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検索対象事例

ダイジャ,イケノヌシ
1989年 静岡県
アゾノヤマの池の主は大蛇だった。伏倉の関政太夫の家でそのことを聞いた甲州の絹商人が大蛇を退治に行ったが、持っていた名刀を太夫の家来にすりかえられてしまい、大蛇に呑まれた。絹屋の二人の娘が弓矢で大蛇を退治した。娘が待ち構えていたのが姉越山と妹窪。大蛇が死んだ穴がジャバサミ。

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ダイジャ
1961年 静岡県
250年位前、甲斐国八代郡篠原村の絹屋が松崎の伏倉の旧家、セキセイ太夫の所へ泊まっていた。絹屋はアザノガハラ(字野原)の池の主である大蛇をとりにいくのに名刀をもっていき、その刀が大蛇除けになった。しかし、その刀をすりかえられ絹屋は大蛇に呑まれた。絹屋の娘の姉妹はアネグスヤマ(姉越山)とイモウトクボ(妹窪)で大蛇をまちかまえ、計略をめぐらしておびきよせて射た。大蛇は蛇鋏みという穴に入り込んで、7日7夜うなって死んだ。その大蛇の骨を埋めたところを大蛇院といった。
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ダイジャ
1961年 静岡県
昔、大蛇が長者が原の方から天城山の池へ通っていた。その当時、尾張の針屋が刀をさしてきた。大蛇がその人を呑もうとすると刀が自然にぬけて大蛇にむかい、針屋は呑まれなかった。それを見ていた人が刀をすりかえたので、その次には呑まれてしまった。針屋の娘が大蛇を退治しに来て、小杉原のアネガクボとイモウトガクボというところで、大蛇を射た。最後の矢が大蛇の目に当たり、蛇は転げて岩にはさまった。その岩はジャガバサミという。また、大蛇の歯と使った矢を伏倉のナカインキョが蔵している。
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ダイジャ
1989年 静岡県
松崎町池代と南伊豆町に7つの池を持つ大蛇がいた。あるとき、甲州の薬売りがこの大蛇に呑まれ、その娘2人がきて仇討ちをした。大蛇が死んだ岩がジャバサミ。それから池は浅くなった。
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ダイジャ
1961年 静岡県
絹屋が大蛇に飲み込まれた。父の仇討ちに娘が来たが、なかなか矢が当たらなかった。そこで大蛇が笑うときに口があいたので、そこへ射ちこんだ。そして、この大蛇の骨を埋めた上に寺を建てたので大蛇院と名づけた。
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ダイジャ
1940年 福島県
娘が若者と恋に落ちたが、親たちに反対され、沼に身を投げて死んだ。2人の怨霊は大蛇になり、沼に潜むようになった。その後、大蛇がこの土地を泥海にしようとした。大蛇は秘曲を聞かせてくれた琵琶法師だけにそのことを告げた。琵琶法師は逃げようとしたが、大悲山薬師如来の諌めにより、殿様に知らせた。殿様は藩内の人を総動員して、大蛇を退治した。
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ダイジャ
1915年 鳥取県
昔、池に大蛇が住んでいて、時々人間に害をなした。領主の亀井家がこれを聞き、踏鞴師に命じて、池の水を熱湯に沸かさせた。その後大蛇は海岸に出て砂浜の上で死んだが、その祟りにより領主の亀井家は一家残らず疱瘡で死んで血筋が絶えたという。
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ダイジャ
1984年 福島県
口太山の夏無し沼の主の大蛇が度々暴風雨や山崩れを起こして田畑を駄目にするので、恵知之丞という若者の指導で沼の堤土手を壊して、沼を干すことになった。大蛇は風雨を起こして抵抗したが、やがて土手は壊れ沼は狭くなった。その日の夕刻に、恵知之丞の家に蛇の目傘をさした美女が来て「長々お世話になりました」と挨拶をし、消え去った。その夜、大蛇は黒雲に乗って夏無し沼から吾妻山の女沼に移ったという。
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ダイジャ
1964年 福島県
茂庭の湖に大蛇が住み、人年貢をとった。建久3年の年に、金を集めて生贄の娘を那須野ヶ原に求めた。妹を売った人は斎藤実良の家臣今野図書で、主君の父の一周忌の追善のために妹・猿姫を売った。実良は不審に思い事情を聞いて大蛇退治に出かけた。9月19日に稲荷様からいただいた白羽の矢で大蛇を退治した。実良はその功により、伊達家の客として茂庭を頂き、移り住んだ。
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ダイジャ
1971年 福島県
八幡太郎義家が今の塙町を通りかかると1人の男が崖を掘っていた。理由を尋ねると、男の父が湖の大蛇にのまれ、その敵を討つために崖を掘って水を干上がらせようとしていると答えた。義家がそれを手伝わせて水がひくと大蛇が現れた。そこで義家は弓張堂から大蛇を射殺した。このときの弓が矢祭山に置いてある。そして、大蛇の骨は源八山竜沢寺にあって、薬になるといって人々が削っていく。
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ダイジャ
1948年 新潟県
