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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

アメノヌボコ
1980年
井沢長秀の『広益俗説辨』によると、日本は天瓊矛から滴り落ちたものが固まって出来た島であり、文永弘安の蒙古襲来の際、敵の船団は日本を取り巻く天瓊矛に当たって砕け去ったのだという。

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ヤノネミズ
1967年 福島県
坂上田村麿が東征の時、矢の根をもって岩をうがち、飲んだ水だといわれている。
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シンゴウ
1979年
老石工の話によると、昔は長門の国は元々豊前の国と繋がっており、穴門と呼ばれていたが、神功皇后が韓へ征討しにいく際、軍船を通すべくここを二つに破砕したという。しかし両国にある自然石の向きが違う事から、この説に懐疑的である。
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(ヒデヨシノイン),リュウシン
1974年 静岡県
むかしから遠江洋に武具や馬具を乗せていく船は必ず壊れてしまうという。天正18年の豊臣秀吉による小田原征伐の際、同じように逆風が吹いて船が転覆しそうになったが、秀吉が竜神に宛てた書を海中に入れるとしばらくして波が穏やかになったという。
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カゼノカミ,フクロ
1988年 奈良県
元寇のとき、竜田神社の裏から大きな袋が舞い上がり、玄界灘に飛んで行って嵐を呼んで、蒙古の船団を沈めた。袋は竜田明神で、風の神であったという。
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テング
1991年 奈良県
天狗が飛んできてとまると言われていた天狗松という立派な松があった。その松が戦争中に枯れた。そうしたらある物知りの人が「天狗松が枯れたから日本が負ける」と言った。
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リュウジン
1974年 宮崎県
日州飫肥領の井津という場所に児島という島があり、昔から弁財天があり、中頃より虚空蔵を安置していた。昔は地続きであったが大風雨によって道路が切れて離島となったので、土地の漁師が漁場を失い困っていた。ある日漁師が禅宗の寺へ行き、和尚に相談すると、和尚は漁師の事を思いやって一書を与えた。漁師がその書を石に括って海に投じたところ、その夜に風雨震動著しく、翌朝見ると陸続きになっていたという。その書は偈であり、虚空蔵をたたえていた。
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ヤ,ヤマトタケルノミコト,ツチグモ,ツキ
1930年 福島県
日本武尊が槻の木をもって矢を作り、八人の土蜘蛛を退治した。その箭がここに根をおろし、巨木となった。
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アヤスヒル
1982年 長崎県
文政11年6月21日に、肥前国の生の島へ漂着したモンユルという国の船には、メンユルという国の人が乗っており、その人は年齢が28歳、身長が8寸(24センチ)で体重は280匁(約1キログラム)、名前はアヤヒスルという。
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(キョジンコク),アシアト
1980年
元禄の頃江戸にやってきたヨアンバツテイスがいうには、日本の東500里ほど行った所に1つの国があり、その国から南東へ約3万里行った所に大国がある。その海岸に人の足跡があって、それは4~5尺(約150センチ)ほどの長さだったという。
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チイカコク,コヒトコク,テナガコク,ミツカシラコク,ロクロクビコク
1974年
日本の周辺には長人国,小人国,長臂国,三首国,飛頭蛮国という国があったとされる。
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(モウシノショ)
1975年
孟子の書を中国から日本へ向かう船に乗せると、その船は必ず転覆してしまうという言い伝えが、古くからある。日本の神の御心にかなわないからだという。そのため、孟子の書が無事届くようになってからも、朝廷では用いないことにしているようだ。
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イヌガミ
1914年 徳島県
犬神の起源。源頼政が鵺を退治したとき、鵺の体が4つに切れて全国に飛んだ。尾の蛇は備中に落ちてヅイカヅラとなり、頭の猿はさぬきに落ちて猿神となり、胴体の犬は阿波に落ちて犬神筋という神力の源になったといわれている。
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ハナサキイシ,ヤマトタケルノミコト,アクゼイ,アクレイ
1935年 群馬県
日本武尊が奥上州にやって来たとき、山に悪勢という魔神が住み、朝廷に背き人民を困らせていたので成敗した。神通力で戦いながらも敗れた悪勢は、山に包囲されて焼け死んだ。その娘は清純な処女だったが、武尊の軍勢に阻まれ自殺した。彼女の従者は哭き死んで、その亡魂が石となり、花が咲いたという。それでこの石を花咲石といった。悪勢らの悪霊は祟りをなしたが、石神として祭ると止んだという。
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エボシイワ
1956年 宮城県
坂上田村麻呂が流れの激しい斎川をわたるとき、鹿島の神を祈って河中に投じた烏帽子が岩となる。日照りのときにその渕を汲むとたちまちに雨が降るという。
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ショウキ
2003年 沖縄県
鬼界島の征伐から尚徳王が戻るとき、小鐘が浮かび上がって王の船に付き従った。引き上げようとしたが動かなかった。王自身が引き上げると簡単に持ち上がった。そこで以前、鳥をうった矢が突き立ったところに応神天皇・神功皇后・玉依姫を安置して護国の神としたという。
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ウマイシ
1967年 福島県
馬石は義家朝臣の馬が落ちて石になったと伝えられている。
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(エキジン)
1980年
推古天皇の頃、日本が不作だったので三韓から穀物を調進してきた際、その船中にどこのものか分からない3人の少年がいた。彼らは疱瘡を患っていた。日本の人々が問うと、自分らは疫神で疱瘡を司っており、いま日本に渡ってきたという。そして祠を建てて畠芋を供えろと言って消えたという。それ以後日本で疱瘡が蔓延したという。
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ウバハリイシ
1982年 愛知県
内海海岸、御所奥の姥撻谷(うばはりだに)がある。義朝を討とうとする長田が義朝の侍童金王丸に磯釣りへ行かし、義朝を1人湯殿に誘い出した。この変事に気付いて金王丸はそれを確かめるべく帰途の谷で1人の老婆に事実を確かめた。やはりその謀反が現実だとわかり、彼は我を忘れて老婆をなぐり殺してしまった。すると不思議に老婆は固い石となりその石には金王丸の足跡がはっきりついていた。
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リュウトウ
1975年
海中に竜灯というものがあり、夜中に海中から火が燃え出ると伝えられている。今でもあるという。昔、景行天皇が西国巡行した時に、海中にしらぬ火があったためにその国を火の国と名付けられた。今の肥前・肥後である。
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フナガミ
1980年 鹿児島県
種子島の平山世伯という人が、京に行こうと船に乗ったところ、大隈国の内浦あたりで暴風雨に遭い、船は漂流した。そこで船神に祈り、12の方角を書いた紙を結んで神前に置き、念珠の房で探ると西南と出たのでその方角に舵を取る。途中不安になったが幾度試しても西南と出るので、信じて進むとやがて陸地が見えて一行は助かった。
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