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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

〔ジョウゲンチュウ〕,オキクムシ
1974年 滋賀県
近江国志賀郡別保の里に常元やしきと俗称される家があり、ここに居る者は必ず禍があるという。その故を尋ねると、蒲生家の侍だった南蛇井源太左衛門なる無頼が諸国で悪行を重ね、生まれ故郷の別保に帰って剃髪して常元と称した。慶長5年に以前の罪で捕縛された常元は、その家の柿の木に縛られて最後には斬られた、しかしその骸を木の根本に埋めたところ、数日後、顔や目口鼻がある人を縛っている姿に似た妖しい虫が、毎年多く墳上に現れて、蝶に化けて消えたという。人々はこれを常元虫といった。

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ジョウゲンムシ
1975年 滋賀県
江州志賀郡別保村にいたある浪人は剃髪し浄元と名乗ったが、この者は凶悪で、家に泊めた旅人があれば、ことごとく殺し財物を奪っていた。やがてこの悪事は露見し、浄元は柿の木に縛られ、7日の間さらし首に処せられた。その死体を木元に埋めたところ、人の顔のような形をした虫が数多出た。皆はこの虫を浄元虫と呼んだ。
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ヨウカイ,ヨウマ
1989年 沖縄県
昔、久嘉喜鮫殿が漁を通じて親しくなったある男が妖怪であることに気づき、その男が当山にある桑の老木に住んでいることを探し当てた。鮫殿は妻にその樹を焼かせ、妖魔は国頭に移っていった。その後、首里で鮫殿が友にその話をすると、妖魔の化身であった友が怒り小刀で鮫殿の指の間をきりつけた。それがもとで死んだ鮫殿は、指の間以外は鯖鮫のような肌で、指の間だけが柔らかかった。
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ヤモリ
1974年 長野県
信濃国松代の山里に、有名な力自慢の者がいた。水無月の頃に彼は友人と山に入ったところ、きわめて大きな蛇が出てきた。そこで彼は上あごと下あごを持って口を裂こうとして失敗し、鎌で大蛇の口から喉にかけて切り裂いた。その体の太い所だけを家に持ち帰ると、親は大蛇は山の神に違いなく、必ず祟りが起こるといって家を追い出した。里長が何とか宥めた。彼の身体に蛇の匂いがついて抜けず、医者が薬を与えると消えた。その医者が言うには大蛇ではなく野守だという。彼はその後、山に入って官木を盗んだ罪で死刑になったが、野守の復讐だと思われた。
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(オキクノタタリ)
1982年 群馬県
小幡の殿様が侍女の菊を寵愛したので奥方や侍女の恨みを買い、殿様に差し上げる御飯に針を入れられた。殿様は怒って菊を責め、蛇の入った樽に入れ、宝積寺の池に投げ込んだ。小柏源介という侍が悲鳴を聞いて樽を開けると、瀕死の菊が出て来た。菊は「このご恩にお家に蛇の害は無いように致します」と言って事切れた。お菊の母が「お菊が無実なら芽が出ろ」と池の辺に炒りゴマをまいたら、芽が出た。お菊の祟りで小幡家に怪異があったので、宝積寺に碑を建てて供養した。小幡家では菊は植えない。
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キツネ,ヨジロウ
1929年 秋田県
慶長9年佐竹義宜公が秋田の久保田城へ移転させられた後、毎夜あやしきものにうなされて眠れない。それで法術をかけると疲痩した老狐が現れ「あなた様が築城されて、私は住むべき地を失いました。何処かに住む所を下されば永遠に御遣いします」といい、與治郎の名をもらい、義宜の飛脚になって働いた。狐はあるとき猟師に罠にかかって死に、猟師らは祟られて死んだ。與治郎は城内に稲荷神社として祀られた。
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カイブツ,ヒヒ
2004年 静岡県
磐田市の見付天神の話であるが、毎年、祭りが近づくと白羽の矢が飛んできてそれが突きささった家では娘を人身御供として差し出さなければならない掟であった。白い柩に入れられた娘は得体の知れない怪物に食べられてしまう。延暦年間8月に、旅の僧侶が、怪物の「信濃のシッペイタロウ(悉平太郎)に知らせるな」との言葉を聞き、信濃の赤穂村(現在の駒ヶ根市)の光前寺の犬、シッペイタロウを見つけ出す。シッペイタロウは怪物と戦い、退治した。この怪物の正体は年老いた狒々であったという。磐田ではシッペイタロウだが、駒ヶ根ではハヤタロウ(早太郎)、シップウタロウ(疾風太郎)といい、光前寺境内に犬の墓がある。
