地になっている。承平年中、平将門の女弟がこの国に来たのだが、藤原秀郷のために嫉妬の恨みにより自害した。その魂は大蛇になり菅沼に住み、建久年中になり、人身御供をとるなどして村人を苦しめた。ところが白鳥大明神の霊験により大蛇を射殺することができた。大蛇を退治して帰ってきたところを来の原といっているが、今は北の原ともいっている。
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(ヤマノカミノタタリ)
1984年 新潟県
旧2月9日は山の神の日でこの日、三吉という人が早朝に山へ行って、名前を呼ぶ声がしたので振り向くと突然矢が飛んできて目を射られたという。
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テング
1928年 福井県
山中にビクニン転ばしと言って、昔ある比丘尼が登ろうとして天狗に転ばされて死んだと伝えられているところがある。
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カミナリ
1921年 群馬県
上州太田の大光院で呑龍上人が水想観念している目前雷が落ちた。そこで上人は雷を索の印で空縛りにしたところ、雷神は境内はもちろんのこと上人の前でも雷を落とさないことを誓い許された。呑龍雷除名号の由来である。
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テング
1973年 三重県
昔、田平という下男がいた。天狗が通ったときに静かにしていればよかったのに、相手になってしまったので、天狗に取って投げられ、みひろ石にぶつかって死んでしまったという。
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テング,ヤマヒト
1976年 茨城県
知り合いの老禅が若い時、同行とともに筑波山に詣でようと、椎尾という山背から登った。途中で暴風が吹き、この風と競うように谷を過ぎる僧がいた。丈は普通ではなく、緋衣を着ていた。足が速い人だと思いながら遅れていた同行を待っていたが来ないので、立ち帰ってみたところ、同行は岩陰に打ち臥し酒に酔ったような状態であった。同行を抱えて本堂の前に至ると、堂守と思しき僧がこれを見て、山人にあったのかと言った。これはいわゆる天狗のことだろう。愛宕山や吉野山でも天狗に人が取られる事はよくある。野狐にかどわかされた状態とは大いに異なる。
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テング
1984年 愛媛県
大判山には天狗が住んでいて、月の一、十五、二八日に入山すると難にあう。
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