ヤマタノオオシカ 1987年 京都府 昔、大和国に香野太郎・次郎・三郎の兄弟がいた。三郎は姓を満野と改め猟師になった。その頃丹波山中に八岐の大鹿がおり、人々を困らせていた。そこで帝は三郎に退治するように命じた。三郎は大鹿を弓で射て倒し、大鎌で切り殺した。
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ヨウキ,キジン,ウナギ 1929年 岐阜県 今から九百年程前、村上天皇の頃、瓢ヶ岳の岩窟に妖鬼が山砦を築いて土地の民を悩ませた。鬼人の退治を命じられた九条関白藤原氏の八男右少将正三位藤原高光請卿は多くの部下を連れてこの地に来られた。鬼人は妖術に長じ変幻出没自在で手強く大牛、雉、十二ヶの瓢の化身となって現れ、矢に打たれて消えた。高光は神に祈ってようやく鬼人を仕留め、神の使いの鰻を川に放った。以来、粥川の鰻を食べると神罰を受けるという。
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エイコ,カルアシ,ツチグマ 1969年 京都府 推古天皇の時代、丹後国の三上ヶ嶽に、英胡・迦樓夜叉・土熊という鬼が住んでいた。そこで天皇は麿子親王に命じて征伐させた。誅した後、鬼のうち土熊を岩窟に封じた。これが今の鬼ヶ嶽だという。
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ヨウカイ,コマイワ 1960年 岡山県 崇神天皇の四道将軍、吉備津彦命が備前に入り本宮山の峰に来た頃、その峰の西方約1里の所に毎夜妖怪が現われ、里人はたいそう恐れていた。里人は命に妖怪を退治してくれるように願い出た。数日後のある夜、気比神社の西方3キロのところに火柱が現われ、命は境内の見晴らしの良い駒岩から弓でこの怪物を射た。矢が命中するや否や、大音響と共に怪物は岩となった。これを今に残る的岩という。
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オニ 1973年 福井県 甲懸山の山腹に亀裂があり、ここに甲賀三郎が入っていったといわれる。またこの穴は丹波大江山に続いており、大江山の鬼が乱暴狼藉を働いたのでこの岩穴の前でドンチャン騒ぎをして鬼をおびき寄せ退治したという。また神谷山に鬼神がいて、大江山で活躍した源頼光が退治したという。
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タコ 2002年 山口県 昔、甚平という漁師が住んでいた。魚を捕ることが巧みで近隣の者は皆知っていた。ある日甚平が岩の近くで魚釣りをしていると、急に船が傾いた。見れば大きな蛸の足が船縁を掴んでいた。甚平はその足を包丁で切って持って帰った。その味を覚えた甚平が翌日も岩へ行ったところ、その日も蛸が現れた。こうした日が5日続き、8本の足が3本にまで減った日に、甚平はこの蛸を捕ってやろうと包丁の代わりに縄を持っていった。それきり甚平は帰らず、主のいない船が夕方に浦へ流れ着いた。村人達はきっと蛸に食われたのだろうと噂した。それ以来その岩を甚平岩と呼ぶようになった。
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オウマイシ 1943年 香川県 後陽成天皇の文祥年間の頃、細川国広という人が前田から小倉山に行く途中、老婆が道をさえぎった。国広が石を投げつけると老婆は飛び去り、今度は馬に化けた。馬を投げ飛ばすと大石になった。これが御馬石で、小倉山の入り口の畑の中にあり、他に移すと夜の間に元も畑に帰るといわれる石である。
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オロチ 1971年 滋賀県 近江の国、栗本郡と野洲郡の境に大川があった。三上山で2川に分かれそのうち南川は土山に当り大渕となっていた。その渕に昔から大蛇が住んでいて、近辺の住民は困っていたが手の打ちようがなかった。嵯峨天皇のとき、雷が鳴り天地振動することがあり、時の博士が占うと先の大川に住むおろちが天皇の命を奪おうと振動させているということだった。そこで天皇は近辺の農民を招き大蛇を退治すべしと命令した。近隣農民数万人が打寄ってついには退治した。その時の出来事から様々な地名がつき、また褒美として大光明寺を給わった。
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クキドノイシ,クキドノセキ 1932年 兵庫県 三田の山谷川から出る水色の石。領主九鬼氏はこの石を使って八面の悪鬼を倒した。
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バンジイワ 1956年 宮城県 大東岳の中腹に磐司岩という巨岩があるが、大昔ここに磐司磐三郎という偉丈夫の狩人がおり、鬼を退治して民に大きな恩恵をもたらし、狩猟の方法を教えたという。
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ナナヒロニョウボウ 1997 島根県 七衛門が夕暮れ、御波地区の須賀に行こうとすると、途中のミダの奥山から小石が飛んできた。話に聞いていた七尋女房が妨害しているのかと思い、家から刀を取って戻ると、大女が立って気味悪く笑っていた。七衛門が切りつけると、顔面に深い傷を受けながらも安国寺領の松山に飛んで大きな石に化した。この化石を「七尋女房の化石」といい、別名「女房が岩」ともいう。少しずつ大きくなるともいわれる。
