ワザウタ 1974年 京都府 寛延の頃「かくおもへはかはるかやし」という童謡が流行り、程なく桜町天皇が崩御した。また宝暦12年には「安本丹猿にあり」という童謡が流行り、その年に桃園天皇が崩御し、仙洞がにわかに践祚した。安の字は女に冠を乗せており、また緋の宮というのも丹の字明けとよむ。また猿年であった。
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テンニョ 1977年 奈良県 天武天皇が、出家しようと、吉野川のほとりにある滝宮というところに行った。ある夜、琴をかなでていると、山に白い雲がたなびき、天女とおぼしき乙女が、琴の音に合わせて舞った。天皇は、「おとめ子が乙女さびしもからたまを袂にまきておとめさびしも」と詠んだ。この天女を見たのは天皇のみだったという。
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(カミガカリ),(タクセン) 1974年 崇神天皇の御世、小児に神がかかって、出雲人鏡と玉とをもって祀れという心を詞にあやなして宣った.
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ウグイス 1976年 奈良県 孝謙天皇の御宇、高天寺の僧の愛児が急死した。僧は悲しんだが、年月が過ぎてこれを忘れた。その時、庭の梅の木に鶯がやって来て鳴いた。その声は「初陽毎朝来不遭還本棲」と唱えているようであった。これを倭字に直すと「初春のあした毎には来れども逢でぞ帰るもとの棲に」という和歌になった。僧は子が鶯になったのだと悟り、悲しみが増した。
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コステガワ 1956年 宮城県 万納長者の娘は、陸奥に下った橘豊日命(用明天王)との間に皇子を生む。命は迎えをよこすと約束して京へ帰ったが、迎えは来ず、重病になる。乳母は皇子を抱き、「御母が、白鳥が懐に入ると見てお生みになった御子なれば、元の白鳥となり、都に飛んで御父帝に御母の病を告げられよ」と河中に投ずる。娘も死に、乳母も投身し、三人とも白鳥と化して都に飛び去る。
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トンボウ 1976年 奈良県 雄略天皇4年の秋、行幸の際に狩りをなさった。その時どこからとも無く1匹の虻が飛んで来て天皇の臂を噛んだ。すると蜻蛉が飛んで来てその虻を噛み殺して飛び去った。天皇はその蜻蛉に感じ入られてその地を蜻蛉の小野と呼ばれた。
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シンタク 1976年 兵庫県 丹波氷上の氷香戸辺という男が、自分の子供が小児の言に似ず、出雲の神宝名を自然に言うので、これは託言ではないかと皇太子に進言した。皇太子はこのことを天皇に奏し、勅によって祭を行わせた。これは、出雲臣らが大神の祭を怠った故の神託だった。
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バケビトドウジ 1976年 京都府 連歌の席に天神を掛けるのは、二条良基の元へ化人童子がやって来て、連歌の批を乞うた。その跡を付けると、北野の社に入った。このため、天神は連歌を好むといって掛けるようになった。
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ヒトコトヌシノオオカミ 1929年 奈良県 天皇が葛城山に登ったとき、向かいの山を登る人がいた。天皇の行く手を阻むので、怒った天皇が矢を射った。すると相手は一言主之大神だと名乗ったので、天皇はかしこんで衣を献上した。一言主之大神は、天皇が帰る際に大神山から降りてきて長谷の山口まで送りにやってきた。
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テン 1977年 幼童の歌に世の吉凶が歌われることがある。明暦3年正月18、19日の大火の頃、越後から大火事の歌が伝わってきた。享保13年本所深川小日向での大水の際にもそのことを暗示する歌が流行った。
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ハクウ 1974年 京都府 宝暦13年に後桜町天皇が即位した日、何伝の上に白い烏がいるのを、後日京極の宮の家司である下平儀重が見たとして報告し、賞されたという。
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(ニチリンジュタイ),ユメ 1973年 母親が、日輪が懐に入る夢を見て懐胎したので、豊臣秀吉の童名は日吉丸であったなどというのは、天子の御種を宿したことをさしているのだろう。
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ワカノトク,ヨウコ 1974年 和歌は天地を動かし、鬼神を感応せしめる。北条氏康が出陣の時、野狐が現れてうるさく鳴いて騒いだので、氏康が「夏はきつ、ねに鳴蝉の唐衣己々か身の上に着よ」と詠んだ。するとかの妖狐は理由もなく野に死んだという。
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ドウジ 1988年 奈良県 後朱雀天皇の時、向淵の目代・藤原時廉が観音の霊夢を感じて竜王淵まで来ると、童子が2人水浴びをしていた。童子は「われらは人界のものではない。この池は善女竜王の都で、天竺の無熱池まで通じていたが、人間に見つかったのでもうだめだ」と言って羽衣をまとい、履をはく間もなく昇天してしまった。それで竜王淵を履ぬぎ淵とも呼ぶ。
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サンノウノミカミ,シンタク 1973年 滋賀県 ある時の天皇が、唐崎の浜に行幸したときに、沖から2艘の漁船が棹を差してきた。天皇はそれを近づけて尋ねると、2人の翁がいた。翁は神変奇特を現して歌を詠んだ。そのときには船はどこにも見えなくなった。これは神託で、山王の御神であったという。
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シラトリ,モチ,イモ 1949年 大分県 景行天皇の世に菟名手(うなで)というものが、豊前の国にいき中津郡中臣という所に泊まったとき、その翌朝白い鳥が北方より飛んできた。菟名手が供の者をやって見させると、その鳥が餅になり、そして芋になった。菟名手が喜んで朝廷に報告すると、天皇は「豊かなる代の兆なり」といい、豊国直(とよくにのあたへ)という名を菟名手に与えた。
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テング 1980年 和歌山県 天皇が天下をとれなくなったら天狗が家に入って来るとか、家に鼻の高いものが入ってくると言われていた。
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ホトトギス 1973年 新潟県 承久の乱によって佐渡国に配流された順徳天皇が、ある時ホトトギスが鳴いているのを聞いて、遠い都に帰りたいとの思いを強くし和歌を詠んだ。その悲しみを知ったのか、それ以来順徳天皇の邸宅にはホトトギスが寄りつかなくなり、またその山陵にも近づく事がなかったという。
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ムジナ 1976年 推古天皇の35年、陸奥国で狢が人に化けて歌を唄ったという。
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(アマゴイ) 1942年 岡山県 孝安天皇の御代に、100日間日照りが続いた。筑紫の高田三郎俊行という人が、歌と音曲とを奏したところ、たちまち曇り、3日3晩雨が降り続いた。この踊りを降雨踊と名付け、日本の3カ所に限った。
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