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イヌガミ
1922年 山口県
犬神は白と黒の斑のある鼠で、犬神憑の家に行って高粱のからを枕にして寝ると見える。犬神持は士族にはなく主に町民で、他の人から嫌われており結婚しない。犬神持は気に入らないことがあればすぐ人に憑ける。落すには祈祷をしたり焼け火箸を額に当てたりする。寿司を作っているところを犬神持に見られるとその寿司は食えなくなる。(筆者の)母の実家は萩であるが、その借家に犬神持ちがいて、ある時家の都合で立ち退きを命ずると大層恨まれて「かならず家を絶やしてやる」といわれ、その通りになった。
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(オキクノタタリ)
1982年 群馬県
国峯城主の小幡公が侍女の菊ばかりを寵愛したので他の侍女が妬み、公の御飯に針を入れて、菊の仕業とした。菊は蛇責の刑となり、桶に入れられて宝積寺の池に沈められた。日野村の小柏源六が通りかかった時に桶を開けると、大量の蛇と瀕死の菊が出て来た。菊は「このご恩にお家に蛇の害は無いように致します」と言って亡くなった。お菊の母が「お菊が無実なら芽が出ろ」と池の辺に炒りゴマをまいたら、芽が出た。お菊の祟りで小幡家に戦死や切腹の沙汰が続いたので、宝積寺に碑を建てて供養した。
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タヌキ,ヒョウイ
1938年 徳島県
名東郡国府町にいた男が狸に憑かれ、鶏卵ほどのふくれものが所々に出来て、時々のどへこみ上げてきて死ぬほど苦しめられた。男はおすしをもらえなかったことを恨んだ狸に、最後は取り殺されてしまった。
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ロクブノオンリョウ
1956年 宮城県
正保年間(1644~1648)の頃,同町の宿屋に一人の六部が泊まったが宿の主は六部の所持金に目がくらんで殺してしまった。数年後に弟分だという六部が来てその六部が泊まらなかったか尋ねたところ,主人は知らないと答えたが,灰の中から偶然見覚えのある笠の金具が出てきたので弟分の六部は全てを悟り,殺された友のために読経した。すると六部が幽霊となって現れ,この恨みに必ず報いる旨を告げ,弟分も呪法を結んで立ち去った。以後その宿屋には不幸が続いて子孫が絶え,その場所に住んだ者も皆不幸に見舞われたので幽霊屋敷,化物屋敷と呼ばれるようになった。
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ナンガクボウ,ナンガクバナ
1931年 滋賀県
昔、南覚坊という行者がきて、真言秘密の不思議な術を使ったため、首をはねられた。その年、村には病気が流行し、飢饉にもなったため、南覚坊の祟りといわれた。法蔵寺で南覚坊を手厚く弔ったが、その翌年から、首を切った下役の家の甘薯芋には朝顔のような花が咲くようになり、その後もこの家が富むことは無かったという。村人はその花を南覚花と呼び、不吉なものとしている。
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イジュウ
1974年 京都府
延宝年間のこと、京の南にある吉祥寺村で、吉祥天女のご開帳があるというので、近隣の村々から六斎念仏を行う者が多く集まった。その彼らが打つ鐘や太鼓の音を恐れたのか、怪獣が出てきて、ある百姓の家の縁の下にかけ入った。それを生け捕りにすると、顔は狸に似て、鼻から額まで黒く、うなじは白い。さらに背は黒く、腹は白く、徳利のような丸い尻をしており、尾はなくて前足はモグラのようで、後ろ足は長く犬のような獣だった。餌は串柿だけ食べたという。
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ダコツ
1973年 新潟県
越後の国頸城郡小丸山の辺にある柳が池に、本妻が供に命じて妾を沈めさせ殺した。その夜本妻とその時の伴の者が熱を出し、家の中を走り回った。加持祈祷をしたが、やがて取り殺された。その後も種々怪異の事があり家が絶えた。池でも夜、女の泣き声等があり、後に蛇身になった。数年後聖の教化で怪異は止み、後に池は荒れはてて、池の水も乾いて毒蛇の骨が出てきた。今は勝楽寺の宝物になっている。
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タヌキ
1932年 兵庫県
