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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

キンガ
1976年 岡山県
芹沢仁右衛門という、幼少時よりたいへん猟を好む男がいた。その息子は容姿が異様で、3歳になったころから絵を描くのを好んだ。やがてその子は病気になったが、絵を指して、「ぼうはいまに死ぬ。この魚は何日に殺しなされた。この鳥はどこそこで殺しなされた。」と、まるで殺された鳥のような目で語り、やがて死んだ。その絵は、すべて父が殺した、しかも殺すのに時間がかかった魚や鳥を描いたものであった。芹沢はそれから猟をやめた。

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ガン,カリ
1975年 愛知県
三河国足助村で牛吉という童が何気なく弓を射ると、矢は逸れ鴈に命中した。鴈は料理され食べられた。その後、殺された鴈のつがいが夜毎に夢で、雄鴈を弔ってくれと嘆く。牛吉は出家し、23年後、この9月に自分は死ぬと里人に語った。その言葉通り、昔鴈が殺されたのと同じ9月23日に死んだのは不思議な因縁だ。
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ウシ
1979年
ある絵の上手な人が牛を描こうと、その事ばかりを考えて寝たら、その姿が牛に見えたと言う。その人はそれ以来仏画しか描かなくなった。
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メッコヌマノカイ
1956年 宮城県
沼のほとりに身を隠していた平氏の残党の従僕で茂右衛門という弓の名人が,沼に大魚が2尾泳いでいるのを見つけ,そのうちの1尾を射た。矢はその目を貫いていた。その夜彼の夢にもう片方の大鮒が現れ,「私達はこの沼の主の夫婦鮒だが今日夫があなたの矢で殺され,生き長らえる望みも無くなった。あなたの殺生が恨めしい」といって消えたので茂右衛門は後悔したが,翌朝未明ふらふらと沼のほとりに歩いていった。岸辺には2尺余りの雌鮒が片目を潰して死んでいた。数日後村の人が沼のほとりで片目を刺されて死んでいる茂右衛門を発見したが,その手には大きな片目の魚を握っていた。彼の目を刺したものはわからなかった。それ以後沼の鮒は皆片目となり,それを捕る者もいなくなった。その沼を「メッコ沼」というようになった。
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バケネコ
1956年 宮城県
明治初年頃,山地の部落の老マタギ源左衛門が翌日の猟の準備をしている時,トラ猫が炉辺でその様子を見ていた。翌日猟に出かけ,夜が迫ってきたので急ぎ足で下りてくると,見慣れない一軒家にたどり着いた。離れた所から窺っていると,老婆が恐ろしい顔でこちらを見た。化生の物と思って銃で撃つと,手応えがあったのに老婆は平気な様子であった。源左衛門が弾丸を全て撃ち込んでしまうと,老婆が「もう弾丸はあるまい」と言う。源爺は腹掛けに秘蔵していた命弾をそっと取り出し,今度は行燈目掛けて撃ち込んだ。すると悲鳴が上がって灯も小屋も一瞬に消えてしまった。源左衛門が翌朝未明に現場に行ってみると,骸は人間の老婆の姿をしている。しかし,やがて朝日と共に大猫が正体を現した。よく見ると我家の古猫らしい。果たしてトラ猫は昨夕から見えないということであった。
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イギョウ,カイイ,キカイ
1974年
ある夏の暑い日、疲れて仕事から家に帰ったところ妻や下女の顔が馬に、子の顔が鬼に見えた。斬り殺そうと思ったが思いとどまりしばらく横になり休んでから再び見たらもとに戻っていた。
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イノスケ
1985年 新潟県
濁集落の老夫婦にイノスケという子どもがいた。10歳くらいのとき、父親が田から帰って足を洗っていて、煙草入れを忘れてきたことに気づきイノスケに取りにいくよう頼んだら、足を洗い終えると同時に帰ってきた。他にもイノスケが箪笥の錠の前で拍手を3つ打つと錠がピーンと開くのだった。親戚の会議でこんな不思議な子を生かしておくわけには行かないとなり、父親が山に連れ出すとイノスケは全て悟っていて、おとなしく鎌で殺された。父親も気が動転したのか、まもなく死んだという。
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キツネ
1922年 茨城県
治郎兵衛という農夫が山林中で死んだ雉子を見つけ、持ち帰った。夜になって治郎兵衛の家の周りを1匹の狐が鳴きながら何回となく回った。「そんなに欲しくば返してやる」と、治郎兵衛が戸を開けると狐はすでに絶命していた。それから間もなく治郎兵衛の家の前の石橋が破裂し、家は全焼し、治郎兵衛一家は離散した。雉の持ち主は狐で、眷属の大宴会に雉を出す予定だったが、治郎兵衛に取られ、多くの賓客に合わせる顔がなく、帰ることも出来ず治郎兵衛の家の周りを泣き明かしつつ死んだという。
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キツネ
1932年 鳥取県
維新前のこと、ある士分の人が明日は海へ猟に行くぞと言った。それを聞いた狐は山に姿を隠したが、その男は翌日山の猟に行き、狐を射た。その男は晩年に気が狂い、座敷牢の中で死んだ。
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イシノホトケサマ
1943年 愛知県
釣り好きのじいさんがいた。ある日寺の裏の池で釣りをしていたが、いっこうにかからない。しばらくして手応えがあったので引くと、ちっとも動かない。引き上げると石がかかっていた。不思議なこともあると思って持って帰り、よく見ると親鸞上人の姿にそっくりだった。それで、仏様にあまりの殺生好きを諭されたのだと思って、それ以来ぱったりと釣りを止めた。
