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検索対象事例

シンメイサマ
1964年 福島県
豊間のしんめい様は、今から40年ほど前の大火のとき、神明宮は全焼したのにしんめい様だけは宮から飛び出し、松の木に引っかかっていて焼けなかったという。その後、不漁かなにかのときにのりきに拝んでもらうと神明様がでて「お宮に入りたい。入れてくれれば漁を与える」といわれたので、昭和14年のことしの春、お宮に入れてやった。

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シンメイサマ
1941年 福島県
某という旧家に、神明宮があってしんめい様が祀られていたが、某家に継ぐ者がいなくなり、しんめい様は不動様と呼ばれている盲目の男に預けられた。執筆者がこの男に会ってしんめい様はと尋ねると、小川村の八幡様に預けてあるが、夢で時々取りに来てくれと言われるので近いうちに行きたいと語ったという。
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シンメイサマ,クマノシンメイ
1964年 福島県
目が不自由な志賀家のばあさんがしんめい祈祷することで眼病がなおり、身体が丈夫になった。それで御神体を譲り受け、自宅で拝むようになった。ばあさんの死後、神棚にあげておいたが、しんめいは歩くのが好きな神であるから、隣3軒ぐらいは歩かせねばならないといい、信仰したい人が借りに来て、今は北海道のあたりをまわっているという。これを熊の神明といっている。この家へにわとりが入ったら、奥座敷で物音がした。しんめいさまが怒ったのだという。
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シンメイサマ
1964年 福島県
高荻宅のしんめい様は、隣村の家に預けられ、家人は他所へ出稼ぎに出ていた。出稼ぎ中、夫をなくした高荻宅のばあさんは、北海道・樺太と渡り歩いたが、不幸が相次いだ。そのたびの途中、しんめい様から出歩きたいとご神託があった。東京にいたときは、目も見えず足・手もきかず難儀したが、これもしんめい様のわざで、村に帰ってしんめい様を出せというご神託であったという。昭和2年頃生まれた家に帰り着き、しんめい様をまつるようになった。
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シンメイサマ
1964年 福島県
ばあさんの死後は信心する者がなくなって神棚にあげておいたら、しんめいは歩くのが好きな神なので、隣3軒ぐらいは歩かせねばならないといった。約1年後、富岡町の人が信仰したいからと持っていったが、その人の死後また帰ってきた。その後金房村の人が借りていき、現在は北海道の辺りをまわっているという。
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シンメイサマ
1964年 福島県
三春町庚申坂の神明宮の神明様。この神明様は伊勢の大神宮様で、男と女の一対。(人々が供える)着物が100枚になると、祈祷して伊勢の大神宮に送る。ご神体はしゃくなげの木であるが、ふだんはもったいなくて拝めない。顔の白い布は年に1度ご元朝にしか取って拝めない。男のほうが少し小さく、胴体は径1寸ほどで和紙がまいてある。全長7、8寸。おしんめい様は出たくなると夜中でもいつでも出る。宮を守っている人の夢などで、「出たい出たい」と知らせる。そういうときは、すぐに出ないとしかられる。おしんめい様と歩いていると、76歳のじいさんでも一日中歩いて疲れない。
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シンメイサマ
1964年 福島県
しんめい様は戦争中はみなを守るため、豊年にしてやるため忙しいといって毎日出かけたがる。歩くときには宿にとまらず、夜昼の区別もない。遠くへ行くときは乗り物には乗らず、疲れたこともない。肩こり・頭痛・腹痛の人はさすってやるとなおる。占いや危篤の人・死んだばかりの人を生き返らせることもある。そのお礼にろうそく、着物などをもらう。
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シンメイサマ
1964年 福島県
南会津郡大宮村木伏の薬師堂で見つけたしんめい様は、隣に法印が住み、病人がでたとき頼まれて持ってゆく。男女1組でしんめい箱に収めてあり、着物は金らんようの布からなっている。頭痛や肩こり、こどものむずかるときなどにいただかせると治る。薬師の祭礼は4月8日だが、毎年6月10日に神明様だけの祭りをやる。特に出て歩きたいということはない。
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エビスシンゾウ
1935年 三重県
鳥出神社内の末社蛭子神社にまつわる話。その蛭子社はもとは富田浜に鎮座していた。天平14年のある日大漁につぐ大漁で、富田浜は賑わったが、それもつかの間、小魚さえも網にかからない日が2、3日続いた。その次の日、波に乗って7彩の光を放って浜辺に近づくものがあった。大漁襲来の前兆と歓喜して網を下ろし、7彩の光を引き上げたが、それは魚ではなく一体の蛭子神像だった。この神像をご本尊として祠を建て祭事を行うと霊験現れて再び豊漁で賑わったという。
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シンメイサマ
1964年 福島県
ばあさんは病身な上、目が不自由で、子どもたちも目が悪く、医者にかかってもはかばかしくない。隣村にしんめい祈祷者がいると聞き、一心に信仰したところ、身体がだんだん丈夫になり、自分も子どもも眼病がなおった。しんめいが自分にものる(のりうつる)ようになったので、ご神体を譲り受け、自宅で拝むようになった。
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ウジガミサン