300年前、洲本の三熊山頂上に岩と木で作られた穴に、柴衛門という大狸が棲んでいた。悪戯はするが人々に好かれていた。ところが土手を下った所に棲むこの狸の嫁のお増狸は嫌われていた。ある時2匹は連れ立って大坂に芝居見物へ行った。そこで雌狸は侍に殺され、雄狸は芝居小屋で正体がばれ殺された。これを知った洲本の人々は霊を慰め、島外へ出る時は三熊山山上で作っている狸の土人形で無事を祈る。
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ヒトツメコゾウ
1962年 山梨県
昔、さかね沢というところの山小屋に太郎助という若い衆が大勢の村の人たちと木こりをして寝泊りしていた。その頃は12月13日には仕事を休んで家に帰ることになっていたが、太郎助だけが残る。夜中に山小屋の外の音で目が覚め、入口を見ると一つ目小僧がじっと太郎助を見ていた。一つ目小僧が「今夜の酒のさかなは何だあ」とどなるが、「お前のまなこ玉だあ」とどなり返すと一つ目小僧は逃げ出した。太郎助は夜が明けると家に帰ったが、それが元で死んでしまった。それから沓沢では鰯をもみやからたちの枝に刺して門口におくようになった。それは小僧がのぞいた時にその目を刺すからだという。
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ハラノウチヨリモノイウモノ
1976年 京都府
烏丸四条の近江屋吉某という職人の妹が烏丸綾小路の藤某へと嫁いだ。とても良い嫁であったが、藤某が思いを寄せていた人がいたので離縁し、その女を迎えた。吉某の妹はその後行方不明になり、その頃より藤某の後妻が怪しい病に罹った。応声虫のように腹のうちから物を言うようになった。声に答えなければ女が苦しんだ。医薬祈祷を尽くしたが験が無くやがて死んでしまった。藤某も狂乱になり、仕方なく檻に入れた。その後も藤某は生きているという。
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タヌキ,ハッチョウノダダボウ
1990年 福島県
八町の宮にダダ坊という化け物がいて子供を食うので、盲目の中井坊に退治を頼んだ。中井坊はすり鉢をかぶり山鍬と才槌を持ってお宮に行き、化け物に殴りっこをしようと持ちかけてすり鉢を殴らせ、自分は鍬と槌で叩いた。化け物は血を流して逃げていった。翌朝村人と一緒に追うと、お宮の欅の洞穴に何十年も経った毛の薄くなった大きな古狸がいたので、殺して狸汁にした。化け物も出なくなった。
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ウワバミノヒデン,(オンガエシ)
1956年 宮城県
天保乙巳正月21日,国分村の忠治に聞いた話。ある年,仙台藩支封留守家の家臣花渕善兵衛が海路江戸に行くことになった。藤塚浜の沖で異様な咆哮が聞こえたので,善兵衛は船を岸に着けさせ,単身葭原の谷地を押し分けて行った。湿地に蟒蛇が苦しみうめいており,咽喉の辺りをひどく腫らしていたので,豪胆な善兵衛が手当てをしてやると蟒蛇は嬉しそうに谷地の奥に這い込んで行った。その後,助けてやった蟒蛇が女の姿になって善兵衛の夢に現れ,毒蛇に咬まれない護符と,咬まれた時の治療の秘法を授けてくれた。但し一子相伝で他に漏らしてはいけないという。大変効き目があり,近郷近在の評判になった。咬みついた蝮を叱るとこそこそ逃げて死んだようになり,また花渕と書いた紙片をかぶせると動かなくなったという。子孫は代々善兵衛を称し,水沢に住んで留守家に仕えた。
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バケネコ
1956年 宮城県
明治初年頃,山地の部落の老マタギ源左衛門が翌日の猟の準備をしている時,トラ猫が炉辺でその様子を見ていた。翌日猟に出かけ,夜が迫ってきたので急ぎ足で下りてくると,見慣れない一軒家にたどり着いた。離れた所から窺っていると,老婆が恐ろしい顔でこちらを見た。化生の物と思って銃で撃つと,手応えがあったのに老婆は平気な様子であった。源左衛門が弾丸を全て撃ち込んでしまうと,老婆が「もう弾丸はあるまい」と言う。源爺は腹掛けに秘蔵していた命弾をそっと取り出し,今度は行燈目掛けて撃ち込んだ。すると悲鳴が上がって灯も小屋も一瞬に消えてしまった。源左衛門が翌朝未明に現場に行ってみると,骸は人間の老婆の姿をしている。しかし,やがて朝日と共に大猫が正体を現した。よく見ると我家の古猫らしい。果たしてトラ猫は昨夕から見えないということであった。
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オキクムシ
1952年 三重県
桑名市九華公園の近くにあった侍屋敷にいつも髪を島田に結っているお菊という女中がいた。殿の寵愛を受けていたため奥方にいじめられ、恨んで死んだが、その後お菊によく似た髪形の虫が出た。
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