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キツネ
1970年 福島県
清六という猟師がいた。あるとき、狐を1匹とって来て食べたときに、窓の外で「うまいか清六」という声がした。外を見ると狐が逃げていくのが見えた。そしてあくる晩に、とっておいた肉を食べていると、「流しの下の骨見ろ、流しの下の骨見ろ。」という声が聞こえて、また狐が逃げていった。そこで見ると、清六の子どもの骨があった。
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キツネ
1930年 千葉県
慶応年間、狐をとるのがうまかった猟師がいた。この猟師の孫娘のおてい(当時5、6歳)が友達と山にはいったとき、行方不明になった。発見された友達によると、おていは爺さんに連れられて帰ったということだが、そのような事実はない。2、3ヶ月後におていは腐乱死体で発見された。猟師があまりに狐をたくさん捕るので敵をとられたのだろうといわれた。
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ネズミ
1952年 神奈川県
狩人が山小屋で鼠を撃ち、半死半生の様を哀れに思った。妻がその日お産をしたが、生まれてきた子供はみな頭が鼠だった。哀れんだのがよくなかった。
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タヌキ
1942年 不明
昔じさまが染屋をしていた頃、兄が弟に「明日こけとりに行こう」と誘った。その夜兄は幼児ができたので、弟子に「明日はいけない」と言いに行かせた。しかし、翌朝早く「こけとりに行こう」と戸をたたくものがいる。弟子に断りにやらせたのに、これは狸に違いないと思い、ふしの穴から覗いたら、たぬきが外でたたいていたので、ガラッと戸を開けてたぬきの行くほうへ走った。たぬきは大きな桶に入ったので、石を桶の中に放った。三日目に行ってみると大きな狸が死んでいた。
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コワラワ
1981年
深夜に鷺仁右衛門が酩酊して歩いていると、7歳ほどの小童が手に火の消えた提灯をもって立っていた。仁右衛門は不憫に思い、色々してやったが童はなにも答えない。腹が立った仁右衛門は捨てて帰ったが、ふと後ろをみるとその童は両目を車輪のように見開き、その睨みに気絶しそうになったという。
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サチウエモンギツネ
1943年 三重県
幸右衛門という男は気が強く、狐の巣だった北野のチンチボ山を買って畠にしてしまった。ところが毎晩狐がやってきては「人の子がかわいいか、自分の子がかわいいか」と鳴きつづけたため、幸右衛門は気が狂って死んだ。
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(マショウノコドモ)
1979年 徳島県
ある炭焼きにマンという子がおり、親は毎朝子を連れて炭窯に通ったが、マンは炭窯へ行かず川で魚を捕っていた。ある日マンは親より先に炭窯に行き、煙を食べていた。親がそれを見たときから、マンは家に帰らなかった。親は数年後、土佐の山中で異形となったマンに会う。マンは「母の身体を借りて産まれたが、魔性のもので人間とは一緒に暮らせない」と語り、人を見ると食い殺したくなるからと山に入っていった。
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(ムクイ),ウマ
1974年 東京都
馬の尾筋や前筋を切って焼き鉄をあてるのが好きな者がいた。その者の子供が氏神参りをした。他の者には見えなかったが、馬の血で汚れていると参詣せずに帰宅した。以来病気になり馬のいななく真似をした。一時正気に戻ったが親の罪障が自分に報いて畜生道に落ちる悲しさよと言って死んだ。
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オシドリ
1976年 栃木県
殺生を好んで鷹を使うものがいた。ある時鷹狩りの帰りに鴛の雄を捕まえ餌袋に入れて帰った。その夜、夢にうつくしい女房が現れ、夫を殺したと嘆いた。そのようなことはしていないと否定したが、女房は和歌を詠んでふっと立ち上がった。それを見ると鴛の雌であった。驚いて哀れに思っていると朝になり、昨日の雄と嘴を食い合って死んでいる雌がいた。これを見て発心し出家した。
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カッパ
1991年 滋賀県
老曽の渕の河原で河童が何かを拾って食べているのを見た。高さ1米ばかりで口は鳥のように尖っていて頭の周囲には毛が生えていたが、てっぺんははげていたという。また太郎右衛門という爺さんが川に入ると尻を手で触るものがいたので、河童だと思い、石ではさむと、河童は「石尻だな」といった。その河童を捕えて帰り、子供たちが尻を抜かれた仕返しに焼火箸を河童の尻にさし込んだが、河童は熱くもぬるくもないといって逃げて行ったという。
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キツネ
1988年 奈良県
惣五郎と言う人が三反御作(3反歩ある大きな田)を植えた帰り、溺死した子狐を見つけ葬った。その夜戸を叩く者がおり、「お田引いた惣五郎さん、三反御作みな引いた」と5,6人の声がした。翌朝見ると植えた苗はみな引き抜かれ、狐の屍骸が掘り起されていた。親狐が思い違いをしていると思い、狐のいそうなところを釈明して歩いたら、その夜に伊勢音頭の音がして「お田引いてすまなんだ、三反御作また植えた」と声がした。翌朝、家の前には大きな鏡餅が置いてあり、田はもとどおり植えてあった。
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