1965年 高知県
氏神さまを信仰したおかげで助かった人がいる。室戸から大きな漁船に乗ることになり、出立の朝にヤナギカケを作った。しかしその皿が引っくり返り、気持ちが悪いのでやめにした。次の日には、お宮の前で扇子を忘れたのを思い出して取りに帰った。出直して、またお宮の前でハンカチを忘れたのに気づいたが、そのまま出航した。しかしどうにも気持ちが悪いので、女房が引返すように電報を打ち、須崎から帰って来た。その船はそのまま行方不明になってしまった。
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ダイジングウサマ,ヒノタマ
1967年 栃木県
1920年ころのこと。火の玉が飛んできて毎夜石田家の裏の柿の木に止まって、評判になった。足利の長岡の神社の神主に見てもらうと、大神宮様が合祀を嫌って逃げ出したのだというので、別の社に移したところ、出なくなった。後日、行商人がピカピカ光る砂石を拾って、不思議に思って聞いてみると、それが大神宮様の御神体だった。以来大神宮様の御神体は砂石である。
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シンメイサマ
1941年 福島県
しんめい様は某老女が所有していた。彼女は夫と早く死別し、3人いた子も末の子だけになり、体が弱く目も患って内郷村に来た。好間村の大工からしんめい様を受けてきた。毎日平湯本間を歩いていたが、その内に体も良くなってきたという。村人曰く、彼女はしんめい様を持ち歩いていたときは勝ち気で、天気の占いなどをしていたが、今は気抜けしたようだと言っていた。
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アツタジングウノカジ
2002年 愛知県
熱田神宮の楠の下に乞食が寝ていた。夜中楠から火が出て本殿にも燃え移りそうになった。神主が御神体を持ち出そうとするが鍵が開かない。そこへ神主の父が来て鍵を開けた。父が再来を告げて去ると火が治まった。父は再来せず、自宅へ戻った神主が父に謝辞と何故戻ってこなかったのかを尋ねた。すると父は何も知らぬ、それは末社の神が出てきたのではないかと語った。
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バンバアイシ
1960年 神奈川県
昔、ある信心者の夢枕に神が立ち「一の釜西方を流れる相模川の深いところにいる。自分の体は石で夫石は川下の江ノ島にいる。上流から訪ねてきたが、水が少なく下流に行けないから八幡宮まで連れて行って欲しい」と告げた。夢から醒めて一の釜に行くと、川底に老婆のような形の石があったため社の境内に移した。その後日照りが続いた時また夢枕に立ち、「自分を一の釜に入れると雨を降らしてやる」と告げたのでそうすると雨が降った。その後石はしばらく放置されたが、川下の人が井戸端の敷石として使った。しかし、一家中の人が病気になったため、行者の進言で八幡宮へと返された。
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テンジンサン
1983年 香川県
ある時、宮田家の人が病気になった。治らないので行者に拝んでもらったところ、天神さんがお堂を建てる催促に来ているという。お堂を建てて祀ったらすぐに病気が治った。この天神さんはお堂が火事のとき、飛び出して三角寺の松にひっかかっていた。
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イナリダイミョウジン,オヤテイサマ,イナリサマ
1983年 岡山県
加茂町小中原には、守護神として稲荷大明神を祀っている部落があるが、この部落は明治44年4月4日に火災にあい、大半が焼けてしまったことがあった。後に、この火事の1週間前にオヤテイ様が激しく鳴いて飛び回っていたことが分かり、それは稲荷様のお告げだったのだろうと考えられた。
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タヌキ
1992年 京都府
大正4年の大火の直後、熊野神社の神官が、「狸の祟りによって火災が起こった。狸を稲荷神として祭祀すれば火災の難から免れることができる」と託宣した。住民はただちに八王稲荷大明神として祭祀し、今でも火防にご利益があるとして参詣が絶えない。
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シンメイサマ
1964年 福島県
高荻宅で不幸が起こったのは、しんめい様からの出歩きたいというご神託であった。そこですめよばあさんは昭和5年頃からしんめい様を持って外出するようになった。体の不調のある人はさすってやるとなおる。占いや、人を生き返らせることもあるという。
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イチモクレン
1974年 三重県
伊勢国桑名あたりに多度明神の宮がある。ここの別殿に一目連というものがある。いにしえから災いある時は忽ち現れて救ってくれるという。洪水の時に人々が木の上に登って助けを求めていた時、いまこそ一目連が現れて、救ってくれるに違いない、みなで祈れ祈れと叫んだ。するとその日の夜から急激に水が引き、人々は助かったという。
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イソテング
2002年 愛知県
おじいさんが若かった頃、鳶ヶ崎に漁に行ったとき、今にも雨が降り出しそうな暗い夜だったが、面白いほど魚がとれ腰のびくはずっしりと重くなっていた。突然あたりが明るくなったので驚いて空を見上げると海田の海の方から大きな火の玉が2、3こちらに飛んできた。磯天狗と思いわらじを頭に載せ一心に念仏を唱えた。そのうち火の玉は南の方へ飛んでいったが、びくの魚はなくなっていた。
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