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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

〔エキジン,エキビョウヨケノフダ〕
1975年 東京都
清次という男が釣船で、きすを100匹ほど釣った。築地本郷町之前海之波除内で船を留置すると髪や髯が逆立ち、唐人のような衣装を着た6尺余りの背丈の者がきすを所望した。1匹渡して名を尋ねた所、自分は疫神で、釣船清次と名前が書かれた家には参らないと言って去った。その後、同僚の妻が疫病を患っていたので、釣船清次と書いた札を渡した所、病は全快した。噂が近所に広まり、清次は皆に頼まれて札を書くようになったという。

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(ゾクシン)
1964年 福島県
厄病よけとして、入り口に「釣舟清次宿」と書いてはっておくとよい。清次がびんぼうじいさんにいわなをやったら、「おれは疫病神だが、お前の家だけには行かないようにするから、釣船の清次の宿と書いて表に出しておけ」と言って消えていったという伝承からだという。舘岩村では「源義家の宿」と書く。
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ミヤジマサマ,ダイジャ
1930年 広島県
清盛は安芸の国の殿様だったころ、宮島の神体であった女性に妻になれと言った。女神である宮島様は清盛に、一日の間に千畳の畳が敷ける家を作ることができれば妻になっても良いといった。天子様の落胤で神通力を持っている清盛は難なくそれを成し遂げ、宮島様は清盛の妻になることになったが、その姿が大蛇になっていたため、清盛は舟で逃げた。大蛇は追ってきたが、潮が逆流したために逃れることができた。その後清盛は、日をあおぎ返した罪のため、日の病という熱病にかかり、黒焦げになって死んだ。
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コモチクジラノヨウセイ,オンリョウ
1996年 三重県
海山町にある寺の住職の夢枕に、子持ちの鯨の妖精が現れて、産まれるまで見逃して欲しいと哀願した。しかし、子持ちの鯨を捕獲してしまったので、以降悪疫も流行り、不漁続きとなった。そのために鯨の供養をして菩提を弔った。
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タコ
2002年 山口県
昔、甚平という漁師が住んでいた。魚を捕ることが巧みで近隣の者は皆知っていた。ある日甚平が岩の近くで魚釣りをしていると、急に船が傾いた。見れば大きな蛸の足が船縁を掴んでいた。甚平はその足を包丁で切って持って帰った。その味を覚えた甚平が翌日も岩へ行ったところ、その日も蛸が現れた。こうした日が5日続き、8本の足が3本にまで減った日に、甚平はこの蛸を捕ってやろうと包丁の代わりに縄を持っていった。それきり甚平は帰らず、主のいない船が夕方に浦へ流れ着いた。村人達はきっと蛸に食われたのだろうと噂した。それ以来その岩を甚平岩と呼ぶようになった。
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ヤクジン
1976年 東京都
天保8年2月下旬、次女の乳母が日暮れに急に寒気立ち、夜着を被って打ち伏せていたところ、翌朝になり、昨夜より風呂敷包みを背負った男が側にいると言った。これは疫神かと、種々の札を枕元に掛けたところ、男は立ち去ったといって全快した。ところが上野の祭礼に主人とせがれとで行ったところ、急に歯が痛くなり、家に帰ると治った。すると乳母が再び寒気を訴えた。そこで刀を抜き乳母を峰打ちにしたところ、男がすぐに立ち去るので、障子を開けて欲しいと言った。障子をあけると乳母はそこで倒れたが、そのまま起き上がり正気となった。早く塩をまいて箒で掃き清めよ、と言った。
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キツネ
1974年 愛知県
尾張大納言が津島で鷹狩りをしていた時、薬の調合のため狐の生肝を所望した。そこで餌指の市兵衛が狐を捕まえ、残りの肉と皮までもらいうけた。すると清洲にいた彼の妻にその狐が憑き、恨みを晴らそうとしたという。それを聞いた大納言は、狐は霊獣なので道理が通じると考え、家臣の真島権左衛門を派遣し、今回のことは薬を調合するためであり、同じ死すべき命を人間の薬のために使ったのだから喜ばしい事ではないかと狐を諭した。すると狐は我らのような畜類に、大君の厳命を頂けるのはありがたいと言って憑くのをやめたという。
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キツネ
1976年 宮城県
佐藤清蔵という人が山で「婆欲しい」と叫んでいたら、ひとりの女が「ええ人みつけたがいらねえか」という。清蔵はその場で祝言の日を決め、魚を買って用意した。祝言の日、酒を飲みすぎた清蔵が目をさますと誰もいない。狐にだまされて魚を食われたのであった。
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キツネ,オトヒメ
1971年 福島県
きつねに化かされた話であるが、チョウテイ様という医者が浜へ行って、魚を買って馬に乗っていたが、狐がよく出るところで「チョウテの魚とってみろ」といったらいつの間にか取られていた。
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タタリ,カヨウカミ
1978年
須佐高浜村出身の松本清十郎は江戸の吉原で揚屋尾張屋を営んでいた。彼は内庭に吉原の遊客が障りのないようにと通い神(道祖神)を祀り、吉原中の信仰を集めた。後に江戸京橋銀座の保根屋吉佐エ門が、日枝神社の山王祭りでなじみになった遊女らを呼び派手に振る舞って世間の問題になり檻に入れられた。彼は檻に入れられる前から刃物を振り回したり檻から出てきても多くの買い物をしたり妾を次々かえたりと奇行が目立っていた。これは吉佐エ門が吉原の清十郎方へ通う神を勧請した祟りではないかといわれる。
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ヒノカンノオンガエシ
1981年 沖縄県