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ナカヤマトウゲ,オイヌイシ 1956年 宮城県 仙台市の北山から泉市の根白石に越える峠。昔は狼が多いので知られ、根白石の山根から仙台へ炭薪を行商にくる人々は、夕方集合して駄馬を一団にして最後尾の馬はモトツ(手綱)を引きずり、狼除けとしていた。ある日実沢の百姓が夜に独りで峠にかかると、1匹の狼が口を大きく開いている。咽喉に挟まっていた骨をとってやると尾をふりながら去った。次の夜、その狼がお礼に猪をもってきて、縁側においてあった。それ以後仙台から夜に帰るときは、骨を抜いてやった場所にいて送ってくれたので、峠から実沢への分かれ道に三峯の碑を建てた。これを狼(オイヌ)石という。
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オニ 1979年 岐阜県 天暦年間の事。鬼が瓢岳に棲み付き、村人を苦しめたので勅命で藤原高光が退治にきた。鬼は姿を巧みに隠したので高光は瓢岳と高賀山に6つの社を祀り、虚空蔵菩薩からお告げと白羽の矢を受けて鬼を射止めた。鬼の首をはねた刀を洗ったら鰻に変じたので、虚空蔵菩薩のお使いとして、この村では鰻を食べない。この鬼の首が念興寺にあり、持ち出すと天が荒れるといわれている。
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ムカデ 1972年 滋賀県 昔、野須、栗太の両群におおきなムカデが住んでいて、三上山を7巻半して瀬田の橋に首を出し、通る人に危害を加えていた。そこで俵藤太秀郷という勇将が退治した。弓でムカデの目を射、太刀を振るって三つに切り殺したという。このときムカデの頭は浮気に、胴は勝部に、尾は瀬田に落ち、それぞれの村で焼き捨てたが、祟りがあるのでそれぞれの村で頭、胴、尾の形の大松明を作って焼くことになったという。瀬田では中絶したが、浮気、勝部では今でも行なっている。
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オイヌイシ 1956年 宮城県 七北田川右岸山村館跡の西南にある三峰山の碑。実沢の旧家白石家の先祖が、あるとき夜になって中山峠を仙台から帰る途中、道端に一匹の狼が口をあけて哀れみを乞う様子なので見るとノドにトゲが刺さっており、それを抜いてやった。その夜縁側に物音がしたので起きて見ると、お礼に猪が置いてあった。その翌日からその先祖が町から帰る途中、必ず狼が出迎えて家まで送ってくれた。その狼の供養碑がこれである。毎年旧暦4月8日、白石家では狼石に赤飯を供え、これを狼のオボタテという。
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テントウイワ 1976年 長崎県 大智院という真言の寺の境内に、大きさ5丈余りの盤があり、巓頭岩と呼ばれている。伝えによると、昔大蛇がこの岩を7匝巻いていたという。その蛇が常に棲んでいた池は今でもある。鎮西八郎為朝がこれを射殺したという。
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オニ 1967年 茨城県 鹿島の大神が、高天原地方の鬼を退治した。首を埋めたところを鬼塚といい、血で染めたのでそこの砂が赤いなどと言われる。ここに住む鳥類を食べると、その家に災難がくる。
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ミズウミノヌシ,ダイジャ 1928年 東京都 昔のある日、漁夫は船に一杯の魚と引き換えに、湖の主の大蛇に三女を嫁にやることになった。蛇が迎えに来たとき、娘は鳩になって富士山の山頂に逃げた。そこにいた事代主命は娘を連れて大島から三宅島に逃げた。そこにわなを仕掛けて大蛇を酔わせ、火之迦土に作らせた霊剣で、差出命が大蛇を斬り殺した。蛇は3つに斬られ、尾は大島に、頭は八丈島に飛んでいった。だからそれらの島では蛇が多いのだという。
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ハチメンダイオウ,オニ,ヤマドリ,(ユメノオツゲ) 1990年 長野県 有明山のふもとに住む弥左衛門は息子の弥助が幼いうちに八面大王という鬼にさらわれた。立派に成長した弥助はあるとき大きな山鳥を助けた。それから3日して弥助は美しい娘を娶った。そのうちまた八面大王が暴れ始めた。坂上田村麻呂が観音堂で祈ったところ、特定の山鳥の尾を矢にするよう言われた。その話を聞いた弥助は悩んだが、嫁がそれを持ってきた。嫁は山鳥の化身であり、その後姿を消した。その矢で八面大王は退治された。八面大王が生き返って悪さをしないように、その体を切り刻み、耳は耳塚、足は立足に埋めたという。
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オニ 1976年 長野県 物見岩に鬼が住んでいた。坂上田村麻呂が矢を命中させ、首と尾を飛びちらした。鬼の首は名九鬼、尾は柏尾に落ち、その名がついた。
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