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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

サッキ,ジンキ
1976年 長崎県
肥前の島原北有村で、癲癇に苦しんでいた人が死人を掘り出して食べ、さらには子供を食べようとしだした。ある時往来で人を食べようとしたので捕らえて家に連れ帰った。親が斧で殺したら恐ろしい声を発した。藩の役人が調べに来ると、皆鬼のような姿であったと語った。

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オニ
1984年
享保年間、子どもの屍を墓から掘り出して食った女がいた。数十人が棒を持っていくと豹変し人々の上を飛び越えて山に入って行方不明になった。この女は普段は凶悪でなく、魔が入れ替わったのだろうというといってその悪霊を弔った。
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シンダヒトノタタリ
1995年 秋田県
死人を土葬にして供物をあげないで放っておくと、小さな子供に取り憑いて「物が食べたい」と言って台所などを走り回った。空腹で仕方ないせいだとゴミソに言われた。
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キジョ
1975年 愛知県
三河国保飯郡舞木村で享保のはじめ、ある人の女房で二十五歳になる女が狂人のようになり、火葬している最中の死体の肉を食うなどした。村人に咎められたので山中へ逃げた。お役所に訴え出たらそのことに関する触書が出された。
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オニ,ランシン
1975年 愛知県
ある女が鬼となって葬所で死人を食べた。殺そうとしたが山に逃げた。これを聞いた人が言うには、乱心も身体の病がなすものであり、虚症の人には狐狸の類が憑いて狂わせるといった。
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〔ホウソウバア,ホウソウババ〕
1956年 宮城県
文化年間(1804~17)の初め頃、疱瘡が流行して多くの人が死んだが、その亡骸が墓から掘り返されて食い荒らされるという奇怪事が起こった。大石を載せたり、祈祷をしても無駄で、足跡は大人の腕ほどの大きさで、怪物の大きさが推量された。名主が自分の息子の亡骸を守るため、猟師に番をさせると、気配を感じ取ったのか、怪物は柴木立を薙ぎ倒して逃げ去った。その後威嚇して打たれた銃の音に驚いたのか、その後は疱瘡もはやらず、怪物も現れなかった。2,3年後、2人連れの女房(50ばかりと30ばかり)が市日の買い物に出かけたが、山の方を見ていた老女が突然顔色をかえて倒れた。介抱の結果息を吹き返したが、失神の理由を聞いても老女は答えなかった。3年ほどたってから老女は「あのとき丘の上に一丈余りもあるような赫顔に白髪の覆いかぶさった老婆に似たけものが大石に腰掛け、睨むように自分を見下ろしていて、これが死人を食っていた怪獣かと思ったら力も心も抜けたような感じになった。正気に返ったあとも恐ろしく、口にするのもはばかられた」と語った。
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マメ,オンナ
1956年 宮城県
昔、炭焼きをしている親子があった。名月の夜、3人の息子は里に出て畑の豆を盗んで食べたが、父親は盗品だからといって食べなかった。夜中に女が来て、豆を食べた息子たちを避け、父親の生き血を吸った。翌日父親は死んでいた。それでこの夜に豆を必ず食べるのだという。
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マ,アクレイ
1975年 愛知県
享保年間、西三河山中村で死んだ子供を火葬にしたところ、伯母がその亡骸を火から取り出し喰らった。その話を聞いた村の者が数十人で墓所へ行ったところ、伯母はすさまじい顔つきとなり、人を飛び越え行方不明となった。この伯母は普段から凶悪の者だったので、魔が入れ替わったのだろうという。道心者がこの悪霊を弔った。
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ヤマオトコ
1989年 長野県
大鹿村の北方に地獄谷という場所があり、人間や動物の骨がそこかしこにある恐ろしい場所だった。ある時、そうさくじいが肝試しがてらそこに木を伐りに行くと、良いさわらの木がたくさんあったので、小屋をかけて桶皮を取っていた。ある月夜の晩、山鳴りがして何か近づいた来たが、何もなかった。次に山奥から音がして、山男が小屋の前に立ち、「これを食え」と女性の片腕を放り込んできた。驚いたそうさくじいは夜明けを待って家に逃げ帰った。
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ハッピャクビクニ,カイセン
1974年 福井県
古老が語るには、今浜の洲崎村にあるとき漁者のような人がやって来て、人を招いて宴会を行った。ある客がその調理するところを見たところ、人の頭のある魚を捌いていた。ある客はその魚を袖に入れて帰ったが、それを妻が食べてしまった。妻は言うには、最初は甘露のような味だったが、食べ終わると気を失い、しばらくして息を吹き返したら、体が健やかで、目は遠くまで見え、耳はよく聞こえ、胸中は明鏡のようで、顔色は麗しかった。夫や親類は悉く死んで、7世先の孫も老いた。その後若狭の小浜に移ってきたという。