農業と漁業を兼業していた男がある晩、大勢の人々が「よいとこさ、よいとこさ」と掛け声をかけながら通っていくのに出会った。何をしているのか聞くと、竜宮の神様の命令で木を島の上にのし上げるのだという。力を貸してくれと言われた男は手伝ってやった。そのお礼に、風邪を持ってくるゆうがらすを除けるために臼を3回叩くことを教えられ、男の家庭は助かった。隣の家の人々は悪い病気になり、全員死んだという。
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ヤクジン
1976年 東京都
嘉永元年の夏より秋にかけ、疫病が大流行した。その頃、浅草辺りの老女が物貰いのような女と道連れになったところ、女が3,4日飯を食べていないので、一飯を振る舞って欲しいと言った。そばをご馳走したところ、女は礼を申し、我は疫神であるが、もし疫病を患ったらすぐにどじょうを食べろ、すると本復すると言って去った。
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レイゲン,ギオンジンジャ
1935年 広島県
約300年前、尾道が尾道の浦と呼ばれていた頃、疫病がはびこり漁民、商人たちは苦しんだ。これを見かねて鞆の浦の祇園神社の神主が守護札を持って尾道に渡来したが、尾道の年寄衆は尾道にも祇園神社があると固辞し、早速常称寺に合祀してあった御神体とともに移し祈りを捧げた。霊験あらたかに病魔はたちまち退散し、尾道は平和な漁村に戻った。祇園さまのご利益と信心するものが多く出て、旧6月7日から7日間、盛大な大祭が行われることとなった。
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ダイジャ
1959年 神奈川県
数百年前、生麦に住む男が亡妻との約束を破って再婚した。亡妻は大蛇となって池から現れ、男を襲った。男は亡妻の霊に謝罪し、供養した。何年か後、一帯に悪疫が流行し、稲荷神社へ走る狐の声を聞く者や、大蛇が魔疫病をくわえて稲荷の森から海上に立ち去る姿を夢で見る者が出た。村人は稲荷大神のお告げに従い、かやで大蛇を作って家々を回ったという。
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カニ,ヘビ
1990年 石川県
輪島の大百姓が旱魃のとき、干上がった堤を見て「この堤に水を張ってくれる者がいたら婿にしてやるのに」といっていると、晩に大雨が降って堤が水で一杯になった。その後、自分が水を張ったという侍が婿にしてくれといってきた。その家の女中が話を聞いていて、いつも残り飯をやっていた蟹に恩返しをしてくれというと、夢に蟹がでてきて、対策を教えてくれた。侍の正体は蛇で、家に入ってきたところを、蟹たちに七つに切られた。その蛇の骨が七つ島になったという。
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ヤクビョウガミ,(ニカホキンシチロウ)
1973年 東京都
旗本の仁賀保公の先君は、英雄の賢君として知られているが、近頃疫病神を捕縛されたという。すると疫病神は一通の証文を出して一命を乞うたので助けた。それ以後、公の家には疫病が一切流行らず、また仁賀保金七郎と書いた札を入り口に貼った家は、疫病が入ってこないという。
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オキクギツネ
1989年 愛知県
長兵衛とお菊狐という夫婦の狐がいて、漁師や魚屋から魚をまきあげていた。お菊狐を捕えようと待っていた喜左衛門という頓智の利いた男のところにきれいな娘が魚を買いに来たが、それを見抜いた男は逆に狐をだまして捕まえた。その後、仏壇の阿弥陀に化けた狐をさらにだまし、最後は千石船に乗せて連れて行った。
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ダイロクテン,ヤマクラサマ,サケ
1915年 千葉県
山倉の第六天は山倉様としてよく知られている。例年の祭日である3月初の卯日の前、大雨の後に額に十字のある鮭が浅瀬に上がるため、これを捕まえて第1の供物とする。式が終わると、この魚を黒焼とし、「山倉大神御鮭」という判を押して信者に配る。風邪などに効く。また、この附近の部落では、悪疫が流行した際はご神体を拝借して家々を回ると、退散すると伝えられている。
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セイショウナゴン,セトガイ
1934年 徳島県
清少納言が婿に嫌われて流された。流された村で人びとが病気に苦しんでいるのを助けたいと願っていたが、あまりに病気を苦にして、あそこを切って海に棄てた。それが瀬戸貝になったという。その清少納言の死骸を葬ったのが尼塚である。そこに参ると必ずしらちが治る。下の病なら何でも治るという。
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フクタロウ,カワタロウ
1935年 神奈川県
相州金澤村の漁村、重右衛門の家に持ち伝わる箱に、水難疱瘡の守り神と記してあり、家の中に祭ってあった。享和15年5月15日夜に重右衛門の妹の夢の中に童子が来て、私はこの家に久しく祭られるが、未だによく知るものがいないので、一社を建ててくれ。そうすれば水難疱瘡麻疹の守り神として擁護するといった。妹はそれを親類に告げ、箱の中を見ると異形のものがいた。面は猿のようで四肢に水かきがあり、頭には凹んだところがあった。それを福太郎と称した。その後他の家に出したがそこでも夢告があり、水神と勧請した。またさまざまな霊験があったという。
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ガマ,ヘビ
1974年 東京都
文政3年11月中旬、ある夫婦が東叡山根岸の弁才天の祠に参詣した。その夜に、下男の夢に蝦蟇が現れた。台所の流しの下に住む癩蝦蟇だと言う。今日参詣した際同道した婦人の月の障りの為にそこに住む蛇の行法が破れた。その蛇が仕返しに来るが守ってやると言った。翌日流しを見ると大きな蝦蟇が死んでいた。主人の夢の中に蝦蟇が現れ、自分は死んだが、数々の種を残したので、なお主人の家を守ると言った。翌日の夜、今度は蛇が現れて、自分もこの家を守ると語った。
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