池の主である大蛇が、嫁に行く先の池が非常に汚いことに文句をつけて辱めた。辱められた池の大蛇は、名刀を借りて相手の大蛇を倒した。名刀が少し欠けたので、待ってくれと頼んだがその持ち主は途中で刀を見てしまい、以来、刀の欠けが直ることはなかった。
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ダイジャ
1964年 福島県
田原藤太秀郷は平将門の愛妾桔梗の前と恋仲になり、影武者の見分け方を聞き出して将門を滅ぼした。桔梗の前は秀郷を恨み、生国伊達郡藤田村を訪ねたが、秀郷の行方はわからず、蛇身になって菅沼の主となった。人身御供をよこさないと村を泥海に変えるというので、村人は金を集めて娘を買いに行く。下総の周防という浪人が主君の年忌供養のために娘を売った。周防の耳にも人身御供の話が聞こえ、大蛇退治に出かけ、白鳥明神の神通のかぶら矢で大蛇を退治した。この噂を湯野村の阿部道学親子が聞き、武名を上げようと襲ってきたので返り討ちにした。周防は茂庭の領主となり、大蛇と阿部親子の首を祀ったのが三社権現。
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ダイジャ
1955年 青森県
大蛇が長者の田に水を入れ、代わりに3人姉妹の末娘を嫁にもらう。末娘は栓をして針を刺した千成瓢箪を沼に投げ、水に沈めるよう言う。大蛇は沈めようとして針に刺され死んでしまう。その後、娘は長者の長男に見初められて結婚し、安楽に暮らす。
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ミズウミノヌシ,ダイジャ
1928年 東京都
昔のある日、漁夫は船に一杯の魚と引き換えに、湖の主の大蛇に三女を嫁にやることになった。蛇が迎えに来たとき、娘は鳩になって富士山の山頂に逃げた。そこにいた事代主命は娘を連れて大島から三宅島に逃げた。そこにわなを仕掛けて大蛇を酔わせ、火之迦土に作らせた霊剣で、差出命が大蛇を斬り殺した。蛇は3つに斬られ、尾は大島に、頭は八丈島に飛んでいった。だからそれらの島では蛇が多いのだという。
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ダイジャ
1993年 福井県
ある日旅の僧が大蛇を訪ねてやってきた。退治してやるとのことで村人は大蛇の住む池に案内した。僧は読経して黒い鉄の玉を池に放り込んだ。大蛇は鉄の玉が嫌いで逃げ出したが、滝を降りようとしたところで首の骨を折って死んでしまったという。大蛇の血が川にも七日七夜流れ続いたという。
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ダイジャ
1989年 静岡県
大池に大蛇が住んでいた。あるとき、江間小四郎の嫡子安千代丸を呑んでしまったので小四郎が大蛇の片目を射た。大蛇は池に入り、やがて池は浅くなって田畑になった。
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ダイジャ
1995年 香川県
百々淵には古くから大蛇が住んでいた。弓の名人別子八郎はお殿様から大蛇退治を命じられた。八郎は観世音菩薩に願をかけて退治に出向いたが、大蛇は釣り鐘をかぶっていたため、矢が大蛇の体を通らない。一瞬の隙を見て最後の矢を放つと当たり、大蛇は立ち去った。その日から一昼夜大雨が降った。
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ヘビ
1972年 岐阜県
安八郡に安八太夫という豪農がいた。ある日照りの年、蛇に向かって雨を降らせてくれたら娘をやると言ってしまい、雨が降ったので蛇に末の娘をやることになってしまった。娘は夜叉が池の主である蛇に嫁いだ。後に里帰りして昼寝をしていた娘が「戸を開けて入ってくるな」と言っていたにもかかわらず母親が入ってしまい、娘を見ると大蛇になっていた。以来、娘は大木の枝を風なしで揺することで来訪したことだけを告げるようになったという。
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ダイジャ,ヌマノヌシ
1930年 岩手県
大安良山にある沼には主の大蛇が棲んでおり、渋民村では毎年ひとりの少女を犠牲に捧げなければならなかった。この村にきた熱心な仏教信者であった京都の一条家の妹娘依壽姫(よりじゅひめ)は自ら身代わりとなって沼に行き、仏徳をもって大蛇を退治した。3つに切断された大蛇は浄道され、その後、一の権現、二の権現、三の権現として祀られた。その後人間をたたることは無かったという。
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ダイジャ
1941年 大阪府
昔、池に大蛇が棲んでいて、毎年村の娘が人身御供の犠牲になっていた。これを見かねた村の男が、神仏の加護を味方に付けて、大蛇を退治した。それ以後、人身御供の犠牲者は出なくなった。
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ダイジャ
1993年 香川県
お殿様が弓の名人である別子八郎に大蛇退治を申し付けた。八郎は矢を射たが、大蛇は釣鐘をかぶっていたから、体を通らなかった。最後の矢が当たり、大蛇は立ち去った。鐘は城下にもち帰ったが、「国分寺へ帰る」と鳴り響くにで、国分寺へ返した。
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