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イヌガミ
1922年 香川県
香川県池西村に犬神筋の家があり、近隣の人も追いかける。自分の家の下婢がやられたことがある。その病状は急性で、一種の癇癪であり、病人は正気だが熱は非常に高くて目の色は変になった。数日前に犬神筋の人と口論になり仲違いをしたという。犬神が憑くと握り飯を3つ作って病人の体をなで、その後その握り飯を犬神家の家の壁に投げつけると、その翌日には全快した。最初に犬神を作るには白犬を首だけ出して埋め、その前に茶碗に飯を盛って置き、命令に服従するならその飯を食わせて神に祀ることを誓い、最後に首を一刀で切るという。
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イノシシ
1928年 愛知県
豊田という家に子供のときから世話になっている女がいた。同じ郡内の島原某という狩人の女房になった。ある時、狩った猪の臓腑を抜こうとして山刀を突き通すと猪は一声「痛や」と叫んだが、気にとめずに料理してしまった。そのとき女は臨月であった。その後、女は子供を産み落としたが、その子は胸から腹にかけて腹を裂いた猪と同様に一太刀割られた姿であったという。女はその後離婚して旧家へ戻り、奉公していたと言われている。
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(マショウノコドモ)
1979年 徳島県
ある炭焼きにマンという子がおり、親は毎朝子を連れて炭窯に通ったが、マンは炭窯へ行かず川で魚を捕っていた。ある日マンは親より先に炭窯に行き、煙を食べていた。親がそれを見たときから、マンは家に帰らなかった。親は数年後、土佐の山中で異形となったマンに会う。マンは「母の身体を借りて産まれたが、魔性のもので人間とは一緒に暮らせない」と語り、人を見ると食い殺したくなるからと山に入っていった。
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カッパ
1981年 東京都
大昔、かまの口という所に河童が出て人を引き込み、内臓をえぐって骨と皮ばかりにしていた。そこで村人たちが退治しようとしたが上手くいかず、逆に1人川に引き込まれてしまった。それで誰も近づかなくなったが、河童はお腹がすいたのであちこちに化けて引き込むようになった。けれども、ある人が河童を捕まえて殺し、それからは河童がいなくなった。
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ニクショク
1974年 東京都
寛永5年、伊勢参宮した者が帰路三州岡崎で鹿肉を食べた。帰宅後飯を食べなくなり、虫を掘り出して食べていた。後に堤に捨てられて、猫・犬・鼠などの死体を食べるようになった。
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ヤサブロウババ,オニオンナ
1939年 新潟県
生きながら鬼女になった祖母は孫2人の血を吸って殺し、息子に腕を切られたので、腕を返せと言った。山麓では幼児を貪り食って、その衣を松にかけた。
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オニハカ,オニ
1929年 長崎県
毎朝玄関にぬれた草履があるのを不信に思った親父が、持ち主の後をつけた。すると息子の清五郎がそれを履いて小川を通って川向こうの墓場に入っていった。父も隠れて着いていくと息子が墓を掘り子供の死体を引きずり出して食べていた。孫の命を心配した彼は決心して息子を退治しようとしたが逃げられた。鬼墓というものがその地にあるが、それが清五郎が暴いた墓か清五郎の墓かはわからない。
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アズキバア
1936年
夜中、小川のほとりとか小暗いところに小豆婆あが出た。小豆をといでおり、人を化かしたり捕まえて食べたと言う。
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モシチ
1954年 長崎県
茂七という老人が茂七・おもんの夫婦養子を取った。ある日茂七老人が病気で死んだ。ところが養子の茂七が殺人の冤罪を受け死刑になった。その後暫く、モシチが憑いて村は大騒ぎだった。生前の茂七は酒飲みで、モシチが憑くと子供でも大酒を飲んだ。
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(フコウ)
1976年 長野県
慮平という不孝甚だしいものがいた。その父親が死ぬ時、必ず近くに変事があるだろうと言い残したが、当年に及び、母親が発狂して慮平の不孝ばかりを口走った。その声や所作は父親のようであった。その内、母親の体に鱗のようなものができ、天竜川に連れて行けと言うようになったので、牢を造り閉じ込めた。すると慮平も発狂し、牢に向かって得も知れぬことをいって苦しむようになった。
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サル
1939年 長崎県
お爺さんが悪さをする猿を捕まえてお婆さんに預けていたが、猿はお婆さんをだまして殺してしまった。その後、猿はお婆さんに化けてお爺さんにお婆さんの肉を食べさせた。
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